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無色透明

男は土砂降りの船着場に降りた。台風が近づいている様で狂った様な雨である。
気に入っているスニーカーは数十メートル歩いただけでドロドロで極めて不快である。
観光地である船着場の街でサウナで整うつもりだったが靴がびしょびしょではサウナから出た後に更に惨めな気分になってしまうのは間違いない。
坂道の多い道はまるで川の様。
誰にも聴こえないため息を吐きながら男は駅に向かって歩き続ける。

ふと、男の眼に立ち飲み屋が眼に入る。いくらか迷った男は諦めた様に暖簾をくぐる。

熱燗を注文した男はそれをチビチビやりながら考え込む。

男「何故、こうなったんだろう?
2週間、、たった2週間の間に仕事を失い家を失い、逃げる様に船に乗り、着いた街では土砂降りの雨と暴風。使者に鞭打つ、とはまさにこの事。つぎの災難はなんだ?」

男の眼には涙が溜まっている。それを拭う事もせず男は虚空を見つめる。

男「嫌なことばかりでもう疲れた…。いままで良いことなんて一つもなかった…。戦い続きの人生、、もう休みたいな。」

男は伝票を持ち立ち上がる。ある決意を秘めて。

男「すいません,ご馳走様でした。お勘定を…お願いします。」


「ありがとうございます。
あら?お客さん、なんだか色が薄いですね。」

男「はっ?色?」

男はマジマジと女店員を見つめてみる。容姿は綺麗目な女性であり歳の頃は50代といったところだろうか。何処となく妖艶な雰囲気がある。

女「ええ…、何だかお客さんの色が薄くて後ろの景色が透けて見えるみたい。
うふふ、面白いわ。ふはは…。」

男「はぁ、土砂降りの中を永遠と歩いてきたんで疲れちゃったんですかね。
それでおいくらですか?」

女「お客さん、ひょっとして今日辺り死のうとしてるんじゃありませんか?
つまり…自殺しようとなさってません?」

男「…ははっ!急に何を言い出すんです。初対面で失礼な方だな。何を馬鹿な事…。」

女「あなた練炭自殺しようとしている。おそらく3時間後に。」

女は冷静だが断定的に指摘してくる。その眼は不思議に優しい。知り合いの誰かに似ている。

男「ふっ、貴方の意味不明な推察が仮にあたっていたとしたら…、仮にそうだったらですよ!そしたらどうなんです?止めるんですか?」

女「別に止めませんよ。透明な人は考えている事がよくわかる、ただそれを言ってからかってみただけ。うふふ。」

男は店を出る。もはや駅に向かわず当てもなく歩く。歩く。

男はブツブツと呟く。

男「俺が色が薄くて透明だと。無礼でふざけた女だ。しかも言うこと言うこと当たっているとは腹が立つ!
しかしあの女は何者だったんだろう…?
あの切れ長の眼、よく笑う口元、冗談好きな性格、
5年前に別れた俺の子に似ている…?

ははっ!じゃあ何かい。あのふざけた女は俺の子で自殺する間際の俺を見物に来たって?わざわざタイムスリップして?あはは…。」

男は立ち止まり空を見上げる。いつのまにか日は沈み夜。台風は通り過ぎた様で空はすっかり晴れ渡っている。星がチカチカしている。風はまだ強い。
目の前には海が広がっている。ちょうど良く崖の上。死ぬにはいい日だ。

男「もし、そうだったなら…、あの子が俺の自殺を見物に来たのであるなら、そうであったら伝えたい事は沢山あった。あったのになぁ…。すまない子供ちゃん。さようなら!」

男は勢い崖からジャンプしようとしたその刹那…、

声(腹話術,裏声)「待って。死なないで。」

男「うぉ!びっくりした。誰だ、今俺を呼んだのは?」

声「父さん、誰よりも偉大な気高き男である父さん。私は貴方の子供である子供です。名前は子供です。」

男「そうか…子供だったか。少しびっくりしたが実は来るんじゃないかと思っていたよ。
俺が死ぬのを止めに来たのか?」

声「まぁ、一応そうですね。でも手遅れみたいです。もう少し早く声をかけるべきでした。」

男「ん、何だと、手遅れ?」

声「父さん、きづきませんか?周りを見て下さい。」

男は辺りを見渡してみると真っ暗闇である。息が出来ない。眼がよく見えない。まるで透明な水中のよう。

男「うぐぐ…、息が出来ない。苦しい。どうなっていやがる。子供ちゃん、助けてくれ!」

声「無理ですね。手遅れです。」

男「しょ、しょんな…、酷い…。」

声「父さんが死にたくて死んだなら本望ではないですか?
父さんの身体は透けていますよ。色も薄い。もう間も無く死にます。さよなら父さん。」

男「子供ちゃん、待ってくれ。俺は死にたいわけではないんだ。ただ受け入れてもらいたかっただけなんだ。この世間や人、常識や倫理観に囚われた世界に俺の居場所を提供する余地を…、」

声「ウゼェなぁ…、え、何?
生きたいの死にたいの?どっちなの?ハッキリしないのは失礼だと思いますよ。」

男「生きたい!俺は何としても生きたい!!
子供ちゃん、何とか俺を助けてくれ。頼む。」

声「やれやれ、仕方ない…。今回だけですよ。」

男「ああ、頼むよ。」

声「でも本当にいいんでしょうか?死ぬは易くて生きるは難い。父さんの場合は特にそう。これからも辛い事は無限にありますよ。」

男「気が変わったんだ、助かるなら何でもいい。良かった。ありがとう子供…。」

声「うふふ…そうですか。分かりました。」

薄れる意識の中で男の身体が透明になって光り輝いていく。

どれくらい時間が経っただろう。目を開くと駅前である。全身びしょびしょ、ひどく寒い。

男「あぁ、生きてる…。子供ちゃんが助けてくれた。本当に助けてくれたんだ。」

男は立ち上がり駅に向かい歩き出す。 

男「子供に会いに行かないといけない。そして恥ずかしくない人生を歩まなくっちゃ。助かった命を大切にする。子供に誓うよ。」

男の足取りはいくらか軽い。駅はもうすぐそこ。

終わり

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