地球からお金がなくなったら。

前澤さんが、ワイドなショーで「地球からお金をなくしたい」と話していました。
主役の座をお金に奪われていると。

私がまず感じたのは、もしお金がなくなり、みんなが善意で好きな仕事をするのであれば、誰が死体の処理をするのだろう?公共トイレの掃除は?ゴミ収集は?
給料が高いという、対価の均衡性があるから、大変な仕事でも従事する人がいるのでは?と思いました。もし、対価に関係なく職業を選択できるとして、風俗を職にする人はいるのでしょうか。極めて少ないと思います。

お金がなければ犯罪が減るとも前澤さんのblogでおっしゃっていましたが、むしろ性犯罪など、お金を払って風俗などを活用出来るから抑制されている犯罪もあると思います。風俗がなければ、制欲を発散させたいが性交渉が叶わない人は力づくで叶えようとするのではないでしょうか。

それから、お金がなかったとしても、人間なので争いは起こると思います。何かにつけて優劣をつけたがり、より良い場所に住みたい、美味しい食材が食べたい、と欲が出てきて、しかし供給量には限りがあるため奪い合い、武力闘争が起こるか、もしくは知恵を絞り、お金と類似した仕組みを、交渉の落とし所にしてまた同じ事の繰り返しになると予想します。

お金がなかったら、みんなが幸せになるという推理は、これまでの歴史から何も学んでいない浅はかな妄想ではないかと感じます。
原始時代や、社会主義国(それこそポルポト政権など)も試行錯誤の末、失敗してきているはずです。

私の個人的な意見ですが、
幸せ=良質な時間を過ごすこと
良質な時間というのは、最低限の衣食住、娯楽、安全が備わっていること。
最低限の衣食住、娯楽、安全のためにはお金は必要なのです。
そのためにみんな対価で仕事を選択しているので、多様な業種にも従事する人がいるのではないでしょうか。給料の多さで従事者を募るためのバランスを取っていると思います。

前澤さんの発想はとても面白いなとは思いますが、冷静に考えるとあり得ないと思います。

お金をたくさん持っていて全てを手に入れて、飽き、虚しくなり、幸せの本質を考えた末のお金持ちの行き着く末なのかなと思います。
(スティーブ・ジョブズもお金=人生の幸せではないと死に際に語ってましたね。)
むしろ、お金ありすぎても幸せじゃないと示してくれている気がします。

貧乏人は山に登れば幸せになれると信じているけれど、実際登ったお金持ちは何もそこにはなかったことを知っているんだって。
という話が印象に残っているが、まさにこのことなのかと実感しました。

お金はありすぎても、なさすぎても、時間の質は下がるのかなと感じました。一番適度に満ったとき、初めて他のやりがいなどに目を向け、衣食住や娯楽、安全に感謝し、周りの人と穏やかに過ごすことが、幸せなのではないかと思いました。

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