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“辛抱する”ことの大切さ、と6月24日の日記

高校生の時に、よく聴いていた「キックザカンクルー」というグループがあるんですが、そのメンバーで、ソロでも活動している、KREVAの配信ライブが昨日あったんですね。

ここ最近、配信系のサービスがどんどん目立つようになってきて、ぼくも何か観てみたいなぁと思っていたところだったので、チケットを購入して参加してみたんです。オンラインで。

で、ちょうどこの「Thumva(サムバ)」という配信プラットフォームがスタートするのに合わせて、こけら落としの第一回目の配信が昨日のKREVAだったんですよね。

KREVA自身も、「自分も初めて、Thumvaも初めて、お客さんも初めての体験です。」と、何度も言っていて、どこまでいっても守りに入らず、新しい体験を得られるチャンスには貪欲に飛び込むというその姿勢にシビれました。

いろいろと考えているなぁと感じたのは、ライブ後の「打ち上げ」までもカメラをずっと回していて、「普段こういう感じでお酒を飲みながら、ライブの映像を観て、打ち上げをしている」との風景をそのまま配信していたのがとてもおもしろいなぁと思いました。

2時間のライブを終えて、そのまま自分たちのライブ映像を観て、ワイワイと楽しそうに話していて、こういう裏側が観れるのも配信ライブならではだなぁと。

そういえば、ライブの途中、曲間で、本人が「じっと動かないシーン」があったんです。

そのことについてKREVAが、打ち上げの時に言っていたのは、

「このじっと動かず、自分で引き受ける、辛抱する。これが本番だとなかなか難しい。辛抱しきれなくなって、動いちゃうんだよね。」

こういったことを言っていたのが、なんかすごく印象に残っていて。


全く違うところからの引用なんですが、参加しているオンラインサロンで「WaseiSalon」というのがあって。

その代表の鳥井さんのこのブログを思い出しました。文脈は違えど、なんとなく共通項が感じられたので、追記しておきます。

この時代において「辛抱強くあること」は、それだけで価値があると思います。

なぜなら、「いま何を修理するべきなのか?」それが手にとるように見えてくるわけですから。

周りの音とか動きが速まったり、ゆっくりになったりした時に、環境や雑音の変化にとらわれることなく、「自分を保つ」ってことだと思うんです。

それって、本当に難しい。

周りの動きは刻一刻と変わっていくし、そのスピードは一定ではないにしても、常に変わり続けているんですよね。


今、外は雨なんですが、この雨もしとしと降っているようで、一瞬一瞬強さも風向きも変わって、同じ時は2度と来ない。

まぁ、なんだか最後は「禅の世界」のような話になってしまいましたが、

常に変わっていく世界に、挑戦しつづける姿勢に、久々に勇気をもらえた時間だったなぁと思ったので、書き残しておきます。

配信ライブ、他にもいろいろと出てきているので、観てみようと思います。

 *

6月24日(水)

朝、7時頃に起床でき、2日ぶりのウォーキングへ。その後雨が降ってきたので、タイミングがよかった。

帰宅して、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、娘を幼稚園へ送る。

午前中から、やることがいっぱいで、あくせくする。まとめたメモを消しては、次のやることを書き出して、ちょっと今は手一杯な感じ。

お昼は、妻と近くの蕎麦屋で親子丼。おいしいおいしい。

セブンでおやつに「ザッハトルテ」を買って、帰宅後コーヒーを淹れて食べる。思っていた以上に甘くて、マンデリンの深煎りにすごく合います。が、ぼくにはちょっと甘すぎたかも。

夕方まで結構あっという間にすぎて、退勤。

夕飯は、せいろで焼売を蒸してくれたので、おいしく食べて、先にお風呂に入る。

KREVAのライブが、夜9時08分(クレバ)から始まり、それを観てから、「女帝 小池百合子」を読む。この人の人生、すごい。

1時頃、就寝。

それでは、雨ですが今日も頑張ります!

ぼくも誰かの応援をしようと思います!