格差と貧困
乙です。藍郎です。南ア語学留学中です。
今日は南アをおさらいしてみましょう。
南アは過去にオランダとイギリスに植民地支配されていました。
その間に世界中から奴隷が集められ多様な言語や文化が形成されていく。
白人達による悪名高いアパルトヘイトという制度が作られ本来は黒人国家の国はより一層極めて黒人に不利な世界になった。
多くの諍いを経て1994年にアパルトヘイトは撤廃。
その後に大量の若年層が都市部に流入。今に至る。
というわけです。
ところで南アにおける失業率をご存知だろうか?
全体で40〜50%、若年層だと60%を超えるらしい(黒人に限った話で白人層は6%)(因みに日本で2〜3%で就職氷河期と言われていた時代近辺でも5%くらい)
人口の8割を超える黒人層にとてつもない不遇な状態が続いている。
特に若年層の5〜6割に仕事がない。
5〜6割…。これがいかに凄まじい数字かは日本人の私にはとても想像がつかない。
仕事やってる人が珍しいレベルだろうか?
この失業率の高さが何を生み出すかと言うと当然の犯罪率の悪化である。
ケープ州の殺人件数はあの世界一治安が悪いと言われたヨハネスブルグを上回るそう。
私も南アに来る前にこれらの情報は知識として知っていたのですが来た実感は別に大した事がありませんでした。
現在をもってしてみても引ったくり一つ見た事がありませんし学友から危険な体験談を聞いた事もありません(私は薬物強盗にあったが)。
もっとも、これらは私の下宿先がケープタウンの目抜き通りに位置するアダーリーstにある事に関係があるでしょう。
街中の至る所で警察をみます。時々ですが大きなショッピングセンターとかで警察っぽくない人がでかい銃を抱えて警備にあたっています。アレは警察なのか軍なのか分かりません。現地の法体制とかどうなっているのか興味が湧きます。
つまり、市内全域で警察が治安を守っています(私が薬物強盗にあった時も2〜3分で来てくれた)。
私の推察ですが市内に大きな事件があると州の威信に関わるから警戒レベルが極めて高く設定してあるのでしょう。ありがとうケープ警察。
しかし裏を返せばケープ市内以外の治安維持は手薄という事になります。実際にタウンシップというエリアの殺人件数、強姦件数は世界一だそうです。
そのエリアはアパルトヘイト時代に特に貧しい黒人を集めて(集まった)出来た地域で危険度という意味ではヨハネスブルグとなんらの遜色もないそうで現地の南ア人も近づかない区域だそう(そんな場所こそ行ってみたいものだ)。
ちょっと言いたい事と離れてしまいましたが私の滞在しているケープ市内は比較的に安全という事であります。
その代わりと言ってはなんだが凄い数の浮浪者や物乞いがいます。私は当初南アはアフリカ大陸屈指の経済成長を誇り近代的な街や民主的な行政機関を持つケープタウン市内にこれだけ多くの浮浪者がいるとはおもっていませんでした。
彼等物乞いの文句は決まっています。彼等は決まって、
「私はとてもお腹が減っています。お金は入りません。どうか食べ物をいただけませんか?本当にお金はいらないのです。どうか食べ物を…。」
と言います。これを言ってくる人は様々でぱっと見で浮浪者っぽい人もいれば小綺麗な身なりの普通の黒人もいます。年代も多様で下は5〜6歳で上は(多分)70歳以上まで様々。
私は近年give(与える)の精神でいましたので最初は戸惑いながら彼等に少額の金銭や食べ物を買って分け与えていました。しかしキリがない。誰かにいくらか渡すとそれを見た別の浮浪者がやって来て、またいくらか渡すと別の物乞いがまた…、といった調子。
おおよそ市内を100メートルも歩けば高い確率で声をかけられます。東洋人は珍しいので顔もバッチリ覚えられていて同じ物乞いが日を跨いで声をかけてきます。
彼等をみると何とも言えない複雑な気持ちになります。誇りも尊厳も失いただただ周りに縋り施しを要求する。ただただ毎日の糧を得る。浮浪者や物乞いの多くが私より明らかに歳下の10代〜20代の若者ですがこれには胸が痛みます。
なんて世の中だろう…。恨むなら白人達を恨めよ…。
と思います。なんとかしてあげたくても問題の根が深すぎて私なんかじゃもちろんどうにもならない。誰かのせいにしないとやり切れないというか…。
マンデラ氏の様なヒーローがまた現れれば解決するか?
いや私は無理だと思います。そんな生優しい問題ではない。
そして私は徐々に彼等浮浪者に対して興味を失っていきました。声を掛けられたらダッシュで離れる。残酷なようだが私もいずれ慣れていくだろう…。
どうにもならない問題だしネガティブな話題だから記事にするのは自重しよう😎
そう思っていたある日の事…、
その日、私は21時からオープンするTAOという店に行きました。その日は金曜日。俗に言うフライデー・ナイト・フィーバーです。
先週に事件に巻き込まれたのにも懲りず学校御用達のナイトクラブに行きアラビックの学友達と踊りまくりました。会場は大盛り上がり。私は満足して帰路に着きました。時刻は24時過ぎでしたが金曜の夜ということもあって通りは賑わっています。人気があるうちは通りは比較的に安全。
帰路に着く私に黒人女性が近付いて来ます。
やれやれまたか…、
私は歩く歩調を速めますが女性は諦めません。100メートルくらい歩いても女性は必死でついて来ます。仕方なく話をしてみると、
「私には三人の子供がいて本当にとても、とても困っている。見ず知らずの方にお願いするのは大変に心苦しく恥ずかしいが、どうか哀れと思って助けていただけないだろうか?どうか子供達に食べ物を買い与えさせていただけないだろうか?」
大体こんなような意味の事を言っています。
私は彼女の必死の形相や切実な声色から嘘を言っているわけではない事が理解できました。わたしは昔から嘘と真を見分けるのが得意なのです。
根負けした私は彼女に100ランド紙幣(日本円で800¥くらい)を与えました。
しかし彼女はなんと
「これでは足りない。もう少し分けて頂けないだろうか?」
と、これです。
さすがに私は気分を害しました。私が彼等に施しを与える時に100ランドも与える事は滅多になく多くても50ランドといったところ。3人の子供を〜という言葉を汲んで奮発して渡したというのに…、、
かなりでかい声で私は言いました。
「何を言っているんだ!?つい今しがた貴女に100ランドも渡した。まさかもう忘れたのか?勘違いするなよ!俺は銀行じゃあないんだ!馬鹿めが!!」
しかし女性は全く怯まずにまだ何事か言っています。
みかねたstの警備員が仲裁に入り私に早く行けと手で合図します。
私は警備員に感謝の言葉を述べて帰路に戻ります。
また100メートルほど歩くと背後から何人かの足音が聞こえます!
薬物強盗にあった日の事が頭をよぎります。ゾッとした私は全速力で走り出しました。
もう下宿先は目の前、グリーンマーケットという広場で私は振り返って身構えました。常日頃から摂生に努め鍛え上げた私の身体。いくら酒が入っても簡単にはやられません。
追いかけてきた影を見て驚きました。
それは、3人の小さな子供です。
年は1番上は男の子で10歳かそこらにみえます。1番下は恐らく5〜6歳の女の子でしょうか。
三人は可愛らしく実に利発そうにみえます。
彼等はキラキラした眼で口々に何事か言っていますが早口の英語なのでなんだが分かりません。
それより私が注目したのは後から追いついた(多分)父親の眼です。
父親の眼は深い悲しみを湛えておりました。
190センチを超えるであろう堂々とした体格で本来なら良き父であり夫なんでしょう。
守るべき妻や子供やを使って他人に金をせびらせる。
心中いかばかりか…?
彼は自分の三人の子供や妻が物乞いをする事に強いショックを感じている…。
そうせざるを得ない自身の状況に絶望と悲しみを感じている。
彼の表情からそれは容易に理解できました。
彼の妻や子供は喚き続けます。
、お願いします!兄弟も母も空腹で倒れそうです。
、哀れみはいらない。金をくれ。
、プリーズ!プリーズ!!プリーズ!!!
この子供達はどうなっていくんだろう…?
真夜中に家族総出で物乞いをしなければいけないなんてあんまりにも酷い…。
彼等に救いは無いのかしら?
私はもう100ランドを彼等に放り投げ更に足速にその場を離れました。
一体どうするのが正しい判断なのでしょうか?
この国の病理の深さは凄く深刻です。
あの家族や傷付き追い詰められた全ての病める人貧しき人に幸の多い事を祈っています。
苦しむアフリカ大陸に幸あれ‼️
ではまた👋
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