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現実創造mariage ご先祖の足跡に答えがみつかる

父方の祖父母の教え

人に借りてまで
豊かになるな!

人に借金してまで
楽なことをするな!

…今日、父との電話で聴いた言葉


嗚呼…12年前に聴いていたら
もう少し違ったのかなぁ

いいえ…今、聴くから
私にはとても響く、そして決める


祖父は戦争中、中国にいました。

横浜で訓練を受けた時代から
かなりオシャレな兵隊さんだったと言います。

砂漠でラクダに乗った写真は
軍服姿も凛々しい、オシャレな祖父

そんな祖父は銃に撃たれて死の淵を彷徨いました。

負傷兵はその場から置いていかれた時代

祖父もそのまま、死んでしまうのかと諦めていたそうです。

その時、助けてくれたのは
地元、中国人

祖父の身を隠そうと木々や葉っぱを覆い被せました。
おかげで、敵兵にみつかることもなく
寒さを凌ぎ、夜露で水分補給もできました。
まもなく、味方が助けにきて、帰国しました。

そんな経験から人を信じて疑わずな祖父、
料亭で働く祖母と一緒になり終戦直後に産まれた父、そして弟の叔父と4人で暮らしていました。

親類が材木屋さんだったこともあり
祖父は大工をしていました。

ある日、家を建てる家主から貰ったばかりの
売上金を実の兄に持ち逃げされてしまいました。

やけになった祖父は、建前の家で酒を浴びるほど飲んでいました。
明かり、火を使ったので、その火は
材木に引火して、瞬く間に炎が大きくなり
燃えてしまったそうです。

親類のおかげで何とか事は納めたものの
その土地にはいられなくなった祖父らは
誰も頼る人もない島根県出雲市へ行くことになりました。

父曰く
「ある日、突然、夜逃げかのように
家を出た。
友達にも、さよならを言わないまま
昨日まで遊んでいた仲間たちとも
通い慣れた学校にも別れを言えなかったなぁ」

祖父も祖母もゼロからのスタート
大工の祖父
瓦職人の祖母
2人でくっく、くっくと働きました。

おかげで出雲での暮らしは
人並み以上の生活が出来たとか…

職人を雇うこともできたり
2人の子供を高校に行かせて
父は大学にも行くことができました。

夕方になると祖父は酒場へ繰り出し
大勢の人と飲み明かす生活

たまに、家がない人や職を失った人を
家に連れてきては何日も住まわせたり
食事を提供したり
仕事を手伝わせたりしていました。

裏切られた筈の実の兄は懲りもせず
出雲まできて祖父にお金を借りにきました。

それに倣ってか、甥たちも祖父を頼ってきたそうです。

祖父は黙ってお金を貸して
甥っ子たちが困っていると言えば
職を当てがい、人をつなぎ、
常に自分の親族の手助けを欠かすことはなかったそうです。

祖父は父や叔父をとても可愛がっていました。
怒ることは一度もなく、
父や叔父のやりたいことを
「ほー、ほー、まぁ いいんじゃない」
と言っては、笑っていました。

「孫は可愛いって言うけど
ワシはじゅんちゃんとジョウジが1番可愛い!」
と孫の前でも言う人でした

自分が豊かさに溺れることはない。

自分が受けた恩はしっかり返す。

朝は必ず
「おっはようさん❣️」と元気に挨拶をする

「ありがとーさん!」
「ごちそーさん!」

ハンチング帽に格子のジャケット
祖父の生き方はとってもシンプルスマート
その血は私にも流れている。

高校一年生
部活で良くしてくれた先輩は
昔、祖父が仲良くしていたお酒屋さん。

高校を卒業してアルバイトした場所
そこは父達がいた自宅の跡地。

血は濃かった…

さて…ココからの経験は
何が起こるのか、
じっとみつめる


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