見出し画像

本当は怖い日本神話

【鳥取県鳥取市】編

 今回の文学旅行は、ピンクと白が饗宴します。
 恋愛(ピンク)からウサギ(白)へ、目眩のするような、めくるめく世界へいざなわれてしまいましょう……。

 モチーフとなる文学は、古事記=因幡の白兎。そして『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(桜庭一樹)です。この2つのどこに関連性があるのか、それは旅をしてのお楽しみ。前置きが長くなってはいけませんから、さっそく出発しましょう。目指すは、神話の舞台である白兎海岸と、傷を癒やしたウサギを祀る白兎神社ですよー。


①鳥取県を旅したくなる文学ベスト5

『古事記』口伝:稗田阿礼・太安麻呂
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹
『きみのためにできること』村上由佳
『若桜鉄道うぐいす駅』門井慶喜
『通夜の客』井上靖

順不同

②『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹(KADOKAWA)

 鳥取県境港市の中学生・山田なぎさは、生活保護を受けるシングルマザーのもと、兄と一緒に公団住宅で暮らしている。独りになれる部屋を持つためには実弾(お金)が必要だと、卒業したら高校へは行かずに働こうと考えていた13歳の夏、海野藻屑が転校してくる。いつも体に痣をつくり、まともに歩くこともできない藻屑は、その状態を海が汚染されているためだと言い張る。本当の自分は人魚の一族なのだ、というのである。藻屑はそうして自分をごまかさないと生きていけないサバイブの渦中にいるのだった。

③旅色プラン──鳥取県編のご案内

https://tabiiro.jp/plan/2218/


 想像力の旅行へ
 私たちがご案内いたします。


↓ 本文の始まり、始まり〜(だ・である調になります)


鳥取県、 恋愛ネタに乗っかる


 突然だが、皆さんは島根・・県と鳥取・・県の位置関係が頭に入っているだろうか? 

「島根と鳥取、西にあるのはどっちだ?」

 そう問われて、「うっ」と一瞬言葉に詰まる人は少なくないはずだ(NPO文学旅行・半径3m調べ)。とりわけ関東以北では、3分くらい悩んで「……と、鳥取? 」と答えてしまう人がやっぱり少なくない、はずである(同上調べ)。かく言う小生もその一人だったわけで。。。困ったモノである。

 今、西の島根から東へ向かって国道9号線をひた走っている。春のドライブはまだ湿度も低く、なんと爽快だろう。目指すは鳥取だ。間違えないでね、これから行くのは鳥取なのである。

 その鳥取県は、かつて二つの国だった。西の伯耆ほうきから、東の因幡いなばへ向かう。左手は日本海、右手は大山。古事記「因幡の白兎」の舞台・白兎はくと海岸までは、あと少しだ。海岸からおかに上がると、因幡の白兎を祀る白兎神社があるはずだ。

 近くまで来ると、道の駅「神話の里 白うさぎ」の看板が見えてきた。駐車場を使わせてもらおう。あれっ、大きな鳥居があるではないか。……どうやら、道の駅と白兎神社は、隣接しているらしい。駐車場は広く、聞けば収容台数トータル128台という。しかも(当然のごとく)無料。ありがたい、ありがたい。停まっているクルマを見渡すと、近隣の岡山はもちろん、姫路、そして神戸といったナンバープレートが見て取れ、商業施設として広域から集客できていることが判る。

神社と隣接する道の駅。奥に巨大な駐車場が整備されている。

 しかし、である。どこか普通の道の駅とは、雰囲気が違うのだ。この違和感はどこから来るのだろう? 注意深く見わたすと、多くのクルマにウェットスーツが干されていたり、大きなボードが立てかけられていたり……。そうか! みんなサーフィンをしに来ているのか!

 白兎海岸は「因幡の白兎」の舞台とされている。そこは、言ってみればウサギが皮を剥がれる凄惨な場所のはずだが、実際に到着すると、驚いたことにスポーティで明るく、夏の盛りを待ちわびるアメリカ西海岸のような雰囲気を漂わせているのだった。

白兎海岸に降り立つと……。

 ああ、Tさんの言っていたことは本当だった、と思った。

 実をいうと、中国地方の文学旅行を始めるにあたり、事前に各方面へ問い合わせをしていた。三日ほど前には、鳥取県観光戦略課にうかがって、係長のTさん(男性)から直々にいろいろな状況を教えてもらっていたのだ。

「白兎海岸は、地元・中国地方民だけでなく関西地方の若者にとってはサーファーのメッカとして認知されているんですよ」 

 Tさんによると、白兎海岸でサーフィンが今のように盛んになったのは、それほど昔のことではないという。某有名タレントがここでサーフィンをしていると発言したことから、近年、若者たちが大挙して来るようになったそうだ。やっぱりテレビに出ているタレントの影響力は、ネット時代とはいえ、いまだに強いんだなぁと思う。○村拓哉さんは、かれこれ30年ものあいだ、私たち社会の流行にしっかりと存在し続けているのだから。

 ちなみに、波の質は総じて優しいといい、夏期は初心者でもイケるほど。だが、冬型の気圧配置になるとプロ仕様になるという。こんなふうに情報収集していると、Tさんはさらに驚くようなことを教えてくれた。この地域一帯は「恋人の聖地」だ、というのだ。

 白兎海岸が古事記「因幡の白兎」の舞台であることは、多くの方がご存じだろう。その一方で「サーファーのメッカ」になっていることも、まあ分からなくはない。併し!「恋人の聖地」という、何だか軟弱で、ちょっと恥ずかしく、どこかコソバユイ、妙なスポットに選定されていることを知っている人は、なかなかにして変人なのではないか(←褒め言葉です)。そもそも神話の世界観とはギャップが大き過ぎではないか!

 どういうことか調べてみた。すると……「恋人の聖地プロジェクト」は2006年から始まっており、若者に観光してほしい、少子化に歯止めをかけたい、といった理念のもと各種団体が集まって選定をしているものらしい。そして、白兎海岸が選定されたのは、鳥取県が「因幡の白兎」を〝日本で最初のラブストーリー”として位置づけ、海岸を“恋愛のパワースポット”として訴求していることが背景にあるのだった。はて、「因幡の白兎」って、そんな物語だったっけ? 

 ここで、「因幡の白兎」を、おさらいしておこう。


 その昔、八十神やそがみたちが、因幡の八上の郷(現・河原町)にいる八上比売やかみひめに求婚しようと、贈り物を入れた大きな袋を大国主命おおくにぬしのみことに背負わせ、因幡の国へ向かった。一行が気多之前けたのさきに来ると、道端で裸のウサギが苦しんでいた。八十神たちは、そのウサギに対して「海水を浴びて風にあたって高山の尾上で寝ていなさい」と教える。ウサギは言われた通りにした。すると、皮膚が風でひび割れてしまい、ウサギは苦痛のあまり伏してしまった。
 八十神たちに遅れてやって来た大国主命がウサギを見つけ、こう尋ねた。
「なぜ、あなたは泣き伏しているのか」
 ウサギは答える。
「私は淤岐嶋おきのしまにいて気多之前に渡りたかったが、方法がなかったので海の和邇(わに)を欺き、島からここまで並ばせて、その上を踏み走りながら読んで(数えて)来ようとした。併し、地上に降りようとした時に『お前たちは騙されたのだ』と、つい口を滑らしてしまった。怒った和邇に捕まえられて、衣服を剥かれてしまった。先ほど通りかかった八十神から教えられた通りに治療したが、傷だらけである」
 不憫に思った大国主命はこう言った。
「水門へ行って真水で身体を洗い、蒲の穂を敷いて、そこに寝ていなさい」
 ウサギがその通りにすると、身体は元通りになった。元気を取り戻したことで、稲羽(因幡)の素兎(白ウサギ)は、こう予言するのだった
「八十神たちは八上比売を得られない。袋を背負ってはいるが、あなたが比売の心を射止めるだろう」


 上記要約で分かるように、傷を癒やしたウサギによる最後のくだり=傷を癒やしたウサギが〝比売の心はあなたが射止めるだろう〟と予言する場面に鳥取県はフォーカスし、ぐいっぐいっと解像度を上げていった。すると、騙したことがバレてワニに皮を剝かれたウサギの物語は、180度転換して恋の物語に変貌したのである。

右手に見える小島が淤岐ノ島。左手の岬が気多之前。

 物事は、角度によってまったく違って見えてくる、ものではある。古事記はいろいろな解釈が可能である点で、魏志倭人伝による邪馬台国(やまいこく?)の謎と同様、素人でもいろいろ想像する楽しさを有している……とも言えるのだろう。。。それにしても、かつて教わった物語とは似ても似つかぬ、ラブストーリーになってしまうとは。。。

「こ、恋人の……せ、聖地……ですか」

 今から思えば、文学旅行をするのに、このTさんと出会ってしまったのが運の尽きだった。いや違う、Tさんのせいではない。鳥取県観光戦略課に足を踏み入れたことがそもそもの判断ミスだったか。なにせ、相手は「カニトリ県」を生み出した行政マーケティングの猛者なのだ

 思わず嘆息をつきかけたが、話はまだ終わらなかった。恋人の聖地に選定されるのはよいとして(← お前、何様だ!)、鳥取県は恋愛のイメージをさらに発展させ、恋=ピンク色という発想を、さまざまなルートで盛り上げて見せているというのだ。

 Tさんとの邂逅を再現してみよう。


──白兎海岸が「恋人の聖地」に認定されたことは分かりました、はい。でも、何かほかに鳥取県の観光事業で今、推しているものはありませんか?

Tさん(以下、太字部分同様) えーと、いろいろありますよ。……5月1日が恋の日なのを知っていますか?

──知りません。あまり知りたくありません。

語呂合わせで、その日を「恋の日」と設定し、ゴールデンウィークの5月1日から8日まで、若桜鉄道が蒸気機関車をピンク色に塗装するんです。

──えっ?

今、鳥取県はピンク色で盛り上がっているのをご存じない?

──し、知りません。

機関車だけではありませんよ。駅もピンクになっています。

── ・・・。

日本に「恋」の付く駅は4つしかないそうで、そのうちの一つ、恋山形駅が智頭急行にあります。平成25年(2013年)に、その恋山形駅をピンク色に塗装したところ、今では恋愛のパワースポットとして鳥取県を代表する観光地にまで成長しています。

──県を代表する、ですか。。。

鳥取県には、お土産として人気が高いピンク色のカレーや醤油、マヨネーズもございましてね。

──そ、それは、私企業が営利目的でしている?

はい。みんなでピンク色を盛り上げようとしてるんです。その流れに、若桜鉄道も〝乗っていこう〟としたらしいんです、鉄道会社だけに……。

──はぁ。

「鳥取県鉄道フォーラム」において、アドバイザーになっていただいている鉄道愛好家の方が「若桜鉄道にピンク色のSLを走らせてみては」と発案されたことを受けて、実際にやられた事業だそうです。


 実をいうと、その日は大変だった。なにせ恋人の聖地=ピンクである。今の自分からもっとも遠いところにある場所に、何が悲しくて一人旅しなきゃならんのか。。。

 というわけでここまでの、めくるめくピンクの世界を振り返ってみよう。

 まずはコロナ禍の休止から復活した、若桜鉄道ピンクSLから〜!!

うわっ! 
風情のある若桜駅。薄紅色の、淡いピンクの、ソメイヨシノが駅舎に映えます。
コロナ禍から復活した2023年のイベントは、降雨にもめげず敢行されました。
スーツもピンク。

続いては、智頭急行・恋山形駅!!!!

正面からのインパクト大。
10周年イベントの様子。

 大トリは、ブリリアントアソシエイツ(株)による「華貴婦人ピンク華麗(カレー)」。旧鳥取城下の古民家を改装したカフェ・レストラン「大榎庵」で提供されています。お土産にはピンク醤油もぜひつけて!

大榎庵の入り口。

 し、しまった! ピンク華麗を撮り忘れていた😭

バニラアイスのピンク醤油がけ。おいしー。
お土産にはピンク醤油を。
白うさぎ生パスタ。

 ピンク、ピンク、ピンク、最後に白色。
 ああ、クラクラしてきます。←褒め言葉です。ここまで振り切ることの大切さをボクたちは学ばなくてはならないのです。。。

 ここまでの道のりを振り返ると、目頭が熱くなり、思わず浜辺に立ち尽くす……いかん、いかん、意識を取り戻そう。

 そうなのだ。ここは白兎海岸なんである。思い返そうではないか、旅色で前振りしていた話を。「因幡の白兎」は、ピンク、ピンクの、ほんわかとした話では決してない! という説があることを。本当は、怖ーい、怖ーい、話なんだぞ、ということを。

 はたして、その説とは……ジャッ、ジャッ、ジャーン!!!(鳴り物入り)


現実と格闘する創造力


 ……と、その説を紹介しようとした……まさにそのとき!
 気づいてしまいました。。。今回の旅のモチーフ『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が、なぜ古事記「因幡の白兎」と連関するのか、ネタバレせずに説明しなきゃいけなかったんだ。話の腰を自分で折るようだけど、読み手に不親切にならないためにも、ここは大事なので。ごめんなさい。

 というわけで。。。
 ちょっとだけ下手な文学論をブツのを許してください。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は、前述のように、登場人物である海野藻屑うみのもくずが自分を人魚だと言ったところから始まる。藻屑いわく、古事記「因幡の白兎」に登場する鰐鮫(原文ママ)とは、実は人魚のことであり、自分はその一族だというのである。『砂糖菓子の〜』は鳥取県境港市を舞台に描かれているので、そのプロットに「因幡の白兎」が挿入されるのはとても自然なことだろう。

 だれもが知っている神話「因幡の白兎」の〝鰐鮫〟が投げ込まれることで、読者は藻屑というあからさまに架空な少女の、不可解な言動の理由を探してゆくことになる。読み進めていくと、彼女は現実の外側に自分を求めなければ生きていけない凄惨な状況に置かれていることが徐々にわかってくる。やがて物語が終結する時、持って行き場のない読後感を救済するように、投げ込まれた鰐鮫が読み手に不思議な逃げ道を作っていることに気づく。この物語は現実ではなく、どこかにあった神話なのだ、と。併し、しばらく経つと、今度はそれが神話ではなく、現実の恐ろしさとなって胸に迫ってくる。これは高等戦術ではないだろうか。

 本作は、いわゆるライトノベルの枠を超えて、大衆小説を読んでいる一般の層へも訴えかける力を持ち、小説ジャンルの壁を打ち壊した作品として評価されている。神話の挿入という、ライトノベルにありがちなRPGゲーム的手法が、ストーリーとテーマに厚みを持たせ、ジャンルを超えた普遍性を持たせることに成功したのは、本作の内容が突き抜けて凄惨であることに尽きる。そうなのだ、神話の世界観も、冷静になって鑑賞すれば、その多くが実に凄惨で痛ましいものではないだろうか。

 重要なのは、本作を読んでいくと、そこに現実の在りようが被ってくることだ。今、子どもを対象とする犯罪・事件は絶えず、しかも終わりがないように思える。本作が現実における同じような事件の多発と同期するように登場してきた感覚があるのは、ボクだけではないはずだ。その意味で本作が突きつけてくる問題は深く、藻屑やなぎさと同じ絶望感が読者の側に生まれてしまわないように、白兎の神話が背景として用意されているのである。といえば、こじつけだろうか。

 風俗世相の変化に敏感に呼応して、その背後にある現実の問題と格闘しながら言葉を紡ぐ作家にはリスペクトを表したい。本作が多くの読者を獲得したとすれば、そうした作者の姿勢に共感が集まったからだろう。


ウサギに騙されたのは誰か?


 さて、ようやく「因幡の白兎」は〝ピンクのほんわかとした話ではない説〟について記すことができる。ポイントになるのが、実は上記の〝鰐鮫〟なのだ。

『砂糖菓子の〜』では〝人魚〟だということにしていたが、皆さんはウサギが海を渡る際に騙して利用する生き物を、何だと教わっただろうか。〝鰐(ワニ)〟だろうか? それとも〝鮫(サメ)〟だっただろうか? 

 多くの人は鮫(サメ)だったと思います。日本近海に鰐(ワニ)がいるとは思えませんからねぇ。。。小生も、幼少時にお母ちゃんから読み聞かせてもらった絵本ではサメだった記憶がありますし。

 だが併し、なんである。この部分、古事記の原文ではどう表記されているか、皆さんはご存じだろうか?

 ちなみに「因幡の白兎」は、原文では「稲羽之素菟」と表記されている。漢字を見れば分かるように白兎は「素兎」であり、「裸のウサギ」(あるいは、ただのウサギ)を表していることが判る。では、〝鰐鮫〟の部分はどう表記されているのか。

 古事記の原文では「和邇」(わに)なのだ。

 そこで論争が起きる。この和邇は、鰐(ワニ)なのか、それとも鮫(サメ)なのか、と。。。

 世の大勢はサメだということになっている。まるで当然なように。。。
 確かに日本の地方には、サメのことを「ワニ」と発音する地域がある。広島県三次市で「ワニ」と言えば、その刺身は珍重されている。が、それはサメの刺身なのだ。では、今の教科書ではどう描かれているのだろう。最近の小学校では「因幡の白兎」をもう教えなくなっているとも聞くが……やっぱりサメだろう。広辞苑でも「鰐」の項目を引くと、最後に「猛悪な鮫の俗称」と記されている。

 以下、ちょっと脇道にそれる。用字について、である。
 白兎神社は、素ウサギを主神かんづかさとし、豊玉比売とよたまひめを合祀している。比売ひめとは、現代の用字では「姫」だ。女性を指す言葉であり、白兎神社はウサギと女神を祀っているわけだ。カワイイ。。。と言ったら不適切だろうか。

ウサギの石像には「結び石」を置いてゆく人も多い。。朱で「縁」と刻まれた白い小石で、5つ(五縁)入りの袋が授与品になっている。その袋を二の鳥居の上に向かって投げ、うまく乗れば願いが叶う、という参拝方法がある。

 四国の愛媛県は、もともと愛比売(えひめ)と表記されていた。漢字から分かるように、意味は「愛らしい女性」である。たとえば司馬遼太郎は、もう一段階回転させて「いい女」と表現し、【こんな行政府の名称は世界中にないのではないか】と記した。さすがと思う。男性の場合は古来、毘古(ひこ=彦)だったよね。

 閑話休題。
 それでは、ウサギに騙された鰐鮫の存在を確認するため、白兎神社へ行ってみよう。 大きな鳥居に一礼して、参道をゆく。↓

鳥居に一礼。

 丘を登るように階段を上がると、小さなウサギの石像に迎えられる。石像の廻りは、先ほどの「結び石」が置かれている。

参道でのお勤め。

 参道の右手に御身洗池みたらいいけ(不増不滅の池)が現れる。皮を剥がれたウサギが大国主命から教えられた通りに体を洗ったとされる池だ。

この池は、不思議なことに、豪雨のときも日照りのときも水量が一定であることから別名「不増不滅の池」とも呼ばれています。

 やがて本殿が現れる。

ど、どーん。

 柏手を打つ。……どうか、あらゆる傷が回復しますように。。。
 顔を上げると、立派なしめ縄に目を奪われる。う〜ん、やっぱり大蛇を表しているのかなぁ。。。そういえば二礼二拍手のしきたりも、近年になって始まったものというし。。。神道は分からないことだらけ。だけど、自然を敬う心があればいいんだよね、などと勝手な考えを巡らせていると、ちょうど約束の時間になった。何の約束かって? 今から宮司さんにお会いするのである。


「因幡の白兎」本当の解読法


 現在の宮司・河上博一さんは十六代目である。何と長い歴史だろう。「因幡の白兎」については、先代の宮司さんが注目すべき説をとなえていた、という。


 宮司(以下、太字部分同様) 先代の説は、こうです。古事記にある白兎しろうさぎとは、野に住むウサギではなく、実は神話時代にこの地方を治めていた一族を指したものだ、というものです。

──なんでまた、ウサギなのですか?

ウサギのように穏やかな人たちであったからだ、と言われています。

──白兎はくと一族と呼ばれていた?

 そうです。
 その白兎一族は、航海を生業としており、沿海の平和をおびやかす《わに》と呼ばれていた海賊と、あるとき淤岐島付近で戦ったのです。その戦いの際、激戦で負傷して苦しんでいた兵士が大穴牟遅神おおあなむじのかみ(大国主命)に助けられました。それを機会にして、白兎一族は大穴牟遅神と相協力することになり、ついには《わに》の討伐に成功しました。そして勝利に貢献した大穴牟遅神に、八上比売(やかみひめ)を娶らせたというわけです。

──まるで映画スターウォーズのようですね。


 これが、本当は怖い日本昔話である。

ありがとうございました。

 古事記「因幡の白兎」──それは白兎族と和邇族との間で起きた、領地あるいは権力争いを描いたものだった。大きな戦争で、策略の巧い白兎一族が戦いを優勢に運んでいったが、最後に和邇軍が乾坤一擲の反撃を行った。このとき、白兎の重臣が重傷を負う。時を同じくして、その戦場にどこからか若者がやって来る。若者は重臣を救い、白兎一族の側に立って参戦する。そして、ついには白兎一族を勝利に導くのだった。白兎一族は、 勝利をもたらした英雄に姫を嫁がせた──

 物語としてはありがちなストーリーである分、突拍子もない創作とは違い、逆にリアルな感じがするが、どうだろうか。現実の争いを物語に転化して永遠に残そうとすれば、「因幡の白兎」のようになるのかもしれないと思わせるところもある。さらにイマジネーションを伸長してしまえば、その物語が子どもへの虐待という現代小説に転化するまでには実に1300年の時間が横たわっていると考えることもできるわけだ。それはともかく、古代この地において対立する勢力があり、あるいは外敵が侵入してきて、双方の間で大きな戦いがあった……のだろうか? 古事記「因幡の白兎」として記された神話は、当時の現実社会におけるサバイバルを描いているのだろうか……。


驚きの連続だった神話の舞台


 1300年前に紡ぎ出された物語の創造力に思いをはせながら、白兎海岸の砂浜を歩く。鳥取県の文学旅行は、神話と現実の境を行ったり来たりする、何とも幻想的な旅となった。歩きながら、小説の舞台である「境港」の語源も、出雲と伯耆の境というだけでなく、案外、神話と現実をつなげる「境」でもあるかもしれないな、などと思ったりした。「和邇」族(氏)については、ネット時代の今、真偽のほどは別にして、さまざまな情報が入手できるようにもなっている。何を参考にし、またしないのか、それはあなた次第である。

淤岐ノ島の頂上には鳥居が建てられている。

 古事記は、大国主命のその後を物語っている。
 出雲に住むようになった大国主命は、やがて地上の支配権をアマテラスオオミカミの子どもに譲ることになる。「国譲り」として知られるこの神話は、大国主命を首領に立てた白兎一族が自国を大和朝廷に明け渡す話ではないだろうか。。。大国主命は、白兎一族とともに大国を築いたが、朝廷の反対勢力として討伐されることになったのではないか。。。

 鳥取は、島根と並ぶ神話の県である。こんなにもすばらしい観光資源がある。戦いと恋愛という、古代のロマンがつまった文学旅行があなたを待っているのだ。

 ああ、恋愛か……いいなぁ。


追記:
 当記事は、それが成功したか否かは別として、あえておもしろおかしく書こうとしたものであり、誤解なきようお願いします。Tさんの名誉のためにも記しておかねばなりません。鳥取県観光戦略課は、恋愛やピンク色だけを売りにしているわけではなく、古事記や日本書紀に登場する神々を祀る神社を紹介するパンフレット類も豊富に作り、鳥取のあらゆる観光資源について情報発信すべく熱心に活動されています。「恋人の聖地プロジェクト」においてもまったく同様で、その意義と取り組みをリスペクトしてきた私たちNPOの姿勢に変わりはありません。

 

鹿子沢ヒコーキ




もしよろしければ、サポートしてください。いただいたサポートは、NPO法人の活動費として使わせていただきます。私たちは、貴方のサポートを必要としています。