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NY2日目(31日目)

アメリカ横断旅行31日目。

明日の早朝にはニューヨークから日本へ戻る。実質アメリカ横断旅行最終日だ。

長かったようであっという間の1か月。まだまだアメリカにいたいくらい、アメリカが好きになった。

朝ごはんはニューヨーカー好みなのか、珍しくベーグルがあった。オシャレな空間で食べるいつもの無料朝食はなんだか贅沢な気分にさせてくれた。

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いつものように次女が夫のコーヒーを入れて車まで運んでくれる。この景色も見納め。

さて、宿をチェックアウトし、マンハッタンと反対方向に車を走らせる。ウェストオレンジという町にあるエジソン国立歴史公園へ。

もちろんこちらは夫のリクエスト。

煉瓦造りの建物はエジソンの自宅や発明会社の研究所と工場だった場所らしい。周囲には雪が残りマンハッタンからそれほど離れていないのに、静かな田舎といった風情だ。

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まずは施設内のビジターセンターへ。

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”To invent,you need a good imagination and a pile of junk.  発明にはイマジネーションとたくさんのガラクタが必要だ!”

エジソンは彼の生涯で1300もの発明品を生み出したと言われている。

映画もエジソンの発明品の一つで、まずはショートフィルムで彼の生涯を学ぶ。

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この工場には多い時には200名ほどの従業員がいて、働くのが大好きなエジソン社長のもと、めちゃくちゃ働かされていたそう。

建物を移り、工場のような大きな施設の中に、エジソンが独学で学んだ図書室を再現した部屋があった。エジソンは小学校で1+1=2ではなく1+1=1ではないか。(粘土の塊を2つくっつけたら1個になるのではと彼は言った)となぜなぜ攻撃で先生を困らせていたそう。

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学校の問題児となったエジソン少年を母親は退学させ、この図書室で母親自ら彼の学び(実験)のサポートをしたという。エジソンの学歴は小学校中退なのだ。

子供の”なぜ”は今ではとても大切なことだと教えられているが、この時代にその重要性、エジソンの個性を大切にしたに母親も素晴らしい。

工場にはエジソンが発明に使用した多くのガラクタや実際の発明品の数々、そして機械が並ぶ。

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ところどころに、キッズ向けの体験型知的遊具もあり、自由に子供たちは遊んでいた。

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エジソンといえば、電球の発明。そして発明家としてだけではなく、特許出願をしてビジネスに展開する起業家としての側面もあった。

中でもジャック・ウォルチで有名な世界最大の総合電機メーカーゼネラル・エレクトリック社(=GE)は元はエジソンが立ち上げた電気会社を買収してできた企業で、当初エジソンが経営しており、エジソンGEという名称で社長を勤めていたらしい。

しかし、会社が大きくなるにつれて幹部と対立し、社長のみならず会社名からもエジソンの名前が削除されるに至ったようだ。

また、この展示エリアには彼の友人の一人であり、エジソンを生涯にわたり尊敬していたとされるヘンリー・フォードとのプレイべートショットがいくつか飾られていた。

ヘンリー・フォードはエジソンの会社の従業員時代に車の開発への思いを膨らませ、エジソンの励ましのもと、フォードを立ち上げ成功に導いた。

自動車の発明は残念ながらフォードではなかったが、彼は自動車を大量生産し、その普及に甚大な功績を残したようだ。

夫曰く、フォードはエジソンが好きすぎて、エジソン亡き後、彼の工場を土ごとごっそり自分のデトロイトの工場敷地内に移動したという。

現在もその移築された工場がデトロイトにあるようで夫は次回アメリカに来たらそこを見に行きたいと言っていた。

エジソンはこの工場エリアより敷地内の別棟の実験室にこもっていることが多かったようだ。当時のままの実験室を施錠されたドアの窓から眺めることができる。

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そこにはまるでエジソンが白衣を着て立っているかのようだった。

理系にまったく興味のない私に似ず、長女はエジソンの自伝漫画を読んでおり

”天才は1%のひらめき、99%の努力だよね!”

と素晴らしい名言を最後に披露しエジソンと記念撮影をしていた。

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その後、再びマンハッタンへ向かう。

マンハッタンでは昨日と同じロウワ―マンハッタンのパーキングへ車を停める。

その後、徒歩でウォール街へ。ここにもビジターセンターがあり、ウォール街の歴史を簡単に学ぶことができる。

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そのまま歩いて、リバーサイドにあるピア17にてランチ。

東西を川に囲まれた細長いマンハッタン。川に面して”ピア”と呼ばれるちょっとした娯楽施設がある。どのお店もマンハッタンらしくオシャレ。

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Chloéがプロデュースするビーガンカフェに行きたかったが、子供たちにま無理なので、ガラス張りのオシャレなカフェ風レストランへ。

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ランチ後は歩いてWTC(ワールドトレードセンター)跡地へ。

911後、新しく建設されたひときわ高い建物ワンワールドトレードセンターが目印に歩く。

ワンワールドトレードセンターのすぐ隣には911メモリアルミュージアムがある。

地下にあるミュージアムには焼け崩れた柱や消防車などが当時の姿のまま展示されている。

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子どもたちにとって、初めて触れるテロの現実。3000人近い方々が亡くなり、その中には日本人もいたということ。そんなことが写真や実物展示だけでなく、当時の悲惨な様子が映像として流されている。

こんな悲しい歴史が自分たちが生まれる少し前にあったことが衝撃だったようだ。

外に出てもう2つのタワーがあった場所、そのままの大きさで2つの池のようなモニュメントになっていた。四方に犠牲者の名前が刻まれている。そこは悲しみを流し続けてくれるように水が優しく落ち、静かで神聖な場所だ。

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地下鉄の駅も白い鳩が両翼を広げ飛び立つようなデザイン。グランドゼロと呼ばれるこのエリアはニューヨーカー、アメリカの人々にとって当時の忌々しい記憶を呼び覚まし、亡くなった多くの人々を追悼する場所なので、子供たちにも、事前にこの場所がどんな場所なのか、亡くなったご遺族もいるかもしれないから、なるべく静かに見学するようこの時ばかりは注意していた。

そこからセントラルパークへ移動。ここは地下鉄を利用。

どこまで乗っても3ドル/1回という地下鉄料金は日本の距離別料金に慣れていると少し高いように感じる。

子供たちは初地下鉄体験。電車好きなのと見るものすべてが珍しく楽しんでいた。

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72St駅に到着し、地上へ。

上がるとすぐそこにはジョンレノン夫妻が住み、ジョンレノンが暗殺されたダコタハウスがあった。

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そのままセントラルパークへ入り、ストロベリーフィールズへ。ジョンレノンの死を追悼したモニュメント。

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10年以上前の独身時代に来たマンハッタンは911前はとても平和で明るかった。よく地下鉄でこの公園に来て、カフェでお茶したり、散歩したりのんびりと過ごした思い出の場所だ。

しかし、911後にはその姿は一変。明るかった秋のマンハッタンの街は灰色に染まり、このセントラルパークのこの場所でキャンドルが途絶えることはなく、ひたすら平和への祈りをささげる人を見かけた。

2001年の秋。私は転職期間の休みを利用して1か月ほどニューヨークを拠点に他の東海岸を旅行する予定だった。9月初旬にニューヨークに入り、ほぼ毎日TICKETでお気に入りのブロードウェイのチケットを探した。(*TICKETはブロードウェイの格安チケット販売所。当日のチケットが余っていればほぼ半額ほどの安さで当時は購入できた)

TICKETは当時ツインタワーの1階にあったと思う。そこに通いながらツインタワーの展望台があることは知っていたが、9月10日に友人の住むアトランタに移動することになっていたため、ニューヨークに戻ってきてから展望台に上がろうと思っていた。

しかし、アトランタの友人宅で迎えた9月11日の朝、友人宅のテレビでツインビルに飛行機が突入する様子を見る。それはスローモーションのようで映画を見ているかのようだった。

その後、ニューヨークへの飛行機が再開するのを待ち、一旦ニューヨークへ戻り、あの明るくキラキラしていたマンハッタンが暗闇に覆われ、毎日のように通っていたマンハッタンのシンボル、ツインタワーはなくなり、2度と展望台で上ることはできなくなった。

私の人生であの2001年9月の2つのマンハッタンの景色は忘れることがないだろう。

そんなことを思い出しながら、子供たちと公園内を散策。

冬ということもあり、寒々として人も少なく、こんな大きな岩があったのかと驚くほど巨岩があり、子供たちは走って登って楽しんでいた。

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どんな場所にいても、1日のうち一度でも、こうして体を思い切り動かすことが子供たちにとって何よりのストレス発散なのだと感じた。

ここにも少し雪が残っていたが、寒さはワシントンよりはましだった。

そこから華やかなブティックが並ぶ5番街を歩く。トランプタワーの前にトランプそっくりの大道芸人がいてこんな景色もアメリカらしくて楽しい。

向かった先はロックフェラーセンター。冬の間オープンする映画でも有名な小さなスケートリンクがある。

センターの展望台に上ろうと思ったのだが、思いのほかチケットが高額で子供たちも皆疲れ果てていたので、あきらめて地下の食事エリアで休もうと向かうと、amazon goを発見。

私と夫は6月にシアトルを夫婦で訪れる機会があり、先に体験していたのだが、子供たちは初体験。

ほんとに勝手にとってきていいのかな?と恐る恐るコーラ1本買って戻ってきた。

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そしてニューヨークと言えば、チーズケーキだろうと夫が調べ、近くにある有名なチーズケーキ屋”マグノリアベーカリー”でニューヨークチーズケーキをテイクアウト。

その後、さらにマンハッタンを南下しながら歩き、タイムズスクウェアへ。液晶広告だらけで昼間のように明るい。

大晦日にテレビで見た場所だよと子供たちに説明しながら、世界中から集った観光客の熱気とトランプへ抗議するプラカードを持つデモ隊、それを見守る馬に乗った警察、相変わらず仮装している大道芸の?人々などなど。

それぞれが自由に生きている。

日本でいえば、ここは渋谷のスクランブル交差点だろうか。そこに座り、歩いている人々を見ているだけでも楽しい。

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あ、この仮装している人々は写真を撮ろうよ。とフレンドリーに近寄ってくるが、写真撮影後にお金をとるらしいので注意が必要だ。

その後、ロウワ―マンハッタンの駐車場まで地下鉄で戻ろうとするも子供たちが疲れ果て、限界に近そうだったのでタクシーで移動。

タクシーに乗ったとたんに下二人は爆睡した。よっぽど疲れていたのだろう。

駐車場はビルの中の立体駐車場。鍵を預けるタイプで半日ほどおいて30ドルぐらいだっただろうか。高いのは覚悟していてので、できる限り駐車時間を短くしようと心掛けた。

そして、明日の早朝の飛行機がジョン・F・ケネディ空港からだったため、ブルックリン方面へ走り、ジャマイカ地区のベストウェスタンへチェックイン。

ホテルチェックイン時には21時を回っていたが、この旅行中に残っていたカップヌードルやお菓子、そしてアメリカ横断旅行最終日のお祝いに、買ってきたばかりのニューヨークチーズケーキを食べる。

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このチーズケーキが濃厚で甘すぎず、とても美味しく、疲れ果てていた体に優しかった。

明日は5時起き。荷物の最終確認等をしながらベッドへ入ったのは深夜を回っていた。


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