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20歳、鬱病だなんて甘すぎる

人生初めての精神科に行ってきた。

鬱症状は5年ほど前からずっとあったけれど、行くのが怖くて先延ばしにしてきた。

結果からいえば案の定、鬱病だと診断された。
「そうですか…」と曖昧に頷く私は、なんだか納得がいかなかったからだ。

医者に対してではなく、なんだろう、やっぱり自分に対してだ。


自分はもっと元気な方だと思ってた。
現在は週5勤務と休みの2日を別のバイトで抹殺し、夕方から夜間の専門学校に週4で通い、スケジュールを埋め尽くしている。

確かに突然泣き出したり、過呼吸を起こしたり、気分の浮き沈みが激しかったりして、周りの人に白い目を向けられることは増えたけれど、死にたい気持ちが膨らんでも泣くだけで他に何も出来なかった。

電車に飛び込むのは駅員さんが気の毒に思えたし、リスカは血を見ると気持ち悪くなるのでしなかったし、ODも薬を買うのが面倒だった。それでも本気で自殺しようと思ったのは数回だし、この間は橋から飛び降りようとして柵に足をかけたけど、花火が綺麗だったからやめた。

ほら、私はまだ元気だよ。


私が想像する鬱病は、気分がずっと沈み続けていて水面に浮いてこないものだ。

そういう時期も過去にあったけど今は落ち着いた。
水底で窒息しそうだった時に手を差し出してくれたのも、そこから救い出して守ってくれたのも君だけだったよ、ねぇはんぞうくん。
君は今、私ではない知らない誰かの恋人だ。幸せでいてね。


私の恋人は私のことをとても愛しているけれど、弱りきった私に寄り添うことが苦手だ。
自分の気持ちだけ突き抜けてしまって、私がどうしてそう思っているのか、なぜ泣いているのか理解が追いついてないように見える。

そういう恋人の言動に更に傷ついてしまう。悪気がないから憎めない。 


困った時、寂しい時、どうしようもなく死にたい時。
家族や恋人、友達に「助けて」と言える人が羨ましいし、言えなくても周囲の人が何とかしようと動いてくれるのも羨ましい。

家族とか友情とか青春とか。くだらない話と生産性のない時間を、世の中の大半の人は瑞々しい感性のまま、二度と戻らない青く尊い日々を大切にしてきただろう。

私はそういう皆が大切にしてきたものを全部「許せない」という憎悪の燃料に変えてここまで走ってきた。

動けなくなった高校2年生の秋。5階の外廊下で心から死を願った私には、私を止める人も、私を生かすものも、何も。何もなかった。

その場からどうやって逃げて、家まで帰ったのかよく覚えていない。

そんなことがあっても、学校の図書室でこれを打つ私がいるのだから多分まだ元気だ。



今日の医者の言葉で耳に残っているのを書き留めておこう。

「『鬱だから休みます』って甘えだと思われがちですよね。気持ちの問題だから大袈裟にするなとか。でもそれが癌だったら反応が変わりますよね?『癌だから休みます』どうぞどうぞ、治療に専念して下さい。そこが鬱に対する差別だなって僕は思います。確かに癌で多くの人は死ぬけれど、同じように鬱で自殺する人も多いですよね?鬱だって病気なんです。貴方にも休む権利があるんですよ」

そうなんだ。でも最後まで頑張れなかった私は誰かに甘えたかっただけなのだろう。

甘すぎる私、一生自己肯定感なんて身に付けられない。

もう何も頑張りたくない。

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