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一人称なんてどうでもええやん

皆様どうもこんにちは、翠でございます。急な関西弁ご容赦を。実は敬語より関西弁の方が使いやすいのです。いや、こんなことはどうでもええんですけど。今回は一人称について話します。

気持ち的には

さて、前の記事でも紹介したように僕はトランスジェンダーです。学校ではクラスメイトと後輩には「僕」を使っていて、先生と先輩には「私」を使っています。これは意図して言っているのではなく、「年上は敬わないといけない」という意識が僕の中に根付いていて自然と一人称が変わるのです。

今の現状

さて、次は同級生の間での話となります。   僕が僕という一人称を使い始めたのは今年の4月、新学期が始まる頃です。それまでも「私」を使ったことはほぼなく、(少なくとも2.3年は)自分という一人称を使っていました。でも気がついたのです。                  「一人称って別になんでもええんちゃう?」と。それまでも他の人と積極的に関わろうとせず、「不思議な人」と認識されていた僕は、一人称を変えることで更に変な人と見られるリスクもありましたが(実際見られました。)、友達はそれなりにいましたし、それで離れていくような人なら僕はいらないとさえ思っていました。     でも人と人の繋がりって凄いですね。急に一人称を変えたにも関わらず「一人称変えたんだ〜」で終わらせてくれたのです。神かと思いました。無駄に突っ込むことなく、さらっと終わらせてくれたのが僕にとって本当に嬉しかったです。

軽くまとめ

さて、途中話がズレましたが言いたいことは言えました。僕が伝えたいのはタイトル通り「一人称なんてどうでもええやん」ってことです。そんなことで離れていく人なら思い切って関係切っちゃったらいいと思います。だってありのままの自分を見せることは決して悪いことではないでしょ?世界は自分中心に回らない、というように人は自分に都合良いように生まれてきたロボットではありません。考え方も違います。『この人とは反りが合わなかったんだ』と諦めるのも1つの手かと。

今回の記事、結構自分独自の意見が含まれています。一個人の意見と思って見ていただけたなら幸いです。