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レポ②豊島将之九段とタイトル戦擬似体験in山水館~新関西将棋会館建設クラウドファンディング~



第二章 「大丈夫ですか?」


 二組目の3名さんが戻って来られた。スタッフさんが「では、7番、8番、9番の方」と呼ぶ。相沢の心の準備はまだできていなかった。いや、どれだけ時間があったとしてもそんなものできないだろう。もう行くしかないのである。
 スタッフさんに続いて、壁1枚しか隔てていない隣の部屋へと向かう。実際にタイトル戦が指された部屋だ。沓脱に、きちんと揃えられた草履があった。「ここここれはまままさか豊島先生の」と思うが、事ここにいたって心臓は落ち着いている。スリッパを脱ぎ和室に足を踏み入れ、相沢は見た。鮮やかな黄色。盤駒を前に掛け軸を背に、豊島将之九段がそこに立っていた。

 相沢がまず思ったのは、「和服、お着物、羽織、きいろ!」だった。
 なんとなく青系の羽織を想像していた。一目見て「鮮やか」と思ったが、それは黄色というか白に近いクリーム色、鮮やかというよりはさわやか。たぶん黄色って着こなすのが難しい色だと思う。だけど豊島先生にはとてもよく似合っている。いつも思うのだが、豊島先生ってどんな色でも似合う。青でも白でも赤でも紫でも黄色でも。個人的には緑だけはそうでもないと思っているけど(え?)。
 そして、これは昨年のJT杯の広瀬八段戦でお召しになっていたものだと思った。
 その対局は本来、新潟で行われる公開対局だった。それは相沢にとって初めて参加する将棋イベントであり、初めて豊島先生を生で見る日になるはずだったのだが、直前で無観客でのスタジオ対局に変更されたのだ。
 予定通り公開対局が行われていれば、相沢が生で見るはずだったお召し物だ。しかし「豊島先生、あのとき見られなかった私のために」などという傲慢な感想を思いついたのは後のこと。このときは「豊島先生は実在したんだ」「そこにいるんだ」「ほんとに来ちゃった」「粗相がないようにしなければ」「変な人だと思われたら死ぬ」「ていうかどうしようどうしよう始まる」というような感情と理性のせめぎあいで、推しが目の前にいるという状況を脳が処理できないのか心臓は暴れもせず、思考停止の感があるのに頭はいろんなことを考えているような、よくわからない状態になっていた。今書いてても何言ってるのかよくわからない。

「それでは、○○様から……」

 スタッフさんにまず名前を呼ばれたのは相沢だった。7番なのだから、自分がこのグループの一番手であることはわかっていた。相沢翔子は無論偽名だが、本名もあいうえお順では最初の方で、クラスで出席番号1番になったこともある。もしこのイベントが名前の順で1番目になっちゃったらどうしようと事前にこっそり心配もしていた。しかし今日はここまで、豊島先生はすでに6人の方に対応されている。相沢は7番目だ。
「いやあああ無理です心の準備があああ」などと言うわけにはいかず、かといって意を決するということもできず、相沢は盤の前に座った。初形に並べられた駒、盤の向こうには豊島将之九段が座っている。おいマジか。


 相沢が豊島先生を知ってからの2年足らずという短い期間にさえ、いろんなことがあった。
 相沢は何度も、豊島将之という棋士をなんて強い人だと思った。なんて美しい人なんだと思った。なんて優しい人なんだと思った。なんてすばらしい人なんだと思った。そして、相沢が知っている時間よりも、知らない時間の方がはるかに長い。うんと小さなころからその華奢な体で数々のとんでもないことを体験し成し遂げてきたものすごい人が、今、相沢の目の前にいるのである。そんなの、どうやって理解しろというのだ。

 ……というのも、あとになって思ったことかもしれない。その時は脳が動いているのかいないのか、よくわからなかった。今でもわからないけど。
 ここからの記憶は細部が曖昧である。手順前後している可能性はあるが、以下は憶えていることのほぼすべてだ。


 デジカメとスマホをスタッフさんに渡す。「2台で撮れというのか」という顔はされなかったので、たぶんそれまでも複数台での撮影を希望された参加者さんがいたのだろう。豊島先生はにこにこされていた。豊島先生が微笑んでこちらを見ている……!
 よろしくお願いします、と頭を下げあった後、相沢は逡巡した。黙っていてもわからないだろうとも思ったが、疑似体験とはいえ神聖な場所でトップ棋士の先生と盤を挟むのだから、やはり断るべきだと思った。思い切って切り出す。

「あの、年末に左足を骨折しまして」
「ああー……」(←豊島先生の「ああー……」だ! いつも画面越しに見てきた「ああー……」だ!)
「ちょっと変な正座になるんですけど、すみません」

 ここで、にこにこされていた豊島先生の表情が少し変わった。こちらの伝えたいことを理解してくれた、と相沢は思った。

「大丈夫ですか?」
「はい、きちんとした正座が出来なくて、ちょっと変な正座になっちゃうんですけど、もう治ってはいるんです」
「どうぞ楽にされてください」

 どんな姿勢でも構わないですよ、というように手振りまでつけてくれた豊島先生に、相沢はきちんとお礼を言えただろうか。断るべきだと判断したのにやっぱり余計なことを言ってしまったのかもしれないとすぐ後悔しそうになる相沢を、たぶん、豊島先生は気遣ってくれた。さすがに「ありがとうございます」と言ったとは思うが、どうも記憶がない。大人なのに! 豊島先生より年齢だけは上なのに! ばかばかばか私のばか!!

 そして対局体験が始まる。先手はどちらから? という雰囲気になり、相沢はごにょごにょと「私はどうしたらいいのかわかりませんので先生お願いします」というようなことを言い(どう言ったかほんとに覚えてない)、豊島先生はにこにこと初手7六歩(!)と指してくれる。豊島将之九段が相沢(ぴよ将棋9級)相手に指しているのである! そんなことがあっていいのか! いいわけあるかー!

 豊島先生の対局を観ていて、ときどき「対局相手は特等席やなあ」などと(もちろん冗談で)思うことがあった。しかし、だめだ。見れない。これ以上ない特等席に座っているのに、時間にも限りがあるのに、目の前、盤の前という聖域に正装で正座する推しを見ることができない。うわあ無理だ! とてもこの汚れた目でこんな美しい人を見られるわけがない!
 ……と思っていたのだが。後日、同じグループだった参加者さんにこのとき撮った写真を送ってもらったところ、そこには盤に視線を落とす豊島先生をガン見する相沢が写っていたのだった。しっかり見ていたのだ。人間の心理と行動はしばし乖離する。

 相沢は二手目を指す。8四歩。自分でもびっくりするくらい指が震えて、駒を持つこともままならない。心臓は静かなのでまあまあ落ち着いていると思っていたが、思考停止というか、脳が現実を曖昧にしか受け入れないようにしているだけだったのか。
 相沢はテレビなどで芸能人や野球選手が将棋を指す手つきを見るたび「ぶさいくやな」と思っていた(失礼すぎる)。棋士の手つきと比べるのはかわいそうだけど、テレビで指すならちょっとくらい練習してくればいいのにと思っていた(何様やねん)。相沢自身は実際に駒を触ったことがない。あるのは百均で買ったプラスチックの小さな駒だけで、羽生先生の初心者向けの本に書かれていた駒の持ち方や指し方を何度か練習したりもした。今日に向けて手つきのイメトレもしてきた。しかし、テレビに出ている芸能人よりはるかに不細工なのである!
 たぶん指が震えていなくても同じだっただろう。まず棋士がするような手つきでは駒をつかむことも出来ず、とにかく持ち上げるしかない。進めた駒も当然のように斜めにゆがみ、指で直そうとするが、それさえも上手くいかない。なぜだ! なぜそんなことさえできない! 豊島先生が見ているではないか! 駒を動かすのがこんなに難しいなんて!
(ちなみに、レポ➀に載せてある写真は相沢の差し手を見ている豊島先生です。「こいつめっちゃ指震えてもうてるやん(笑)」という顔に見えるんですけど、皆さんどう見えますか? 教えてもらえたら嬉しいです……)

「うわああすみませんどうしようめっちゃきたないどうしようまっすぐならない」というようなことをごにょごにょと焦りながら言う相沢。豊島先生はずっとにこにこされていたように思う。

「盤と駒でちゃんと指すの初めてなんです」(←言い訳しよった!)
「そうなんですね~(にこにこ)」

 豊島先生が三手目を指し、相沢は3四歩と指す。続いて豊島先生が五手目を指されると、もうどうしていいかわからない。

「もうどうしたらいいのかわからないです」(←ひどい)

 将棋ウォーズやぴよ将棋だと序盤は深く考えずにどんどん指しているが(考えてないのかおまえ)、トップ棋士の先生を前にプチパニックになり正直に口走った相沢に、豊島先生は自陣の駒の上で手を動かし、「この辺をこう、とかですかね~(たぶんにこにこしながら)」と教えてくれる。相沢は確かに豊島先生の手の動きを見ていたが、どの辺をどうするのかまったくわからない(ひどい)。

「こう……とかですか?」

 3二金と指し豊島先生に尋ねたが、お顔を見ることが出来なかった。豊島先生が笑っている雰囲気を感じた。今思うと汗顔の至りなのだが、その時は自分が何を思っているのかもわからなかった。

 それまでの様子をスタッフさんがカメラに収めてくれていたのだが、この辺りで、見かねたのか「何かご希望があれば」というようなことを言ってくれた。相沢は預けていたスマホをいったん返してもらい、盤の向かい側というとんでもなく贅沢な場所から豊島先生を撮らせてもらう。
 豊島先生はカメラ目線をくれた。こんなに近くで! 豊島先生が! 相沢の構えるスマホを見ている!(機種が古い恥ずかしい!)
 2枚撮らせていただいたのだが、結果としてなんとまあ2枚とも盛大にぶれていた。鼓動が大人しいのでそうでもないと思っていたが、やはりめちゃくちゃに緊張して指が震えていたのだろう。だが、後にブレブレの写真を見た相沢は、頭を抱えたいような気持ちにはならなかった。これは豊島先生が私だけにくれた目線で、この写真は私だけが撮れた豊島先生なのだから!(すみません)。
 そして「先生の指される手を撮ってもいいですか?」と、今思えばすごくもったいないことをお願いすると、なんと豊島先生はゆっくりと指を進め止め応じてくださったのである! これは前もってお願いしようと決めていたことではなく、どうして急にそんな大胆になったのか自分でもわからないのだが、ただひとつ言えることは、豊島先生の手はとても美しかった。

 その後もなんとか指していく様子を、スタッフさんがいろんな角度から撮影してくださる。ひととおり撮り終えたらしく元の位置に戻ったスタッフさんがまた「何かご希望のポーズとかあれば」と尋ねてくれる。ここで記憶が曖昧なのだが、「ふたりでカメラ見て撮りましょうか」と豊島先生が言ってくれたのか、スタッフさんが言って豊島先生が「そうですね」と言ってくれたのか、とにかく緊張している相沢を気遣ってくれたのがわかった。
 それで安心したのか、相沢は飛車を手に取り顔の横で「駒シャキーン」ポーズをして、「こんな感じでお願いできますか?」と突然リクエストをかます。豊島先生は笑って同じポーズをとってくれた。後に写真を拡大して見てみると、先生が手にした駒も飛車だった。

 5分が経ち、ラスト1分はマスクを外しての撮影が可能になる。スタッフさんが「これまでの方は盤の前に座って何枚か、あとは景色を背景に立って撮影されたりもしてました」と言ってくれて、そうしてもらうことにする。
 窓の前に移動するために立ち上がる豊島先生を、相沢はじっと見ていた。豊島先生が私と写真を撮るために動いている……実感はなかなか持てなかったけれど、何気ないしぐさもとても美しかった。

 昨年のJT杯大阪大会で、相沢は和服姿の豊島先生を始めて間近で見た。勝利棋士によるお見送りのときだ。その衝撃は忘れられない。豊島先生の周りだけ空気が違うのだ。繊細で儚げで優しく美しく、一瞬は本当に妖精かと思った。冷静に考えればそんなわけないのだから、あれは豊島先生に魔法にかけられた相沢の錯覚だったのかもしれない。
 だけど、今ここにいる豊島先生のお姿も変わらない。目も合ったし会話もしたから妖精さんでないことはわかっているけれど、将棋を指しているときの雰囲気と全然違う。本当にこの穏やかで優しくて美しいひとが、闘志を内に秘め将棋を指す豊島将之先生なのだろうか。

 相沢の6分が終わった。スタッフさんに預けていたカメラとスマホを受け取り、余韻に浸っているのか呆然としているのかよくわからない状態の相沢がふと盤を見ると、駒たちが初形に戻っていた。相沢が乱した駒が綺麗に並べ直されているのだ。あれ、いつの間に。盤の前には豊島先生が座っている。まさか先生がお戻しになったのか。相沢が放心していたのはそんなに長い時間ではなかったはずなのに。
 
 続いて8番、9番の方が体験している間は、自由に撮影することが許可されている。相沢は何が何だかわからないまま、とにかく写真は撮る(撮るんかい)。
 参加者さんとお話しされる豊島先生は、にこにこと素敵な笑顔だった。画面越しに見てきた(対局ではないときの)やさしい笑顔と同じだ。いろんなポーズのリクエストにもにこにこと応えられている。

 1人6分、14人で約一時間半。後になって思ったことだけれど、仕事とはいえ大変だっただろう。参加者はみんな高額な寄付をしてくれているわけで、豊島先生としても楽しんでもらえるように気を遣い、気苦労もなかなかなものだったはずだ。30万円出してくれた人たちをもてなすなんて、自分だったら……という想像はちょっとできそうもない。
 当日はそんな当たり前のことにまったく思い至らなかった。推しを目の前にして脳みそが正常運転できていなかったというのもあるだろうが、やっぱり豊島先生の立ち居振る舞いが自然だったからだと思う。

 8番の方が終わった後、豊島先生がさりげなく素早く盤上の駒を初形に戻されているのを見た。やっぱり先生が直してくれていたのか! それにしてもなんと美しく優雅な指の動きだ! 相沢は穴があったら入りたい!


 あっという間でとてつもなく長かった、相沢たちのグループの時間が終了した。
 隣の部屋に戻り、参加者さんたちとお話しする。

「指震えすぎてどうしようかと思いました!」
「角交換してもらえばよかった!」
「ほんとだ! 私の角を豊島先生の角で取ってもらえばよかった!」
「王手してもらえばよかった!」
「わざと王様どんどん出て行って、捕まえてもらうべきだった!」
「容赦なく詰まされたかった!」

 知らない人が聞けばこいつら何言ってんだと思うだろうが、つまりはみんな興奮状態である。いま自分が体験したことは本当の出来事だったのか? 夢だったんじゃないか?!
 普段の生活で、相沢の周りには将棋好きがいない。相沢自身も2年前まで将棋のルールさえ知らなかったのだから仕方ないのだが、やっぱり、将棋好き、豊島先生のファンの方たちと直接お話しできるのは楽しかった。年齢も棋力もこれまでの人生も違う人たちが、将棋が好き、豊島先生が好きという共通点でここに集まり、思いを共有している。

 ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう!


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