推し(仮)

書きたいことがあるわけではないのに、酔っ払った勢いで筆をとっている。

最近はいいことばかりだ。
好きな人がいて、好きな人に愛を伝えることができて、創作物に対してちょうどいい程度で心が動く。いいことばかりだし、精神的にとっても健康だけれど、相変わらず朝は起きれないし髪は二回洗っちゃうし課題はギリギリである。

ところで、特定の芸能人やアーティスト、インフルエンサーに対する抽象的な表現が「推し」しかない(知らない)ことにはつくづく悩まされる。
以前、友人が「『推し』は推されるべく存在している対象(アイドルなど)に対してのみ使うべきであって、バンドマンや俳優に使うのは間違っている」と言っていた。当時は「うーん、べつにいいじゃん」などと答えたけれどだんだん説得されてきた。他の言葉が見つからないのでまだ使っているけれど、使うたびじわりと嫌な気分になる。
たまに「好人(すきんちゅ)」などと言ってみるけれどどうしてもコメディ要素が強すぎるし、こんなふざけた言葉で表すべきではないなあと後悔する。(「推し」もどちらかといえばコミカルだと思うが)

なんだろうなあ、
ちなみに前述した「好きな人」は好きなバンドマンのことであるが、彼も「推し」という表現に対して「あまり美しくないですね」と言っていた。美しい彼を、本人が美しくないと思う言葉で表していたのはすごく失礼だと思った。やめよう
というか、自分で言っておいてアレだが、「好きなバンドマン」という表現すら気に食わない。わたしは彼の歌詞、曲、演奏だけでなく、声、人の見つめ方、文章、手(重要)、距離感、全てが大好きなのである。もし彼が小説家だったなら、それでもきっとわたしの「好きな小説家」になっていた筈だ。

そもそも、わたしにおける彼のような素敵な存在が、一般的な人間にはいるのだろうかという疑問すらある。
えらく自意識過剰というか自惚れた発言、あるいは井の中の蛙かもしれないが、多くの人間がこのような「推し(仮)」と共に生きているのなら世界はもうちょっと優しいはずだろと思える。

だから、これは「推されるべくして存在する人以外を『推し』と呼ぶこと」ではなく「『推し』の次元を超えた素敵な人間の呼称はなんぞや」というタイトルで議論するべきかもしれない。
とてもオタクじみたお話になってしまった。なーんだただのオタクかとブラウザバックする皆さんの顔がありありと目に浮かぶ。
当たりです、これ以上の話はできません。もう帰ってどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?