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篤志家と素封家【稲盛和夫かく語りき】


この部分が気になり調べてみました。

篤志家

読み方: とくしか

意味: 公共のために私財を寄付したり、時間や労力を提供したりする人。

語源:

「篤志」は、「篤(あつ)」い「志(こころざし)」という意味。

江戸時代後期に、武士階級の没落と豪農の台頭により、武士階級の「志」と豪農の「富」を組み合わせた言葉として生まれた。

篤志家の役割:

困っている人を助け、社会に貢献する。公共事業や文化事業を支援する。
教育や福祉の充実を図る。

素封家

読み方: そほうか

意味: 代々続く地主で、多く土地を所有し、裕福な生活をしている人。

語源:


「素封」は、「素(もと)」から「封(ほう)」じるという意味で、代々受け継いできた土地を意味する。江戸時代中期頃から使われ始めた言葉。

素封家の特徴:

代々続く地主であり、多くの土地を所有している。農業経営を行い、その収益で生活している。村役人などを務め、地域社会のリーダー的な存在である。

現代における素封家:

現代では、土地所有者としての影響力は低下している。
一方で、農業経営や不動産経営などで成功し、裕福な生活を送っている人もいる。

篤志家と素封家の関係:

篤志家は、素封家である場合が多い。
素封家は、その財力を使って篤志活動を行うこともある。

篤志家と素封家について、面白い事実をいくつかご紹介します。

江戸時代、篤志家は、困っている人を助けるために、自分の家に引き取って面倒をみる「養護委託」を行っていました。これは、素封家もよく行っていたことで、地域社会のリーダーとして、困っている人を助けることに積極的だったことがうかがえます。

明治時代、素封家は、民主化の初期に、代議士の選挙権を得る資格として、直接税十五円以上を納入する「制限選挙」の対象となっていました。これは、素封家が、地域社会で大きな影響力を持っていたことを示すものです。

篤志家は、公共事業や文化事業を支援するだけでなく、教育や福祉の充実にも貢献してきました。例えば、二宮尊徳は、私財を投じて灌漑施設を整備し、農業の発展に貢献しました。また、渋沢栄一は、日本赤十字社を創設し、人道支援に尽力しました。

篤志家と素封家は、日本の近代化に大きく貢献した人たちです。彼らの活躍は、現代にも通じる、社会貢献の大切さを教えてくれます。

以下に、もう少し面白い事実をご紹介します。

篤志家は、自分の財産を寄付するだけでなく、自分の時間や労力も惜しみなく提供していました。例えば、佐倉惣五郎は、江戸時代の豪農で、私財を投じて学校を建て、教育に貢献しました。また、渋沢栄一は、日本赤十字社の創設だけでなく、自ら赤十字の活動に参加し、負傷兵の看護や救援活動に従事しました。

素封家は、地域社会のリーダーとして、地域の活性化にも貢献していました。例えば、佐倉惣五郎は、地域の道路や橋の整備、学校の建設など、地域の公共事業に積極的に取り組みました。また、渋沢栄一は、地域の産業振興や、貧困や災害の救済など、地域の課題解決に尽力しました。

篤志家と素封家は、単にお金持ちだっただけでなく、社会に貢献したいという強い志を持っていた人たちです。彼らの活躍は、現代にも通じる、社会貢献の大切さを教えてくれます

最後になりましたが、篤志家と素封家は、私たちにとって、尊敬すべき存在です。彼らの活躍を忘れずに、私たちも社会貢献に積極的に取り組んでいきましょう。

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