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アジアの極東から


翠ジンソーダを呑みすぎた。
明日も仕事だというのに、まだベットの中で胃の中から這い上がってくる奴と戦ってなくちゃならない。0時27分。
最近はこんな時間でも少し汗ばむ。


だがこんな夜も悪くない。
既に体内で生ぬるくなったアルコールよりもこんな文章を吐き出してみようと思う。

「平和」がテーマで、あとは自由。
数年前にニューヨークでそんな絵画のコンクールがあったらしい。

画家でもある僕の知人は、頭を悩ませていたそうだが、結局一枚の絵を描き上げた。

あなたなら何を描くだろうか。

話によると、クラブのフロアの隅っこにある円形のソファに腰掛けながらこの絵を描いたらしい。
EDMが響くフロアの中でキャンパスに絵の具を走らせている男を想像すると、あまりに場違いだと感じてしまうが、嘘をつくようなヤツではない。

記憶も定かではないが、その絵には涎を垂らしながら寝ている赤ちゃんが描かれていたのだけは鮮明に覚えている。
彼は「平和」をそう描いた。

ふと、僕なら何を描くかを考える。

こんなにも壮大な抽象概念を相手にするときには、対照への理解も大事だ。

しかし、「平和」の対照となるそれについて考えるときに参考になるのは、せいぜい液晶越しか、眠い目を擦りながら見た教科書の中で見た景色くらいだ。
だから僕はそれについての言語化を避けていたし、挑むこと自体がナンセンスな気がしていた。

ただ、こんなふうに文章を書いているのも、そういった考えが揺らぐような出来事があったからだ。

この前のGWに友人と旅行をすることになり、
せっかくだからということで原爆ドームを訪ねた。

「日本人だから知っておかなくちゃな~」とか言いながら、実際、そんな心持ちで行ったことを後悔することになるのだが、目の当たりにしたものはそれほどまでに痛烈だった。

何が起きたのかも理解する間も無く、命を奪われた子どもたちの生前の写真や、爆炎によって燃やされ塵のようになった子ども服などが並んでいる。

産まれてから、23年と少し経つ中で、最も「平和」の対極にあるものを体全身で受け止めた。

薄暗い展示室の中で、自分自身の頬を伝うものの正体に気がつくのに、暫しの時間を要するほどに心がグシャグシャになっていた。

結局、最後まで見ることもできず、
心を引きずりながら展示室の外に出ることにした。

現代風のガラス張りの建物を出ると僕の心中を知らぬ顔で外は晴れていて、原爆ドームと呼ばれる建物が青空に向かって建っている。

僕が建物中で見た過去からしたら今この瞬間は未来だ。
今この場所では、太陽の光を浴びながら子どもたちが遊んでいる。

女の子がピンク色のスケートボードで跳ねている横で、男の子が飛行機のおもちゃを持ちながら走っている。

そんな景色を見たとき、僕は今見ているこの景色を描こうと思った。「平和」の捉え方に正解はないかもしれないけれど、僕があの時見た景色は、確かにその礎の上にあった。

そんな未来を、今を、慈しみ、大切な人と噛み締めながら生きていきたいと強く思った。

そんな日を思い出しながら、0時57分。
酔いもすっかり冷めてきたのでそろそろ寝ます。
また僕らの明日がちゃんとやってくる。
それだけが。
おやすみなさい。

Kodai


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