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「音楽の力」というものについてのおはなし。

「音楽の力はすごい」とか、「音楽の力を信じて」とか、そういう言葉があんまり好きじゃなかった。

小さい頃から明らかに一番身近にあったものは“音楽”で、自分には音楽しかないと思っていた時もたくさんあった。“音楽”のすごさや魅力は嫌というほど知っていたと思う。

でも、よく世の中を見渡してみたらすごいことばっかりだ。建物が立ってること、道路が整備されていること、水が出ること、お布団があること、食料がすぐ手に入ること、電話がつながること、どれをとっても私がひとりでできることではなくて、ないとたくさんの人が生きていけなかったりして、なのに自分が「音楽の力はすごいから」というぼやっとした綺麗事のようなその理由で音楽をしていくことになんとなく疑問がずっとあった。

だから、「音楽の力を信じて」なんて言葉を口にできたことはなかった。

私は3歳からヴァイオリンを始めて、小さい頃からとても近くにあって大事だった“音楽”というものせいで辛い思いもたくさんしたし、その存在がなかったら楽なのにと思ったこともたくさんあって、自分にとって苦しみのほとんどの原因が“音楽”から来ていたりもした。

でもそんな時私を救っていったのも、いつも音楽だった。自分の世界に光を灯してくれるのも、勇気をくれるのも。そして何よりも楽しい記憶や私という人間を作ってきた過去には結局いつも“音楽”がいた。

音楽でこんなに苦しんでるのに、それ以上に音楽に助けられてる。

そんな、自分にとって憎たらしく離れられないどうしようもない存在である“音楽”というものについて語るときに「すごい」とか「信じて」とかそんな3文字で言いたくなかったという意地もあったのかもしれない。

「音楽の力」に振り回されすぎて頼りたくなかったのかもしれない。
だから音楽の力じゃなくて、自分の力で何かを届けたいと思ったりもした。

でも結局私はいつも、顔も知らなかったり背の高さもどこに住んでるのかも知らなかったりするどこかのミュージシャンの音楽に救われてしまう。
そういう時絶対思ってしまう。

自分も誰かを救えるような音楽がしたい。

その原動力が暗闇からいつも引っ張ってくれた。


そんな私は、この春から保育園の頃からの夢だったヴァイオリニストとして生きていく。結構飽きっぽい私が卒園文集で書いた将来の夢から一度もその夢を変えずに続けてきた。きっとその事実も明らかに音楽の力のおかげだ。

人生においても音楽人生においても、新たなスタートの今、私は言葉にしたいと思う。

音楽の力はすごい。人に寄り添えるし心を開かせてくれる。悲しい時は一緒に泣いて、嬉しい時は踊って、人と一緒に楽しんだり、あの日を思い出させてくれたり。

そして何より音楽は、感じた人それぞれに与えられる、「自由」だ。

たしかに音楽がなくてもきっと明日は来るだろう。
でも音楽の力で、今私はこういう人生を歩んでいる。そういう人はきっとたくさんいる。
今日も明日も、音楽の力を信じて、音楽の力に頼って、自由に、そして“私と音楽”の旅を進んでいきたいと思う。

きっとこれからもたくさんたくさん“音楽”の力に助けられていくと思うけど、その恩恵をたくさん受けた私だからこそ、私もそのどこかの音楽の力の一部となっていけるように。

いつか私が奏でた音楽の力が、あの日の私のように明日を生きようとする、顔も知らないどこかの誰かに寄り添えるように。

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