人生の夏休み、自由研究はじまる
何を隠そう、「自由研究」ってことばが苦手だった。だいたいの人は、そうかも知れないけど。
小さい頃から、研究したいことなどひとつもなかった。ただただ友達と遊んだり、ゲームをしたり、部活動で野球をしたりしてた。
長い休みになると、決まって課せられる自由な研究とは何なのか。
ぼくには意味がわからなかった。
適当に雲を定点観測したり、カビを調べたりしてたけど、特におもしろいとは思えなかった。
それは今となっても、「研究」という言葉にあまり積極的になれないところに表れている。
少し、背筋がピクっとするのだ。
最近、YouTubeで落語を観ている。
春風亭一之輔さんのチャンネルを登録して、先日千秋楽を迎えた10日連続落語会を今日も観ていた。
7日目から観はじめたので、千秋楽を観てから第6夜、第5夜…と逆行してきている。
枕の中で、この長い休業期間中は、普段できない「稽古」に勤しむと言っていた。
それを聞いて、ああ、自由研究ってそういうことなのか、と思った。
今、人生の長期休暇を運良く手にできた「エッセンシャルワーカー」以外の人たちにとっては、いきなりきたこの夏休み、どう過ごすかは、結構な課題なのではないだろうか。
かく言うじぶんも全力で、「Non・エッセンシャルワーカー」だ。
日々、それぞれの道で生活を送っている。
仕事も、趣味も、遊びにしてもそう。
日常を送っている中では、どうしても削ぎ落とさないと生活がままならないようなことも、ある。
その削ぎ落としてしまうものこそ、「その人の稽古」なのだと思う。
そういうものに、一人一人が気付いていける、すごくいい時間なんじゃないかと。
人によってはそれは、掃除みたいなものかも知れないし、料理をしたり、ゆっくり映画を観て、本を読むことでもあるかも知れない。
優先順位をつけるとどうしても後ろの方に位置付けられてしまうようなこと。
今手の中にある、ありふれた時間は、まずはそうした普段なら後ろに回してしまうようなことを、ひとつずつ思い出して、やってみるだけでいいんだと思う。
新しいことや、珍しいことを、どんどんやっていくのもいいと思うのだけど、人生の生活の中で敢えて…もしくは気付かないうちに「忘れてきたもの」って、結構あるような気がしている。
ぼくはこれから、そんな人生の忘れ物を「自由研究」と呼ぼうと思ってる。
そして、そのひとつとして、やってみたのが、日本各地の「マイクロロースター」研究。
いつも珈琲豆を切らすと、歩いていける近所の珈琲屋さんに駆け込んで、その時々を凌いでいた。ただ、今となってはだいぶ多くのお店が通販に切り替えているので、いつものリズムがうまくいかない。
それならいっそのこと、普段買わないようなお店で、気になっていたところを片っ端から注文してみようと思った。
そんなわけで、先日noteに書いた、気になる5店舗を順次飲んでいこうと思っている。
まずは、秋田のマイクロロースター、「のら珈琲」からの400グラムが今日届いた。
珈琲のおもしろさを知って、10年以上が経つ。
先日注文した「手廻しロースター」は今月半ばには届くとの連絡があった。
ロースターを待ちながら、普段飲みする珈琲も、徐々に「じぶんの路線」にシフトしていこうと思う。
長い長い…自由研究がはじまったなあと思う。