アカデミックディベートをやっている自分から見たパーラメンタリーディベート

書こうと思ったきっかけ

最近パーラメンタリーディベートについて
なるほど!!!そういうことだったのか!!
と思うことがありました。
勢いで書いてます。

アカデミック? パーラメンタリー??

ディベートにはざっくり分けて、以下の2つの流れがあります。
アカデミックディベート
パーラメンタリーディベート

そもそもディベートって??という方は以前書いた記事をどうぞ。
↓↓
https://note.com/airkei8371/n/n6c270428cf48

アカデミックディベートは事前に準備するディベートです。
数週間から数ヶ月前に論題(=テーマ)が発表され、文献やネット記事などを集めて議論を作ります。レポート作成を思い浮かべていただければイメージしやすいと思います。そして引用箇所を読み上げながらスピーチを展開します。

それに対してパーラメンタリーディベートは即興的に行うディベートです。
15分前〜20分前に論題が発表され、自分がいま持っている一般常識や知識を駆使してスピーチをしていきます。広く浅くいろんなことを知っていて、素早く論点を整理できる力が問われます。

パーラメンタリーディベートでは「メリットとデメリットの比較」を行わない!!

これです!いやほんと、カルチャーショックでした。。
それと同時に、今まで何度かパーラメンタリーディベートをやりながら感じていた違和感が解消されました!
なるほど。。!そういうことだったのか。。

2004年と古めの記事ですが、アカデミックディベートをされていた方がパーラメンタリーディベートについて書いています。
http://falcons.misudo.com/parliamentary.html

基本的に、メリットとデメリットを比べてどちらが大きく残ったか、といった基準では判定はしない。試合を通じたスタンスのようなものを重視する。

あるパーラメンタリーディベートの練習会で
全体的に一貫性があったからこちらの勝ち
という判定がされていました。

「え!!何それ、、なんで一貫性があることが投票理由になるんだ!?」
「両方の議論を比較してどっちがなぜ勝っているかを示さないと投票しちゃダメなんじゃ。。。」

と煙に巻かれたような気分になったのですが汗、
これはアカデミックの枠組みで試合を見ていたからだったんですね。

意思決定のためのシミュレーションゲーム と
応酬型のスピーチゲーム

アカデミックディベートにおいては、ほとんどの場合「政策論題」が扱われます。これは「〇〇は×××するべきである。是か非か」という形で表され、ある主体がある政策や行動を行うことは望ましいかどうかを議論の対象とします。

どう判定を下すかというと、上でも書いた
メリット(=望ましい変化)とデメリット(=望ましくない変化)の比較
です。

肯定側はこんなにいいことが起こるからすべきですよ
否定側はこんなに悪いことが引き起こされるからすべきじゃないですよ
と主張するわけです。

そして
・論題の採択のみによって何がどの程度変わるのか
・それらを総合して見たときにデメリットを上回るだけのメリットがあるか
といった観点から判定を下します。

つまりアカデミックディベートは一種のシミュレーションなんです。
だから試合展開としては中盤で様々な論点を同時に議論し、最終的にはメリットとデメリットの比較に収斂していきます。意思決定のためのシミュレーションをゲームに落とし込んだとも言えます。

(実を言うとトピカリティーやクリティークと言った、メリットデメリットの比較とは別の次元の議論もあるのですが割愛)

。。そこまでパーラメンタリーディベートを経験したわけではないので無責任なことは言えないなぁと思いつつ、ここまで書いたので書き切りますね汗
それは違うよ!
というパーラメンタリーディベート実践者の意見、歓迎いたします!

試合を通じたスタンスを重視する、ということは、
反論されてもなお、明確なスタンスに基づいた一貫した主張をできている
ということがパーラメンタリーでは重視されているんだと思います。

パーラメンタリーで感じていたもう一つの疑問として、
(アカデミックほどには)イシューが役割ごとに整理されていない
というものでした。

例えば否定側(パーラメンタリーでは「野党側」)が提示する反対理由として
1.〇〇という弊害が発生する
2.肯定側の提案には問題解決能力がない
という2つが出されることがあります。

この出し方はアカデミックディベートでは好まれません。場合によっては2番目の論点が全く評価されないこともあります。
なぜなら2番目はメリットへの反論(=論題を実行しても良い変化は起こらない)であり、積極的に論題を否定し現状維持を支持する理由にはならないからです。

出すとしたら自分たちの論点としてではなくメリットへの反論として2番目のスピーカーが説明するべきと考えられます。

しかし、それはあくまでもアカデミックディベートの感覚なんだと思います。アカデミックディベーターが期待する厳密で論理的な議論の応酬よりも、スピーチの分かりやすさや全体としての一貫性を重視するんだろうなと感じます。

食わず嫌いはよくない

、、といろいろ書いてみて、
明確なスタンスを示した上で主張を展開するパーラメンタリーの論理構成ってなんかクールだな
と感じました。

日常の中でアカデミックのように実行前と実行後を細かく比べながら話を聞く場面ってほとんどないと思います。だからこそアカデミックディベートが複眼的に考える訓練になるんですけどね。

しかしスピーチのかっこよさ、分かりやすさという点ではパーラメンタリーの方に分があると思います。最初にバシッと「こういう社会が望ましいんだ!」と示して、そこから話を広げるスピーチってカッコよくないですか??

久しぶりにパーラメンタリーディベートの練習会に行ってみようかな、と思いました。
と同時に、パーラメンタリーをしている方々も食わず嫌いせず、アカデミックをやってみて欲しいですね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?