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研究の社会実装を加速させる「ナラティブデザイン」の可能性【産総研デザインスクールシンポジウム2024レポート】

近年、気候変動などの社会問題を解決する新技術や研究結果が続々と発表されています。しかし画期的な研究内容が発表されても、社会で目にするのは何年も後のこと。研究内容が社会に実装されるまでに非常に時間がかかっている現状があります。

研究を社会に実装するためには、研究内容を必要なところに届けるデザインが必要なのではないか。そんな問いをもとに、共創プロジェクトを始めた人がいます。産総研の素材研究者であり産総研デザインスクール修了生の浦田千尋氏(以下、浦田氏)と、デンマークを拠点に活躍しているデザイナーのパヴェルス・ヘッドストローム氏(以下、パヴェルス氏)です。

2024年8月2日(金)、産総研デザインスクールが主催するシンポジウムが開催されました。シンポジウムでは浦田氏とパヴェルス氏をゲストに迎え、二人が進めている共創プロジェクトの概要とプロセスにおける学びを紹介していただきました。

浦田氏は油をはじく素材などを開発した素材研究者であり、パヴェルス氏は問題を解決したり、望ましい未来を想起させる物語(ナラティブ)をデザインする「ナラティブデザイン」を得意としたデザイナーです。「研究者」と「デザイナー」という異なる背景を持つ二人が共創することで、研究にどのような変化が起きたのでしょうか?本記事ではシンポジウムの様子をお伝えします。

登壇者プロフィール


浦田千尋(うらた ちひろ)氏
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 材料・化学領域 極限機能材料研究部門 光熱制御材料グループ
2011年に早稲田大学で博士号(工学)を取得後、産業技術総合研究所(産総研)に入所。産総研中部センター(愛知県)にて、一貫して付着抑制効果に優れた表面処理材(剤)の研究開発に従事。有機フッ素化合物の環境への影響を懸念し、10年以上前から有機フッ素化合物に依存しない撥油コーティングや、ナメクジからヒントを得た自己潤滑性ゲル(Self-lubricating gel, SLUG)を開発。この間、カナダ(トロント大学)での在外研究や経済産業省への出向を経験。
2023年4月から現職。雪害防止に資する表面処理材の開発を進めるなかで、実験室から得られる情報のみでは課題解決が困難であると感じ、産総研デザインスクールにて現場関係者を巻き込んだ共創による社会課題解決法を学ぶ。趣味は大型家庭菜園とDIY。


Pavels Hedström(パヴェルス・ヘッドストローム)氏
Inxects代表。デンマーク・コペンハーゲンを拠点とするスウェーデン人建築家。
コアミッションは、デザインの実践によって、人間と自然との間に広がるギャップを最小化すること。2021年にデンマーク王立芸術アカデミーでArchitecture and extreme environmentsの修士号を取得。コンセプト、戦略、デザインを幅広く手がけ、建築、インフラ、モバイルアプリ、ファッションのコンセプト開発に携わる。
建築業界を離れてからは、「Inxects(インセクツ)」と呼ばれる独自のデザインアプローチを確立。Design Educates Awards 2022やLexus Design Awards 2023など国際的なアワードに選出。Lexus Design Awards 2023ではLexus Your Choice Awardsを受賞した最初のデザイナーとなった。現在では、海洋石油産業における変革的コンセプトに取り組み、循環経済と再生生態系における新たな戦略を開発している。

欧州視察で痛感した「届けるデザイン」の重要性


浦田氏とパヴェルス氏が共創を始めるきっかけとなったのは、産総研デザインスクールで実施された欧州視察研修でした。浦田氏は産総研デザインスクール生として様々な機関を訪れるなかで、技術をユーザーに届けるための物語(ナラティブ)をデザインすることが必要だと痛感したそうです。

ナラティブデザインとは、ユーザーの共感を生む物語をデザインすることを指します。浦田氏は技術を広めるためには、技術を社会に繋げた先の世界を物語にして伝えることで、技術を必要としている人に研究内容が届きやすくなるのではないか?と思い始めます。

そんな矢先、浦田氏はデンマークでパヴェルス氏に出会います。二人はお互いの研究分野が近かったことから意気投合。同時に、浦田氏は新技術をデザイナーに共有することへの可能性を感じます。

浦田千尋 氏(以下、浦田氏):パヴェルスとの対話や視察を通して、デザイナーが新技術に非常に興味を持っていることを知りました。だから研究者がデザイナーに技術を提供し、ナラティブデザインを取り入れることで、新技術をもっと早い段階で社会に認識してもらえるのではないか。そして、技術の可能性はもっと広がるのではないかと考えました。

課題解決のアプローチが異なる研究者とデザイナーが共創することで、通常より早い段階で技術を必要な場所に届けることができるかもしれない。そんな想いを胸に、浦田氏とパヴェルス氏の共創プロジェクトがスタートしました。


技術起点ではなく、物語起点で課題解決を目指す「ナラティブデザイン」


共創のきっかけとなった「ナラティブデザイン」は、実際にどのようなプロセスで進んでいくのでしょうか?パヴェルス氏は自身の作品「FOG-X」を用いながらナラティブデザインのプロセスを紹介しました。

「FOG-X」はパヴェルス氏が開発した飲み水を作る携帯型デバイスで、特殊な素材を使って霧から水を作り出す設計となっています。

パヴェルス氏はチリのアタカマ砂漠を訪れた経験から、水の重要性を強く感じたそう。彼は20億人が清潔な飲料水にアクセスできていない問題に対し、「清潔な水にアクセスできない人々が自分たちで水を作れる能力を得られたら、どのような世界になるのか?」という物語を描きます。

この物語が起点となり「人が新鮮な水を自給できる装置があるとしたら、どんなデザインになるだろうか?」という問いが生まれ、パヴェルス氏はアイデアを考え始めます。そして彼はリサーチを通して、朝霧を自分の体に付着させて水を得ている甲虫をモデルに「FOG-X」のプロトタイプを作りだしました。

プロトタイプをアタカマ砂漠で実際に使用し、現地の専門家にフィードバックをしてもらいながら、ブラッシュアップを繰り返したそうです。パヴェルス氏はフィードバックを元に振り返る過程が、ナラティブデザインのプロセスにおいて非常に重要だと話します。

パヴェルス氏:デザインの過程では、うまくいかなかったことが大切な学びとなります。バックパックは重くて使いにくい。精密な機械が入っていると修理がしづらい。そもそも霧が生まれる場所を知る必要がある。これらの気づきはFOG-Xを砂漠で試してみたからこそ、得られた課題です。だから何度もフィードバックしてもらいながら、自分の物語に即したアイデアにブラッシュアップしていくことが重要です。

改良を重ねた「FOG-X」はLexus Design Awards 2023のLexus Your Choice Awardsを受賞。問題を解決する技術起点ではなく、変化した後の物語からデザインを考えることで、多くの共感を生み出し、高い評価を得ています。


技術の可能性と未来を届ける「ピクシーブック」


パヴェルスとの共創プロジェクトには浦田氏が率いる研究チームメンバーも参加し、技術を外に届けるためのコンセプト作りからスタートしました。

素材研究の分野で新素材を発表しても、内容が専門用語で溢れていまい、非常に限られた専門家にしか届けることができない現状があります。浦田氏はこれを打開するために、どんな人でもその素材を活用した未来が想像できる物語を作り、素材を必要としているコラボレーターを探すことが重要だと考えていました。

そのために二人が作り出したのが「ピクシーブック」です。ピクシーブックとは、子どもにもわかる優しい言葉で物語が描かれた絵本のようなもの。浦田氏とパヴェルス氏はピクシーブックを通して、自分たちの素材を使って描きたい未来を、誰にでもわかる言葉で伝えることにしたのです。

「エコシールド」と題した物語では、浦田氏の研究チームが開発している素材が過酷な環境下でも生態系を維持できる「エコシールド」として機能する未来が描かれています。

浦田氏はピクシーブック作りを通して、研究のモチベーションが向上し、研究への新たな視点が得られたと振り返ります。

浦田氏:素材研究の分野では、素材を設計しても製品化や社会実装される確率は高くありません。でも、自分たちの作品を発信することで、誰かに影響を与えることができるかもしれない。研究の未来を想像することで、研究に対するモチベーションが上がっていくのを感じました。
また、素材をバックパックに利用する未来を想像することで、素材を大面積化するとどうなるのか?という新たな視点も生まれました。このように、未来を想像することで普段の研究アプローチとは異なる視点が得られることも非常に新鮮な経験でした。

研究者が物語を作ることで、自分たちの技術や研究が社会にどのような影響をもたらすのかを想像することができる。ナラティブデザインのプロセスが研究の価値を改めて実感する機会となり、プロジェクトチームにもいい変化を与えたことが伺えます。


共創を加速させる鍵は「遊び心」


パヴェルス氏は今回のプロジェクトを振り返り、研究者とデザイナーが共創することの可能性を強く感じたそうです。そして異なる背景を持つ人々が共創するうえで、鍵となるのは「Playful(遊び心)」だと指摘します。

パヴェルス氏:大切なのは限界ではなく可能性に目を向けることだと思います。物語を一緒に作っていく上で、遊び心は欠かせません。遊び心を持って対話することで、想像力がチーム全体に広がっていき、お互いに助け合える考え方をするようになる。まずは一緒に遊び、夢を共有することがとても重要だと学びました。

異なる背景を持つ人々が共創することで、お互いが成長しパワフルな物語が生まれていく。そのプロセスを支えているのは、心理的に安全な信頼関係が土台にあることです。パヴェルス氏の発言は、遊び心が心理的安全性を高め、共創を前に進める重要な要素であることを示唆しています。


可能性に目をむける「物語」を作るために必要なこと


二人のプレゼンテーションを終え、シンポジウムは産総研デザインスクール共同創始者である小島との対談セッションへ。「今回のプロジェクトに参加したチームメンバーの変化は?」という小島の質問に対し、浦田氏は「研究者も限界ではなく可能性に目を向けられるようになった」と語ります。

浦田氏:参加したメンバーは最初とても固い表情でミーティングに臨んでました。しかし、回数を重ねるごとに表情が緩まり、物語を実現させるうえで必要な研究に、積極的に取り組むようになりました。
また印象的だったのは、可能性を提示してくれるパヴェルスの姿勢から、私たちも限界ではなく可能性にもっと目を向けていきたいと思えるようになったことです。研究者はどうしても限界を見てしまいがちです。しかし彼が可能性を見せてくれたおかげで、視点も大きく変化したように思います。

では、人々が可能性に目を向ける物語をつくるために必要なことはなんでしょうか?パヴェルス氏はナラティブをつくるうえで大切にしていることを、こう語ります。

パヴェルス氏:私が物語を作るときは、その物語の重要性を伝えることに、私自身がワクワクするかどうかを大切にしています。そしてシンプルであることも重要です。物語はシンプルであればあるほど、力があると僕は思っています。

人々にとって重要なことをシンプルに伝える。そして、まずは自分がワクワクしているかを大切にする。ナラティブデザインにおいて重要なのは、最初に物語をつくった人たちがワクワクしながら、周りに伝播させていく力なのかもしれません。


共創を継続させ、ポジティブなナラティブを発信し続けたい


対談の最後は、二人の今後の展望について伺いました。二人は今後も共創プロジェクトを進めていきたいと話します。

浦田氏:今回のプロジェクトでデザイナーと研究者が共創することの可能性を大いに感じました。今後もパヴェルスと共創を続けながら、コンペティションで評価されるようなアイデアを作っていきたいです。

パヴェルス氏:私も浦田さんとの共創には可能性を感じているので、これから何ができるか一緒に探索していきたいと思っています。
また、現在は気候変動やAIの台頭など、人類にとって挑戦を抱えている時代です。私はデザイナーが世界をきちんと理解し、恐れに基づくものではないオルタナティブな物語をつくることが重要な役割であると考えています。これからもポジティブな物語をつくっていけるデザイナーでありたいと思っています。

浦田氏とパヴェルス氏の共創はまだ始まったばかりです。二人を中心としたチームがこれからどのような物語をデザインし、アイデアを生み出していくのか。共創プロジェクトの可能性に思いを馳せ、未来に心踊るシンポジウムとなりました。

産総研デザインスクールの公式noteでは、今後もイベントレポートや修了生のインタビューを通して、社会実装や共創を加速させるヒントをお届けする予定です。次回もお楽しみに。


執筆:外村祐理子
グラフィックレコーディング:仲沢実桜

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