先走り祝い酒の迎え酒

 ガチめに三年経過したっぽい。

 でも先走り祝いしちゃって忘れてた……。

 サイゲからもらった勇気で下書きを書きながら、別の下書きを一本書き終えて、挿絵どないしょーかなと思って気付いた。いや三年、経っとるやないかい。いちど祝ったら飽きちゃった……ってコト?

 確かに「沼」好き人間の鳴き声が響き渡るこの世界では、祝い酒に迎え酒で溺れ尽くす輩が後を絶たない。釣りたい思いと釣られたい思いのマッチングでロングラン公演のシャトルランをする者達の流行り病がかしましい。

 でも普通は二度見しない。それはシツレイだから。ニンジャ界においてシツレイは万死に値する。一度きりの人生は振り返ざることガンマンのごとし。ニンジャだけど。普通のニンジャは一度鑑賞した作品を見返すことなどないのだ。

 世を忍ぶ仮の姿(ありのままの真実)でつつましくすみっコぐらしを営むサラリマン・オブザ・我としても、たといゴールデン街のごとくキラめいた休暇が眼前に迫り来たとて動揺することなどない。むしろ3ヶ月に一度洗わねばならぬオフトゥンとシーツを洗う習慣が三年越しに、つつつつつつついに、破られてしまったことの方がどどどどど動揺に相応しかわい。

 得ようと思ったらまず与えよ。

 noteを三年書く実績解除。3ヶ月に一度の清潔習慣を天に返上。

 いや待てラップを刻んでいる場合ではない。これはひょっとしてひょっとすると退行というのではなかろうか? まあそういう解釈もある。これは三歩進んで二歩下がっているだけ。解釈のひとつに過ぎない。そうこれは概念的に散歩してるだけ。無限の可能性がある。寄り道であるという可能性もある。まだ慌てる時間じゃない。

 なんでもはできない。できることしかできない。

 カイシャク権を手放してはならない。実るほどこうべを垂れる稲穂かな。いや首を刈り取ってほしいわけじゃない。生と死は表裏一体なだけだから。三年経過したことは、三年経過したという事実の適示に過ぎない……そうだろう?(※つらい事実を飲み過ぎた酩酊)

 近年は長期休暇で週一の日記を書き忘れる事態が増えているため、むしろこうして事前にタマを仕込みながらあえて日記回を書くことで次回の「忘れ」に備えて自戒しているのではあるまいか。そうこれは圧倒的成長。

 絶対に週一で日記を書く、というのはそんなに絶対的にしてもしゃーなしに、まぁつぶやきでもいっかとか、逆に考えて投稿を忘れちゃってもいいさ、とかそういう圧倒的成長ナマケグセの先に、予め魔法サボリカードを場に伏せる。そういう超絶技巧を習得したということ。

 えんじにゃーの一匹として、怠惰をなまけるなんてそんな滅相もない。誠心誠意、不誠実に怠惰に励んでのことなのだ。これでターンエンド。それでは迎えよう……次年度のターンをよ……!

われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……