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ダニーデン6日目(学校1日目)

ニュージーランドの新学期は2月から。

1年は4ターム(学期)に分かれている。1学期は1月末もしくは2月初旬から4月中旬。2週間ほどお休み。そして2学期は4月下旬から7月初旬。2週間ほどお休みをはさんで3学期が7月中旬から9月末。やはり2週間ほど休んで4学期が10月中旬から12月中旬まで。

また、個人を尊重するニュージーランドらしく入学式というようなものはなく、基本5歳の誕生日を迎えた日に小学校に入学する。

つまり学期がスタートした2月は少人数でスタートし、1年が終わる12月には同じクラスの生徒が増えているとうことになる。

ではどうやって最初のクラスに生徒がいるのかというと、2月~7月初旬の前期に入学した子供は翌年の2月から新学年に進級。7月から12月に入学した子供は翌年から同じ学年をもう一度受けるということになるのだ。もちろん、保護者や子どもの成長や希望に合わせるのが前提で、上記はあくまでも目安である。

また、日本と異なり、13年間で小学校から高校までをカバーし、YEAR1(5歳)~YEAR6(10歳)が日本でいう小学校。YEAR7(11歳)、YEAR8(12歳)の2学年が中学校。YEAR9(13歳)~YEAR13(18歳)までが高校。と分かれている。

YEAR12までが義務教育でこの年までにニュージーランドのNCEA
(National Certificate of Educational Achievement)というテストに合格すれば卒業し大学に入学できる。

当初は欧米と同様、9月入学なのかと思っていたが、2月入学とは驚いた。

我々が通った”George Street Normal School”は街の中心街の少しはずれにある公立小学校。

後日保護者に聞いたところによると、町の中心部にあり、オタゴ大学や大学病院のすぐそばということもあり、大学関係者や病院関係者の子供が多いとのことだった。

時間は朝9時から15時。必ず親の送迎が必要だ。普通に勤務している保護者には難しい時間だろうと思っていたが、その後、この国では在宅勤務をしているフリーランスや職場を離れ、子供の送迎をすることを認めてくれる寛容な社会があることを知る。

家から車で15分ほど走り、学校に到着。ほとんどの保護者が車で送迎しているので、送迎時間は学校周辺の道路脇の短時間駐車場がいっぱいだ。空いた車を見つけすぐに駐車。

この日も、長い夏休みを終えて久しぶりの登校となった生徒が保護者に連れられて学校に入っていった。

学校は大きな校庭と森の斜面を利用した裏庭を持ち、数名の子どもたちが裏庭や校庭の隅にある遊具で遊んでいた。高い金網フェンスで囲まれ、入口は2か所程度だろうか。送迎時は簡易施錠で外から手を伸ばして開けることができる。

我々はまずは校長にご挨拶。

ニュージーランドに留学すると決めてから渋谷にあるDEOW留学センターという留学斡旋会社に夫がコンタクトし、1ヵ月という短い期間受け入れてくれる学校を探していた。

12月中旬からニュージーランドの学校は長期休暇となるので、12月中旬までが勝負と言われていた。

我々が思い立ったのも、11月くらいだったので、11月中旬くらいにニュージーランドに留学先を決定し、そこから受け入れ可能な現地校を探してもらう。

ニュージーランドの学校が夏休みに入る12月中旬まで1ヵ月を切っていたと思うが、英語ができない3人の子供を受け入れてくれる学校がよく見つかったものだ。

ただ、当初予定していたのは1月末から2月末までの1ヵ月間の留学。

しかし、この受け入れ学校の新学期スタートが2月第1週からとなっており、残念ながら3週間の留学となったのだった。(*早い学校は1月末から新学期がスタートする)

留学センターとのやり取りは夫が担当しており、受け入れ学校決定後、我々はアメリカ横断旅行に行くまでの間に、学校側に提出する各種ワクチン接種証明書、入学書類等を準備した。

その後、バタバタとアメリカ横断旅行に出かけていたので、あまり受け入れ学校の情報を得ていなかったのだが、当日は8時半に学校に行き、校長を訪ねてくださいとのみ斡旋会社から連絡をもらっていたのだった。

といった状況でとにかく学校にいけば何とかなるね。という程度で校長を訪ねたのだった。

しかし、初めての海外の小学校を訪ね、どこに先生がいるのかさえも分からなかった。子供たちが入っていく入口の奥に事務室があり、そこの女性に校長先生を呼んでほしいと伝えると、道路に出て子供たちの登校を見守っていたふっくらとした50代くらいの女性がニコニコと戻ってきた。Tシャツにジーパン姿。交通指導の黄色いビブスを着用した彼女が校長先生だった。

我々からは3人の子どもを紹介し、校長からは学校に関してはHPがあるからそれを見てね。と言われ、早速クラスに行くことに。

校舎は2階建て大きな校舎と少し離れたところに平屋の校舎があり、我々は平屋のほうに連れていかれた。

そこで、11歳の長女と8歳の次女は同じクラス。6歳の長男は別のクラスということを聞いて驚く。年齢が異なる子供がまさま同じクラスとは思わなかった。

平屋の校舎には2つのクラスがあり長女と次女はmodel1クラスに長男は隣のmodel2のクラスに分かれて教室に入る。

model1クラス担任はMr.Tamblynという男性。いつもジャケットにネクタイというダンデイーな先生だ。Model2のクラス担任はMs.Michele Nicolauといいう女性。まるでアパレルメーカーに勤務しているかのような革ジャンに柄パンというスタイリッシュないでたちに驚いたが、どちらもベテランの教師とのことで安心した。

次女は大喜び、しかし長男は一人違うクラスで教室に入る前にひとしきり泣いて入れなかった。

事前にリクエストや質問をしなかった我々も悪いのだが、できれば3人が違うクラスで過ごしてほしいと思っていたこともあり、その場で、校長に次女は別のクラスにしてほしいとリクエストしたが、滞在時間も3週間と短く、今から手配はできないとこの体制で行くこととなった。

長男をなんとかなだめて教室に入れ、少し様子を眺めていると、明らかに年齢の異なる子供たちが一緒のクラスで勉強している。また、教材らしきものはなく、テーブルと椅子はあるが、子供たちは皆、地べたに座って先生の話を聞いていたり、中には寝転がって先生の話を聞いている子供もいる。

日本では考えられないが、席も自由、しょってきたリュックサックも空いているフックにかけてねとすべてが自由だ。

教科書も配布されなく、当日先生からノートと鉛筆が配られた。

保護者は子供を教室に送ると先生と立話をする人もいるが、ほとんどの保護者がすぐに帰っていく。

我々も初日こそ少し教室に入って子供のフォローをしたが、すぐに帰ってくださいと言われ、心配そうな子供たちを残し夫と二人車へ。

町のはずれにある”WOLF AT THE DOOR"というカフェへ。

少しの手作りパンとこだわりコーヒーを提供するこじんまりとした小さなカフェ。

しかし、壁に描かれたイラストやところどころに飾られた野の花を挿した花瓶。オーナーのこだわりを感じる居心地の良いカフェだった。

そこで少し時間をつぶし、家に戻ったのち、お迎え時間の15時前に学校に到着すると、校庭で遊んでいた長男が私を見つけ”ママ―”と抱きついてきた。

きっと一人で英語の波にもまれ大変だったんだろう。すぐに先生に呼び戻されていたが。。。

子どもたちを迎え、車の中や夕食中に学校の様子を聞く。

長男は英語がわからずつまらなかった。と。同じクラスの長女と次女は次女がひたすら長女にくっついて回り、少しは英語がわかるようになっていた長女が通訳しながらなんとか初日を終えたよう。もちろん、次女は一言も英語を話さなかったと長女の弁。

長女は英語はほとんどわからないが、Eva(イーバ)という女の子に親切にフォローしてもらい、嬉しかったよう。少し英語で会話もしたようだった。

何より、子供たちが興奮していたのは午前中の休み時間にあるスナックタイム。”モーニングティー”と呼ばれているそうで、10時から10時半くらいに持ってきたフルーツやらスナック(ポテトチップス)を校庭や裏庭など好きな場所で自由に食べてよいそうだ。

この時間に30分もおやつタイム?と不思議だが、このあと12時半から1時間ほど昼食の時間もあるのだから、勉強という勉強はなさそう。

夕食は自宅で昨晩のリベンジ、鶏肉をオーブンで焼いたものと、ムール貝を購入できたので、ムール貝のバター蒸しにした。

宿題はないというので、姉妹は恒例の日記を書いて、長男は文字が書けないため、今日あったこと、感じたことを自分のiPhoneのビデオにおさめていた。

これからの3週間。親である私たちもこの学校の仕組みが何もわからないままであったが、ま、なんとかなるだろうと学校初日を終えた。






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