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【十種神宝修行日誌(25)】

アヲイロカナリヤ(略アヲカナ)の修行日誌です。
初めて開いてくださった方、ご縁に感謝します。
いつもご覧くださるみなさま、本当に感謝しております。
この記録がどなたかのお役に立ちますように。

本日は、先ほど原田武夫先生の情報👇を別立てで投稿させていただきましたので、日誌は手短にいたします。



<この連載は>

やまとの地で密かに守られてきた「言霊(げんれい)」の奥義を使い、弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、その習得のための修行の記録や氣づきをつづっております。

☆ 『十種神宝(とくさのかんだから)』は、白川伯王家が守り伝え、1046年から明治までの約800年にわたり天皇に伝えてきたという、宇宙創造・現実創造の原理、言霊の究極奥義。
エンペラーコード』はこれを現在一般向けの講座で伝えている白川学館監修講座の名称です。なぜそんなものをいま一般に教えているのか、についてはこちら👇からご参照ください。

👇 前回までのお話は、こちらのマガジンにてご参照いただけます。

👇 資料集です



【36日目の修行日誌】

今日も昨日に続いて、落ち着いた一日でした。
人間ですので、ワクワクウキウキしたってよいと思うのですが、
修行中、となると、浮ついた心も沈んだ心も常に平坦に制御できることを目指しているわけで、いまのわたしにとってはよいことです。

それができるようになっての、心の躍動は大いに結構、ということなのかな、と解釈しています。

意識するようになってなんとなくわかってきたのは、やはりわたくし、フワフワしてたんだなぁということ(笑)

「鎮魂」を意識しないと、「意識」がいつも頭の上の方で泳いでいる感じです。

肉体と意識が分離していて、いつも肉体が置き去りになっている、という表現もできます。

肉体年齢と精神年齢の差が年々開いていくような氣はしていましたが、これも四つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)がバラバラだったからなのかもしれません。

ただ、
「わたし」が統合されたら、普通で面白くないかもと心配しています(笑)

退屈な投稿になることもあるかと思いますが、目を通していただけること本当に励みになっております。ただただ感謝です。

●瞑想

本日も掃き掃除の後、祓詞をしっかり奏上しました。少しずつですが、身禊祓は誦じられるようになってきました。

鎮魂は、今日はなかなか集中してできました。
昨日のような、「初めて得た感覚」に近い感覚もありましたが、今日は「想念」などはあまり湧いてきません。
どこがゴールなのかまだ分かりませんが、ただ毎日やるだけです。


本日はここまでとさせていただきます。

お読みくださりありがとうございました。

みなさまにも、とほかみえみため!


【ご質問受付のお知らせ】

コメント欄にてご質問を受け付けております。

なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。

大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。

日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)

わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。

なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。



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