年度末。
乙です。藍郎です。
この歳になると、決裂した人間関係を修復しないとなんて気持ちはさらさらなくなって、分岐した川のようにただ自分の流れに沿って流れていって二度と交わらなくても、風景は美しいし孤独は心地よいし、結局はどの川も死という大海に流れ込むんだし、一向に気にならないので本当にもう永遠にさようなら。
↑こんなエントリーをX(旧Twitter)で見かけまして素敵な考えかただなぁ…!
と思いました。
この投稿は様々な捉え方が出来ますが、詰まるところ
人は最終的には死ぬから誇りも無ければ恥も無い、地位も金もしがらみも(本当は)ない。
テンション上げてミステリアスに生きよう!
と(多分)言っています。
合わない人とは合わないでいいし、やりたくない事はやらんでいい。くだらない事象を考える時間はない。何故なら人は直ぐに死ぬから…。
こう言った人生に対する哲学は私に勇気を与えてくれます。何をやるにも頭に、「どうせ死ぬから」を付ければ心構えは変わってきます。
(どうせ死ぬから)孤島に行ってみよう!
(どうせ死ぬから)アフリカに留学だ!
とか何にでも使えます。もちろん応用も効きます。自身のアウトプット全般に有用。誰にでも簡単に使える魔法の言葉である。
(どうせ死ぬから)を合言葉にすれば世間の評価や肩書き、人間関係に悩む事もなく元気いっぱいに生きることが出来ます。
(どうせ死ぬなら)沢山笑おう。(どうせ死ぬなら)人を愛そう。愛されよう!
それが一番です。
ではまた👋
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