【七草にちかW.I.N.G.編考察】シャニPはなにを信じていたのか
こんにちは、ラノベ作家の藍月要です。
七草にちか実装にともない、シャニマス界隈がまた新たな盛り上がりを見せています。みなさんの心は無事でしたか?
今回の七草にちかW.I.N.G.編がどんなシナリオだったのか、自分の中で納得できる解釈にたどり着いたので、忘れないように書いておこうと思います。
(なお、いままで書いてきたシャニマス怪文書の例はこんなの↓)
今回の怪文書の最終的な着地点は、七草にちかについて"平凡な女の子"と認識していたはずのシャニPが、
W.I.N.G.本戦出場決定の際に、どうしてこんなこと↑を言ったのか、言えたのかという点になります。
彼はいったい、なにを信じていたのでしょうか。
七草にちかの罪と公正世界誤謬
七草にちかの公式紹介には、
とあります。気が強く甘え上手というのは、かなりシンプルに彼女のことを言い表しているなあと個人的には思います。
また、シナリオを進めていくと、その懸命さや健気さ、危うさ脆さも明らかになっていきますね。
しかし、今回のシナリオを読み解く上でおそらく重要なのは、上記に挙げられたそれらよりも、「七草にちかの身勝手さ」になるでしょう。
身勝手さとは穏やかではありませんが、これはなんの話をしているかというと、このシーンです。
これは、WING編最初のコミュ「〈she〉」にて、嘘を吐いてシャニPを密室に連れ込んでおいて、パフォーマンスを披露しても反応が芳しくないと見るや「自分をアイドルとして迎え入れろ、さもなくば大声を出すぞ」と、写真もバッチリ撮った上で言い放っているところです。
解説するまでもないかもしれませんが、彼女はこのとき、『密室で大人の男性とふたりきりになった場合、自分の持つ”子供”で”女性”であるという属性が、相手に対して特権になる』ことに自覚的なわけですね。
自身の特権を利用して、相手が本来持つ権利(今回の場合は、シャニPが本来持つ、アイドルを迎え入れるかどうか選択できる権利)を踏みにじって不当に要望を通すということは、もちろん洒落になっていません。
たとえば、性別を入れ替えて言えば、屈強な男性が「言うことを聞かなければ殴るぞ」と脅すこと。性別を入れ替えないで言えば、電車の中で「言うことを聞かなければ、痴漢されたと(嘘で)騒ぐぞ」と脅すこと。
七草にちかがやったのは、本質的に、これらと同じです。悪質な行為であったと言えるでしょう。
もちろん、にちかにもいろいろ事情はあるというか、どうして譲れないものがあっての行いではあるのですが、だからといってそれで、『自身の特権を利用して、相手が本来持つ権利を踏みにじる』ことの身勝手さ、醜悪さが免除されるかというと、厳しい印象です。
で、じゃあなんでこんなシーンが冒頭にあるのか。
彼女の焦りやある種の過激さを表すため、もあるでしょう。
ですがそれ以外に、メタ的な読み方にはなってしまうのですが、ここは、公正世界誤謬という考えを参照したいです。
公平世界誤謬とは、ざっくり言うと、「善い人は報われる」「悪いことするとバチが当たる」なんて類の思い込みのことです。逆に言うと、「ひどい目に遭っているやつは、ひどいことをしたやつだ」だと思いたくなることでもあります。
(電気ショックを浴びて苦しんでいる見ず知らずの人を眺めさせられたとき、人間はどんなことを思うか——という実験では、電気ショックを浴びて苦しんでいる人に対して、それを眺めさせられた人たちは、次第に彼らへ軽蔑心を抱くようになるそう。
これは、人の持つ公平世界誤謬によって「あんなに辛いことをされなきゃならないくらい、彼らはひどい人間なんだろう」と思うような認知バイアスが掛かるからです。そしてその根っこには、「自分の住む世界は、罪のない人があんな風にひどい目に遭うような場所ではないはず、そうでなければいやだ」なんて気持ちがあるらしい。わりと納得感のある話だと思う)
フィクションにおいては、ひどい目に遭うキャラクターは、しばしばその前に悪いことをしていたりします。
これは、それによって読者やユーザーに公平世界誤謬で「この先にバチがあたりそうだな」と思わせて、その後の実際にひどい目に遭う展開を、より自然だと感じさせるためのものです。
なにが言いたいのかというと、にちかがW.I.N.G.編の冒頭で特権による脅迫なんていう思いっきり悪どいことをしたのは、メタ的に言えば、その後の彼女が味わう厳しい現実の前触れだったと読み解けます。
(なお、ここで話題にあげたにちかの罪については、叙情酌量の余地というか、すこし違った解釈もあります。余談として記事の最後に挿しておきました)
ありふれているという悲劇、というありふれた悲劇
にちかが味わった厳しさとはもちろん、アイドルとして輝く素質を持たないのにも関わらず、そこに強烈に憧れてしまい、無理を重ねて心をすり減らしていく展開のことです。
にちかは、日常の中にいる女の子としては愛らしくとも、アイドルとして輝くものは、その身の中に持っていません。
シャイニーカラーズとのタイトルを冠した本作において、このように”くすんで”と評されることの意味は、とても重たいでしょう。
実際にシャニPはこの後もずっと、にちかの中に『アイドルとして、誰よりも輝くなにか』をなにひとつ見つけられないままです。
この愛らしい子に、どうか笑っていてほしいと願って止まないけれど、他の子に対して強烈に感じてきた『この子はステージで、誰よりも輝ける!』なんて、あるいはアイマスおなじみといっていいだろう確信を、ついぞ一度も抱かなかった。
それが象徴的なのはこのセリフ。
シャニマスに限らずアイマスは、基本的には、プロデューサーとの出会いやアイドル活動を通して、その子の中の秘められた素質、磨かれるのを待っていた輝きが光を放つ物語。
そこにあるのはいつだって、『ほんとの君は、こんなにすごい』であり、それをアイドル自身や世界に気づかせるのがプロデューサーの仕事です。
つまり、眠っていたものを起こして、ほんとうの自分=100%になっていく・していく話だと言えます。
対してにちかは、彼女の頑張りは、200%でしかないのです。100%をとうに越しているその時点で、悲しいかな、シャニPにはもうアイドルとしての彼女の底が見えてしまっている。
これはなにも、シャニPだけの見立てではなく、誰より近くでにちかを見てきたであろう姉のはづきも、同じ判断を下しています。
このはづきの約束は、だからこそのものです。家庭の中でにちかを傍で見てきて、仕事場でアイドルたちと接しているはづきほど、正確ににちかのアイドルとしての素質を計れる人もいないでしょう。
計って、そしてアイドルとしての輝きがないと判断したから、こんな約束をさせたわけです。だってこうしなければ、いつかにちかは、「アイドルとして素質がない」と自分で自分を見限らなければならなくなるから。
でも、あの約束があれば、にちかがアイドルを諦めるのは「お姉ちゃんの決めた条件を守れなかったから」にしてあげられる。
あんなにアイドルに憧れている妹に、自分自身を見限らせる残酷を味わわせたくなくて、だからはづきは悪役を以て任じたのでしょう。
そんなやり方をしなければならないくらい、はづきから見てもにちかは、アイドルとしては"くすんで"いたのです。
さて、そんなにちかですが、ではユーザー(つまり我々。プロデューサーと言いたいが、シャニPと紛らわしい)からはどうでしょう。
我々の視点からすると、『アイドルに強烈に憧れているのに、その身の素質がありふれていて輝くものがない』という、悲劇的な特徴を持つアイドルに見えます。
なんだ、我々の視点からすれば、にちかにもちゃんとアイドルとしての特徴があるじゃないか!
……とは、素直に思わせてくれないのがシャニマスです。
なぜかというと、『なにかに強烈に憧れているけれど、ありふれた凡人で、それに適った素質を持っていない』なんていうにちかの悲劇、にちかの特徴は、それ自体も結局、ありふれたものだから。
学問でもスポーツでも芸術でも、なにかに真剣に打ち込んだことのあるならば、多くの人がきっと一度は目指す先と自分を比べて「ああ、自分には素質がないんだな」と感じるもの。その残酷は、誰しもに身近なのです。それでも諦め切れなくて無理をして痛い目を見たりもする、なんてのも、ひとつのお決まりセットでしょう。
(ここは隙あらば自分語りのコーナーなので読み飛ばしていただきたいんですが、わたしも、かつて音楽を志して自分なりにめちゃくちゃがんばって、でも薄々、致命的に足りない才能があることにも気づいていて、それを埋めようともがいた結果、無理を重ねて耳を壊しかけて足を洗った……みたいな経験があります)
ありふれているというにちかの悲劇=特徴も、悲劇としてはこの世の中にありふれたものでしかない。ここでも結局彼女は特別ではなく人ごみの中のひとりという、二重底で物悲しい構造になっているのです。
ただ、これは「だからユーザーの目から見てにちかには魅力がない」なんてことを意味するわけではありません。ああいうありふれた、我々にも触った覚えのある痛みを抱えた子だからこそ、我々は彼女の生き様に心乱されるし、どうしても応援したくなるのかなと思います。
シャニPが信じていたもの
このように、悲劇が起こる前振りで始まった物語の中で、七草にちかはありふれた人ごみの中のひとりという厳しさを背負って踊ります。
シャニPは、「アイドルになる・なって活躍するという幸せを掴ませてあげたい」ではなくて、「その子が幸せになる道の中に、もし(必要なこととして)アイドルがあったならそれを手伝いたい」という思想が強いタイプに見えます。
そんな彼にとっても、才能のなさを自覚して苦しみながら踊るにちかのプロデュースは、厳しいものだったでしょう。
しかしそんな彼は、W.I.N.G.本選出場決定の際に、にちかがアイドルとして前に進めることを確信していた旨のことを言います。
「こうなるって思ってた」と、「なるべくして、なった」と、そう言うのです。
にちかの努力を誰より近くで見てきた彼ほど、彼女の”アイドルとしての平凡”を知っている人もいないでしょう。それなのに、どうしてこんなことが言えたのか。
彼は、なにを信じていたのでしょうか?
それを考えるために見るべきは、このシーン。
「優勝させてください」「もう苦しまなくて済むように」——振り絞るように紡がれる、これは祈りです。
このシーンと、そして他のさまざまなストーリーでのシャニPを見てきた上で、彼がなにを信じていたのかと言えば、それは、自分たちを取り巻く世界そのものなんじゃないのかなと、わたしは思います。
この愛らしい子が、愛されるべき子が、心と体をすり減らしてここまで懸命にがんばっているのだから、それは絶対に報われるのだと。
この世界はそうなっている——なっていてほしい、なっているはずだと。そんな思想や願いが、シャニPの中にあったように思えます。
つまり、シャニPの言った「こうなるって思ってた」は、”アイドル・七草にちかに対する確信”や”彼女の能力への信頼”ではなく、”彼女や自分を取り巻く世界への信仰”。
その意味の、「なるべくして、なった」に感じられます。
あるいは、別の言い方をするなら、神への祈りと言ってもいいかもしれません。
七草にちかは八雲なみという神を恃み、
それを否定したシャニPは、報われるべきが報われる公平なる世界という、彼の神に祈ったのです。それがたとえ、公平世界誤謬なんて呼ばれる、祈りを根に生まれた切ない思い込みであったとしても。
ちなみに、七草にちか擁するSHHisとともに登場した新キャラクター、斑鳩ルカの公式紹介文はこちら。
カミサマだってさ。
余談1・丸戸史明感について
W.I.N.G.七草にちか編に限った話ではないんですが、しかしながら特に今回、なんかめちゃくちゃ丸戸史明先生の息吹を感じました。ストーリーもそうだし、テキストや演出まわりもそう。
特に、『パルフェ』や『この青空に約束を』あたりのころの丸戸史明先生っぽさというか……。
こことかモロですよ、モロ。
熱烈な丸戸史明フォロワーがシナリオチーム内に居る気がしてならない。
細かいこと言うなら、このセリフとかも凄かった。
このね、このセリフ回しと『?』の使い方ね……。
余談2・にちかの罪について
シャニPを脅したシーンについて、洒落になっていない悪質な行為と先に書きましたが、ここはシャニマスのうまいところであって、見方によっては事情が違う可能性があります。
どういうことかというと、あれは他人にやったらほんとうに洒落になっておらず、事実、シャニPから見ればあの時点のにちかは見知らぬ他人に他なりませんが、にちかから見たシャニPは違ったのかもしれません。
なぜならシャニPは、単にアイドルたちのプロデューサーであるのと同時に、283プロの一員だからです。
社長と七草家父の件があり、はづきが働いているのもあって、283プロと七草家は縁深い関係にあります。だからにちかから見ると、一方的にではありますが、このときもう既に、シャニPはいくらか身内の感覚であった可能性があります。
また、姉のはづきが家でいろいろで話してもいるのかもしれませんね。
会ったことはないけれど、親しい人の口からよく聞いているうちになんだか勝手にその人とも親しくなったつもりになってしまう……なんてこと、わりとあるある。そういう心理がにちかにも働いていたのかもしれません。
つまり、あのときのにちかは、「普通だったらほんとうの脅しになってしまうけれど、親しい(気がしている)相手だからギリギリそうはならないはずで、でも過激な行為は過激な行為だから、自分の本気を示すシグナルになるはず」と思っていたところがあるような気もする、みたいな話です。
もしこれが正しいのだとすると、あの時点ですでににちかは、シャニPにかなり甘えていたとも言えるでしょう。それはあるいは、シャニPの中に無意識に、父の面影を見てしまったからなのかもしれません(はづきや社長からすると、シャニPは亡くなった七草父に似たところがあるらしい)。
七草家特攻の付いた男、シャニP。