愛の消化不良/『コーダ あいのうた』感想

人と人とのコミュニケーションに際して使われるわかりやすいものに言葉があるが、当然言葉が先にあるわけではなく、気持ちが先にあって言葉が後に生まれたので、言葉で表せない気持ちなんか無限にあるはずだ。音楽を用いた映画では当然、音楽が作品を動かす大事なピースとして組み込まれるだろうけれど、この映画では歌の全てが単なるシーンではなく雄弁な台詞として機能していたので、ほとんどのシーンで泣いてしまった。というか後半30分からエンディングまでずっと泣いていたので自分がちょっと面白かった。自分の中にある大きな感情、怒りや悲しみ、愛情のようなものだって、本当は自分が思ってるよりもっともっと、ちゃんとあるということを自覚させられるような映画だった。本当は発露できていないだけで、自分という存在はもっと大きいのだということを自覚させられるような映画だった。作中でルビーが歌を歌うたびに、自分を構成する要素が思い出されて、身体に返ってくるような感覚になった。この映画を最後まで観て「愛の消化不良」という言葉が頭をよぎった。それは誰かに対してだけではなく、自分の生きてきた過去とか、出会ってきた人とか、ひいては世界に対して、自分はもっともっと大きな気持ちがあるのかもしれないと思ったということ。それは単に愛という言葉で片付くものではなく、ポジティブなものもネガティブなものも、沢山の要素が混ざった気持ちなんだけど、わたしにとって愛って多分そういうものだから、世界に対する愛情が、このちっぽけな身体の中で消化不良を起こしているということ。それは簡単にどうこうできることじゃないけれど、まずはそれを自覚するということが、自分という存在にとって心地よく、そしてそんな心地よさをくれる映画は初めてだったということです。とても素晴らしかった。

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