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noteの空白期間

実を言うと、2022年の記憶がほぼ抜け落ちている。
私の脳は年々レベルアップして、嫌な記憶は直ちにメモリーから排除することを覚えた。その成果によって、2022年の記憶は10月後半から12月までの2ヶ月間しかない。

noteの下書きや鍵垢のTwitterに、抜け落ちた日々の鬱屈とした断片が散らばっている。別垢にいくつか供養しているが、内容がどれも酷い。

誰にも見せられない言葉も私であって、私だけがそれを飼い慣らすことが出来ると信じている。


2023年、現在21歳の私は休学や復学を繰り返してようやく2年生になる。(三年制の夜間専門学生)
卒業後の進路や就活などを考えると気が滅入ってくる。鬱になって退職した前科があると、どの会社で何やっても上手くいかない気がする。

私にとって、何事も一緒にいる人の方が重要だ。仕事内容や給料よりそっちの方が人生を左右する。
たかが人ひとりにこんなにも心を乱されるなんて、自分の気の弱さに泣けてくる。


休日に友達と遊ぶことはなくなった。
鬱になる前は10数時間労働で休まず働いていたので遊ぶ暇もなく、鬱になった後も人に会うのが怖くて断念した。良くなった後もどうしても会う気になれなくてお誘いを全部断った。声を聞くのもダメで電話すらしていない。

冗談抜きでクラスメイトかバイト先の人か、一緒に住んでいる兄さんにしか会っていない。


そんな人間恐怖症みたいな私だが、ここ数ヶ月とあるMMO(ゲーム)をずっとプレイしていて、その中でたくさんのプレイヤーと話したり、協力し合って日々を費やしている。

今現在ギルメンが30人、フレンドが50人ほど。今まで辞めていった人も含めると、ここ数ヶ月だけで100人くらいのプレイヤーと交流し、その中の誰かとほぼ毎日話している。

こんなにも他人とフラットに話せるなんてゲームとは凄い。このゲームはまるで小さな学校みたいだ。仲のいい「イツメン」みたいな人や、クラス内での派閥争いだとか、気になる人がいるとか、ちょっとしたすれ違いだとか、すぐ噂が広まるだとか。そういう社会の縮図を見ているようで凄く興味深い。

その中でも私は、どうやら周りの人以上に沢山話す人でフレンドも多い方らしい。だからよく「服部さんは人が好きなんだね〜」と言われる。

人が好き……?昼夜逆転生活で家に引き篭もりながら、寝るか食べるかゲームしかしてない私が人が好きな訳なかろう。と思う。

それでも気がついたらゲームを開いて誰がインしてるか見てしまうし、寝落ちしてアバターだけポツンと取り残されているフレンドの横に座ったりして、誰かと時間を共有している。


好きとかではなく、ただ寂しいって感情だけで動いてるようなものだ。誰かに横にいてほしい。でも深く干渉しないでほしい。関わりたくはない。見ているだけがいい。自分勝手な我儘に他人を利用してるだけだ。それが巡り巡って相手に喜んでもらっているのは何だか複雑な気分だ。

「いつも一緒にいてくれてありがとう」「君とフレンドになれて良かった」「明日もまた遊ぼうね」なんて、私の方が貴方に言いたいのに。


こういう時はどうするのが正解なのだろう。
以前仲が良かった人のnoteに、私が最後に言った言葉がそのまま載っていてびっくりした。それでも新しい出会いを楽しんでいるようでよかった。酷いことをしたけれど、後悔はしていない。私はあの場所に友達と一緒に行くことは二度とない。

誰かの今歩んでる人生に私がいる時、私がいなくなった跡地には新しい人が補充されるだろう。そうやって循環していって、いつか私のことを地の底でゆっくりと忘れてほしい。覚えてなくていいんだよ。

どうせいつか皆、いなくなっちゃうんだから。君から見える私みたいにさ。
ああ、やっぱり人のことが怖い。何をしてるんだろう。それだけです。


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