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夢を叶えたら、うつ病になった話

そんなの誰が想像したでしょうか。

私の恋人は凄い。ずっとやりたかった事が仕事になって、その作品を気に入った人がそれを買い、お金を貰えるようになった。それはとても凄いことだし、自分にとっても相手にとってもプラスになるような素敵な事だ。

才能がある、と思う。彼は直ぐに「個人制作のものだから、プロに比べたらクオリティは低いし」と恥ずかしそうに否定する。

クオリティとか、そういう技術面での才能もあるんだと思う。でもそれ以上に、「好きな事をずっと好きでいて、それを誰かの幸せの為に活かせる」という点が、私の考える彼の才能だ。

羨ましいな、と心から思う。そういう才能ってどこからやって来るのだろう。やっぱり生まれつきなのだろうか。それを持ってない人は、どうしたらいいのだろう。私はどうしたらよかったのだろうか。


私は、小さい頃からずっと憧れてた仕事にバイトとしてなった。
決まった時は死ぬほど嬉しくて、母に大喜びで報告した。母も自分の事のようにとても喜んでた。普段会わない父にも、偶然すぐ会う機会があって、車の助手席に座ってルンルン気分で報告した。

高校受験も、今の専門学校に合格した時も、一度も祝ってくれないどころか、「そんな将来役に立たなそうな学校(服飾系)行きやがって」と嫌味を散々言われたが、少し嬉しそうに「良かったな」と言ってくれた。

それはそうだ。このバイトは母と父が大好きな場所で、私が誕生日になると決まって3人で遊びに行った、大切で思い出の場所だからだ。

嬉しかった。ここで働けることにとてもワクワクした。どんな世界だろう。どんな人がいるのだろう。期待と夢で胸をいっぱいにして迎えた入社式。初めて制服に袖を通した時。その姿を鏡で見た時。お客様の前で練習通りに台詞を言えたこと。ありがとうって言われることの嬉しさ。自分のサービスを喜んでもらえることの幸せ。

たくさんの煌めきがあって、笑顔があって、それぞれの幸せがあって、夢と魔法が混ざりあって、それはとても眩しくて綺麗な世界だった。

そんな世界に居られることが、私にとって幸せだった。
この世界にずっといたいと思った。
その為に、もっとこの世界に適応した自分になりたかった。
だからこの世界に適応してない自分を見つける度に酷く落ち込んだ。



私は、よく注意されていた。
こうした方がいいよから、どうして言われたことが出来ないの?みたいな。とにかく、色んなこと。

最初にヒビが入ったのは、やってる最中に横から言われて、今まで我慢してた不満が爆発して、お客様がいるその場で泣いてしまったことだ。入社して2週間くらいだろうか。直ぐに裏に引っ込められて、1時間ぐらいずっと泣きっぱなしで、その注意してきた上司と面談のような会話をした。あんまり覚えてない。

私が悪いんだろうなって段々と分かってきた。上手く笑えない私が悪くて、愛想良く返事も出来ない私が悪い。どれだけしたくなくても、社交辞令で可愛い笑顔と気持ちのいい挨拶をごく自然に出来る社会人って凄いなって思う。

私はそれをお客さんに対しては素晴らしいほど出来るらしい。そこについては何度も褒められたが、一緒に働く従業員に対してそれが出来ない。

なんでだと思う?いや、毎日のように何かしら小言を言われて、注意されて、腫れ物みたいな扱いするような人達に、こっちからニコニコ挨拶出来るか??ってそこも我慢出来なかった私が悪い。

大人になるってきっと、そういう事を上手くできるようになることだ。



そこからはもう、少しずつヒビが広がっていくような日々だった。

遅刻と欠勤が増えていって、行きたくない朝と、起きられない朝と、出勤時間を間違える朝と、気持ち悪くて動けない朝。時間通り行けたとしても、集合時間ギリギリに着くような毎日を繰り返していた。更に忘れ物や無くし物が増え、評価欄に何度もバツが付き、個人面談をなぜか私だけ行われて、そこでもまた泣いた。

取調室みたいな狭くて白い個室に女性の上司と2人きり。ミシミシ軋むパイプ椅子に腰かけて、自分の評価欄のマイナス部分を見つめて泣いてた。

その時は自分でも焦っていた。どうしてちゃんと出来ないのだろう。もっと完璧でいたかったのに。同期のみんなの方が自分よりもっと充実して、楽しそうで、先輩や上司にも可愛がられてて、なんでこんなにも差がついてるんだろう。

「後悔するのと、反省するのは全然意味が違うんだよ」

そう言われたことをよく覚えている。反省するってどういうことだろう、もうそれすら分からない私は社会生活に向いてない。


その後「これからどうなりたい?」と聞かれ、私は足りない頭で「完璧になりたいです」と答えた。本心だったと思う。それしか、頭に浮かばなかった。少し困ったような表情をしていたけど「じゃあまずは1ヶ月、何も失敗しないように頑張ろう?それが出来たら、うんと自分の事を褒めてあげようよ。私もいっぱい褒めるから!ねっ?」



その面談以降、私は心を入れ替えて今度こそちゃんとやろう、完璧になろう。と思い、遅刻も欠勤も忘れ物もしないように物凄く頑張った。

2週間が経ったある日の朝礼で、その面談をしてくれた女性が別の部署に移動することになったと知らされた。その日はショックで頭が回らず、仕事中にミスはしなかったものの、次の日になって社員証を家に忘れ、会社に入ることが出来ず遅刻した。

失敗しないと約束した矢先に遅刻したことも、その人が居なくなることも、ショックで受け入れられなくて苦しくて、終わった後の自分のロッカーの前でまた泣いた。

そこからあっという間に時が過ぎて、その人は居なくなった。最後の出勤の時に、私にグッピーラムネをくれた。あの約束以降、遅刻を一度してしまったことを報告すると「大丈夫だよ!これから先でもっと良いことあるし、失敗したっていいんだよ」と慰めてくれた。

貰ったラムネは甘酸っぱくて懐かしい味がした。



そこからまた日が経って、突然仕事中のインカムで「終わったら話しがあるから」みたいな内容を上司に言われた。
しかもその上司が、最初に注意されて1時間ぐらいずっと泣きながら面談をしたあの上司だったこともあり、何を言われるのか怯えながら仕事を終えた。

なるべく自然に要件を聞く姿勢に体を整えていたらその上司に
「昇給、おめでとう!はいこれ、新しい雇用契約書ね」
と言われ、何が何だか分からないまま、周りの人に拍手された。

ええ、あ、昇給。そういえば1ヶ月経つと自動的にランクが上がると、説明された気がする。振り返ってみれば、あんなに泣いてたのが全部1カ月間の間で行われてたのかと思うとびっくりした。



昇給してからは何だか仕事が楽しくて、毎日があっという間だった。注意されることも少し減り、後輩も増えて、ようやく話せる人もそれなりに出来て楽しかった。
それでも遅刻だけは減らなくて、1ヶ月に1~3回くらい遅刻してた。遅刻したくてしてる訳ではない、それなのにどう頑張っても、恋人に協力してもらっても時間通り行動出来なかった。なんでだろうか。



楽しかったのに、私は突然行くことが怖くなってそのまま退職した。
行けなくなった前日の、面談の内容が自分にとって、またとてつもなくショックだった。

評価欄が4段階あり、数字が大きいほど評価が高い。
大体の人が3で、とてもいいと4がつく。それを何人かいる上司で一人一人話し合って決めているらしい。

私はほとんどが2で、勤怠の部分が1だった。3なんてひとつもなかったと思う。あんなに褒めて貰えたお客様対応の欄も、2だった。
そこだけでも3だったら今の私はまた違っていたかもしれない。

正直、自分でもそこの部分には自信があった。常に笑顔だった。大きい声で分かりやすく、時には雑談も混じえて、お客様も楽しませられるよう全力で頑張った。

私の部署は、コンビニのように多くのお客様が来て、それを時間をかけずなるべく早く一瞬で対応する。すぐ通り過ぎてしまう入口の場所だからこそ、これからの時間をより良いものに感じて貰えるよう、その一瞬に全力を尽くす。無言で手を振るより、かけられる一言で心が明るくなったりする。そういう魔法をかけることを私は入社してからずっと大切にしてきたし、それをすることが夢だった。

私の対応で笑顔になってくれたお客様が、可愛い子供たちがいっぱいいた。可愛く名前も書いたし、シールなんて書かない先輩が大半だったのに、私はそれを率先して何枚も書いた。それが大切だと信じてたから。それがこの会社の根本的な理念で、人として必要な事だと思っていたから。

なのに、それすら満足に出来てなかったのだろうか。そう見えてなかったのだろうか。それじゃあ周りの十数人の上司たちは私の何を見ていたんだろう?どんな姿をみて私を評価したのだろう?注意した部分の私ばかり見ていて、そうじゃない私のことが見えなかったのだろうか。

どっちにしろ「ああ、この人たちは私のことをちゃんと見てくれないんだろうな」と悟った。

そしてもうひとつが、勤怠に関する無理なお願いをされたことだ。私は設定してる勤務時間が学生ということもあり短いのだが、それを伸ばすように頼まれたことである。それを聞かされた時は「は?」って声が出そうだった。私の提示した条件を踏まえて採用したくせに、そんなこと言うなんておかしいだろ。

「授業の開始時間に遅れてしまうので、これ以上勤務時間を伸ばすことは無理です。すみません」

そう言ったら面接担当の人が「ちょっと確認して参ります……」といって部屋から出ていった。


部屋の外から担当の人と上司の人が話してる内容が少しだけ聞こえていた。

そんなこと言われたって、こっちの仕事をその勤務時間じゃ任せられないから困るよ。ずっと今の仕事だけやらせる事も出来ないの分かってるでしょ?大体遅刻多いくせにあの子働く気があるの?夜間学生とか不良なんじゃない?君さぁ、なんとか説得出来ないの?

そんな感じの内容。

戻ってきた担当の人が申し訳なさそうに「ごめんね…もうちょっとこっちでも頑張ってなんとかしてみるから、今の話…考えてくれると嬉しいな」と言った。



……私、いらない子なんだ。

遠回しにそう言われてるような面談だった。

邪魔で、迷惑で、評価も態度も悪い、いらない子。

上司の人にはそういう風に見えてるんだっていうのを悟った。



そこから休みを2日挟んで、出勤の日になり、私は出勤時間を間違えて会社からの電話で起きた。もうここまで来ると、頭が悪いのか馬鹿なのかクズなのか分からなくて、咄嗟に具合が悪くて休むと言って休んだ。自己嫌悪でいっぱいだった。

それからは何度も休み、電話をかけることも出ることも怖くて無断欠勤もし、着信音に脅えながら外に出るのも同期からのLINEも全てが怖くて、私は簡単に仕事に行けない身体になった。

通ってた精神科の先生にうつ病の診断書を貰って、会社に提出して消えるように退職した。入社してからたった4ヶ月の出来事だ。

夢を見て希望を抱いて入社したら、鬱になる終着駅までのジェットコースターでした。好きな事を仕事にしたら、理想と現実のギャップに心が耐えきれなくて壊れてしまった。これはそういう話。



この経験が良かったことなのか分からない。今退職して1ヶ月半経ったところだが、父にはこのことを言えてない。呑気に「今度の日曜に妻(再婚した新しい彼女)と行くよ〜!会えるかなぁ🥰」とLINEが来て笑ってしまった。

この人も私のことなんも見えてないのねって。まぁ会ってないし教えてもないし知る由もないかとは思うけど。

今日、ここで恋人と一緒に再び働いている夢を見た。楽しそうだった。あの頃と条件と部署が違えば、また楽しく働けないかなとは思うけど、この4ヶ月が私の中で重く刻まれて、もう二度と働きたくないと思う自分もいて複雑だ。

よく分からない。整理のために書いたのに、こんなに長くなってしまった。

読んでくれてありがとう。これがどこか分かってしまっても、大半の人はそこで働けることを誇りに思っているから安心して遊びに行ってください。

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