わたしの就活

21卒で新卒入社しました。

会社選びの絶対条件は
・事務
・面接2回以下
・グルディスなし
・住宅補助あり
・転勤なし
・残業時間が少ない
・一都三県

あったらうれしいのは
・年休120日以上
・土日休み
・固定残業代なし
・23区内
・適正検査なし
くらいでした。

業界はなんでもよかったけど、厳しいのが嫌なので、
おじさんが多そうな機械部品のメーカーや建築系の会社かつ、
大企業で同期がいっぱいいて和気あいあいも切磋琢磨もどっちも無理だし、
面接2回以下は絶対条件だったので中小企業を主に見ていました。
(大企業だと採用数が多いから引っかかりやすいという意見も見て、なるほど〜と思いました。)

大学のキャリセンは、3年のときにインターンに行くべきだよなと思ってES添削に行ったらあまりにもカスすぎる老人に対応されたときのイライラが忘れられず使いませんでした。

ESの添削はTinderで知り合った人にやってもらい、志望動機はほぼその人のものを流用していました。

30社くらい受けたと思いますが、二次面接(最終面接)に行けたのは1社だけ、落ちて残念だと思ったところもそこだけでした。
でも企業研究もしてないので大したダメージはなく、、
これが4年8月末〜9月頭くらいの話です。

もうこのあたりから諦めてきていて、とりあえず派遣会社を受けて9月に初内定。
(親に報告すると一安心だねとは言われましたがおめでとうとは言われませんでした。)

実家が小さい小さい会社をやっているので、最悪東京で派遣しながら就活して2〜3年経っても駄目だったら実家帰ればいっかくらいの気持ちになり、その時点でエントリーしてる2社で終わりにしようと決意。


採用1〜2人のところ説明会に50人くらいいて、説明会の後に適正試験を受けてESを提出。
説明会の人数が多すぎるのを見て適正検査は完全に消化試合でした。


おそらく春頃エントリーだけしていて放置していて、事務員の追加募集のメールが来たため説明会へ。
10月末の追加募集だったため、なんと面接1回でした。
この会社から内定をもらいました。

面接当日に寝坊をしましたが、別日に振り替えてもらえました。
面接直後の帰りの電車の中で電話が来て、乗り換えで降りた渋谷で折り返しました。
その直後に母親に電話をして、渋谷で平日真っ昼間にリクスーで電話をしながら号泣しました。

今の会社に引っかかっていなければ今頃は派遣かそれ以外のバイトか実家に帰っていました。

2年目の今はやりがいも目標もないしつまんないけど、
読み通りおじさんが多いし優しいし、
働かなきゃいけないし東京にいたいし、
別につらくもないので続けられています。

大学のキャリセンは進路報告の催促が何度も来ましたが、3年のときに対応された老人が忘れられずずっと無視していました。
あの老人だけは絶対に許さないし、是非退職していてほしいですね、、

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