似非イングリッシュ関西弁翻訳便利説
この記事はすべてウソのため、常識人はお帰り下さい。
とくに真実がほしいひと。疾くお帰り下さい。
書いてみたら思ったよりアツくなってしまった。
* * * * *
掲題の件、どこかで実践されている技術だったような、耳にした記憶だけはあるのだが、と思って検索したもののイマイチ引っ掛からなかった。どうも複数の記憶を横断的に誤解してしまったらしい。
ネイティブ関西人、エセ関西弁をすきになれるひとを見たことがない。しかしエセ日本語を使う外人をすきになれるひとは多い。同族嫌悪だろうか? それとも "me" の漲る自身、圧のつよさゆえか?
ところがどっこい英語辞典ですら米英豪があってな、州の方言もあってな、つまりそれぞれの言語には運用法ってモンがあるわけだ。
ところでURLが<kansai-ben-no-nyuansu-wo-eigo-ni-honyaku-dekiru-mono-de-shou-ka>なのなんでやねん。Quoraなんでやねん(もう怒られるエセ関西弁)。記事IDとかちゃうんかい。
であれば、逆に考えてほしいのだが、なぜ英語が関西弁と一緒の特性を持っていてはいけないのか? いけなくはないのでは? 日本語よりも中国語と英語の方が語順が近いことに対する感想はどうなっているのかな? と言いたくなってしまう。社会の事情と言語の事情は必ずしも同一ではないのはやむを得ないのでは?
だから英語を翻訳するのに "エセ" 関西弁が便利~~~ってゆってるだろが。ネイティブ関西弁が便利とわゆってないだろが。エセだって宣言しとるやろがい。ウソちゃうわい。
てなわけでひとつ実践しよう。
どうか。英語むりの民。こんなもん、ちょいと英語圏でニュース見ようと思ったらイントロダクションで逃げ出すレベルのしょーもない文章なのである(自戒)。だが我々にはあまりに致命的。なんや……この……たったひとつの段落で……改行が……ない……ッ!
だが落ち着いてエセ関西人を召喚してほしい。
どうか。英語むりの民たちよ。
なんかちょっとわかれへんがわかるようなった感じあるないか? あるアルな? Youエセ日本語すきないか? 太陽のメンタル携えし偽物ってkawaiiないか? これ実はバリバリのネイティブ米国人とか英国人でもなくて豪州人ですらなく、インドとかインドネシアとか太陽に愛されてそうな民たちの英語だがな! グワッハッハ!!
だが現実の英語である。
マジのガチで我、今こんな英語とふつうに闘ってるの。
機械翻訳に通さず一気に書けたの初めてなの。ほめて。
だいたいあってるのでは?
でも「読んだときの楽しさ」が違うのでは???
せやろ? せやない? せやろが!!
多分に言えることとしては関西弁じゃなくていい。口語体ならなんでもいい。できれば「いつも使ってない」わりに、脳内ですらすら言葉が出てくる口語体がいい。それがおまえの第二言語だ。アナザーバイブスだ。つまりネイティブ関西人各位なら東京ギャル語彙を遣えばよろしい。
例えばこうだ。
さいきん関東圏ではLOVE♡HOUGENが花盛りであるが、おらさ東京いくだ(優秀な奴東京いきがち)からのいなかっぺ罵倒からの、誰でも東京いくさからの、むしろ小規模共同体適応障害ゆえのおらさ東京にげるだの現代。一昔前のすべてが逆転した現代。方言を持ちし者とは標準語とのバイリンガルと解釈すべきだろう。
* * * * *
実際、確定的に明らかなことだが、世の中は間違った言葉であふれているのだ。真に正しきものなどなにひとつない。世界共通語と言われた英語ですらkonozamaなのだ。訛り。それは州ですら違ってくるもの。県をまたげば変わるもの。英語辞典でも米英たまに豪の三種類違ってくるもの。どれが正しいんじゃボケ。泣くぞ。
だがグローバル社会においてインド英語程度にうろたえている場合ではない。間違えたイントネーション、間違えた文法。そんなものでキョドっているのは我々日ノ本の民だけ。でもその恥の文化……きらいじゃないょ……kawaiiから……。
しかしあろうことか、かつての学校の英語教師、FPSできたねえ英語の交流できなそうではないか。そんな「死んだ英語」で何ができよう? 相手の「殺してくる英語」を返り討ちにしなければならない試合で?
仕事の現場でそんなもんは容赦されない。おまえはペンダゴンで働くつもりか? それにしたかてスラングは当然に解釈したうえで正しいパリッとした標準語を使えよ。という話である。むしろ厳しい。
そして大抵のバイリンガル日本人が言うところの「英語脳に切り替わる」だの「なんか自己主張つよめになる」といった脳/性格への影響。つまりコトダマのパゥワー。これは日本だいすきYoutuber外国人の民から逆Verの語りを見聞きするところ。
なぜ人間は外国に帰化するか。
なぜその現象を「帰化」と言うか。
帰りたい。いつか帰るところに。
そう。あったかい我が家に帰りたい。
わたしはSEKISUIの手の者ではない。
ミュージカルめいて踊りたいだけの人生だった。たまたま運命のイタズラでバイブスのまちがえた国に生まれたので帰りたい。ただそれだけなのだ。あるいは両方のバイブスがすきなだけ。実家に帰らせて頂きます。あるいはバケーションで別荘に帰ります。そういうことなのだ。
従い、例え下手糞偽物英語であろうとも、いやむしろ「完成形」に至る不完全なバブいアカチャンの身であればこそ、マッマにパーパがブーブーでマンマしか言えないからこそそうすべきなのだ。
語順は身体で理解るべきなのだ。日本語の思考で英語をやろうとすな。英語は英語で遂行しかないのだ。これは君の知らない偽物語。あのとおくとおくしらない運命の──あふれてこぼれおちる、可能性の満ち引きのするところ──ディラックの海に浮かぶ北極星を見に行こう。
うるせえ。いいから観察。能書きはとうに垂れた。累計約6,000文字の御託はもはや要らねえ。拳で語れ。とにかく遂行。いますぐ遂行。おまえが苦手な英語に出会い次第、可及的速やかに遂行。おれたちは遂行しかないんだ。赤子のように無邪気に破壊するしかない。
言葉の神をも殺せ。
おまえは今までに食った肉の数を覚えているか? 草は? おれたちはいったいどれだけの屍の上に立っているというのか? 初心を思い出したか? おれは初心を貼った。創造の想像は破壊から。つまりおれはずっと初心だった。おまえはどうだ? ──そうか。
ならやれ。やろう。やっていくぞ。
話はそれからだ。
愚痴は「やった」からこぼれてしまうんだ。
参考文献:
筆者が「海」を指すときは主にこの用法。指すっていうか妄想レイヤーで連想ってしまうんだな。非現実は現実ではないがシミュレーションとして使えないこともない。だが頼りない。それを理解ったうえでフィクションの力を振るうのが変態紳士の嗜みなのだ。
ヲタク界隈が「海」について語りがちなのは多分これのせい。原神とか崩壊スターレイルのPもエヴァすきの民ってゆってたから。まさにミームは「海」を越えて受け継がれているんだな。
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……