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ハリボテの理想。

「誰とでも仲良くできることが正解」

握りしめていたこの理想に
ようやっと気付くことができた。

この理想にしがみついていた理由は
こういう人って、""みんなに好かれるから""

実際に、基本的に誰とでも仲良くできるし
良い子だよねって、よく言われてきた人生。
どこに行っても激しく嫌われることはなかった。

「 一人でいたいなあ。喋りたくないなあ。」
って思っても、媚びへつらって笑ったり
喋りたくないのに、無理くり話をしようとする。

それで思うような反応がなかったら
「私はこれだけ気を遣っているのに!!」
って、勝手に苛立ったりしていた。(まじ勝手)



こういう握りしめていたいもの。
私は、一度みんなと仲良くするということに
おおきなおおきな、失敗をしている。

そのときに、愛を失ったという感覚になり
その経験と感覚を引っ付けていたもんだから
「みんなと仲良くできなければ
 私はまたあの時のように愛を失う。」
という、恐れの選択をしていたんですよね。

この""愛を失う"" という感覚も
ほんとうは、他人からではなく自分から。
""自分から見放されるのが怖い""
というのが、カラクリなんだけど。


ほんとうは、好き嫌いもハッキリしてるし
「皆んなと仲良くなりたい」という人間ではなく
「自分が大好きな人とだけ仲良くしたい」

興味がない人には、一切興味がない。

気分屋な性質も強くもってるので
喋りたくないときはほんとうに喋らないし
喋りたいときは一生喋ってる。

そんな私がダメだったんじゃなくて
それが私でよかったんだって、受容ができたとき
無愛想な他人を見ても一切腹が立たなくなった。

また世界に、忌み嫌う人種がいなくなった。


世界は自分で創るものだから
いつまでも笑いたくないのに笑って
喋りたくないのに喋っていると
そうしなきゃいけない世界(日々)になる。


だからこそ
笑いたくないときは笑わないし
喋りたくないときは喋らない。

そんなときに、
楽しい予定は入れないし
媚びへつらうような環境も作らない。


それが「現実創造」という
「引き寄せの法則」日常の選択。

ハリボテの私ではなく
私はBeという私を生きたい🌏

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