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日記26 メンタリズムに勝てずとも負けない方法。

昔、メンタリストの方がテレビで、人の顔色なり目線なりを見て、持ってるトランプの色や数を当てて、すげーっ!ってなる番組がよくやっていたと思うんですが、あの光景ってもの凄く腹立たしいですよね。

まず、メンタリストのドヤ顔です。ほら、あなたはそう思ってるでしょ?、私はあなたの心が読めるんです。みたいなしたり顔。クールなメンタリストであればあるほど、ドヤ感を出そうとしないようなところがありますが、それならいっそちゃんとドヤってくれた方が心の中で憤怒の炎を滾らせることができるので、ちゃんとドヤって欲しいところです。


それから、こちらが本題なんですが、やはり心を読まれたということによって発生する、あのアウェー感というか、ヒヤヒヤするあの感じです。悔しい、してやられた、無念、という感情の奥にふつふつと、憤怒の炎の燃料にならんとする石油が湧いてくるような、そんな静かな怒りがそこにはあります。きっとあります。多分。


ここまでの文章をみると、私がメンタリストに実際に泥を塗られた経験があるように見えるかもですが、そんな苦い経験はしたことがなく、すべてテレビを見ながら思った空想なのですが、実際に経験したらと考えると、それだけでムカムカしてきます。

そういう経験がないとはいえ、近しいものをつい昨日、経験しました。フォートナイトという今、いろんな意味で話題のバトルロワイアルをやっていた時のことです。建築で相手の上を取り、ジャンプしながら相手をショットガンで撃ち下ろすということを繰り返していた時です。相手が建築から半身を乗り出して、こちらをずっと見ているのです。これはチャンスと思って、勢いよくジャンプした瞬間、スナイパーで抜かれました。甘い考えでした。相手は油断して半身を出していたのではなく、こちらを抜く隙を息を潜めて待っていたのです。

この時、私は自分の洞察の至らなさ、経験不足、勝負を焦ったことに悲しみ、そして果てない怒りを感じたのですが、それは同時に、こちらの動きを読んできた相手に対する怒りもあったのです。うおおおおおお!!!!


と、こんな経験があるので、心を読まれて怒り心頭に発する、という気持ちも凄くわかります。

でも、なんで心を読まれると、いろんな感情と共に怒りが出てくるんでしょうか。もちろんドヤ顔やイキリ顔に対しての怒りもあるでしょうが、それはそのメンタリストの態度に起因するものです。なんで?


そういうことを考えると、ます浮かんでくるのは、塾講師バイトで読んだ国語の課題文です。(ちなみに私は塾講師バイトをしています。今年の10月で3年になります。担当教室では、私が一番年上のバイト講師で、他は後輩講師さんだけという状況になりました。昔、先輩講師から教わったノウハウをあまり後輩講師の方に伝えられなくて焦ってます。どうしたらいいんでしょう。閑話休題)

どういう内容だったかというと、『どのようにして、相手の本音を聞き出すか』というもので、それには、相手の意表をつくこと、とありました。本音というものは常に外に出たがっているが、理性がそれを押さえつけている。だから、理性が慌ててしまえば、本音が飛び出してくる。理性を慌てさせるには相手の意表を突くことだ、と、簡単に要約するとそのような内容でした。

つまり、心を読まれることもこれと一緒で、普段、心を読まれる機会なんてほぼほぼ無いし、心が読まれることはないと鷹をくくっている場合、仮に、目の前にメンタリストが現れた場合でも催眠術と同じで私の心は読めない、と思いがちなのかなと思います(催眠術は、私はかからない!と思っている方がかかりやすいとか何とか言いますね)。ある意味、メンタリストを舐めてかかっている。そのような状況で、メンタリストによって心が読まれると、これはまさにこの人の意表を突くわけです(まぁ、そんなこと思って無いにせよ、心が読まれたら大抵は隙を見せたり、慌ててしまうものだと思います。何てったって、もしかしたら私の思ってることも全部読み取られてる!?となってもおかしく無いわけですし)。

こんな状況で、さっきの理屈で言えば理性が慌てるわけですね。そうすると、本音が飛び出る。ここでは、理性で隠していた感情もその一つと言えるでしょう、だから、抑えていた怒りが出てくる。(私の中では)理にかなってそうにみえますね。

こういうのは、確か、栗山千明さん主演の刑事ドラマに出てくる、なんとか行動の何かにもある通りかなと感じます。あれの中に、図星をつかれた人が取る行動として、まず何か、それから、なんかして、何かすごくなり、最後は反抗、つまりは怒り出してしまう(すんごいうろ覚えですが、最後には怒り出すというのは覚えてます)というような順番で、最後には怒り出してしまうみたいなのですが、これもまさに同じ理屈なのかなと。

つまり、あのドヤ顔もさることながら、心を読まれていることで、意表を突かれ、怒りを感じてしまうみたいです。


そう考えると、例えば、街中を歩いていて、たまたまメンタリストと目があって、そのメンタリストが私にメンタリズムバトルをしかけてきた場合、私はその勝負に負けるだけでなく、怒りという感情を不可避に持たされるということです(私がメンタリストに勝つ見込みは一切ありません。ちなみにですが、私はトルコアイス屋には勝ったことがあります。ですが、あれには勝ってはいけません。変な空気になります)。それだけは絶対に許せん。


なら、どうすべきか。



こちらもメンタリズムで武装すればいい話なのです。


とはいうものの、相手は知識も実践経験も豊富で百戦錬磨の相手、付け焼き刃では文字通り、歯が立たないでしょう(歯が立たないって刃が立たないだと思ってたので、文字通りと書きましたが、歯なんですね…)。つまり、勝てない。

じゃあ、諦めるのかというとそれも悔しいので、どうせなら勝てずとも負けない闘いくらいには食い下がりたい。問題なのは、メンタリズムバトルに負けた後です。メンタリストが勝ちを確信するのは、勝った後の敗者の悔しい、心を読まれて腹が立つ!という感情や態度までメンタライズした時でしょう。もし仮にそうであるならば、『いや〜、やっぱ凄いっすね』とか開き直った所で、その開き直りの奥に潜むそれらの感情を見抜かれておしまいです。おしまいドヤ顔されます。では、どうすればいいのか。(栗山千明さんの何とか行動みたく、こちらの制御が効かないところで、思考がダダ漏れなら、これ以降の記述は何の意味も無いことになりますが…)


自分なりに考えてみると、相手がこちらの心を読んで、意表をついてくるわけですから、簡単に言えば、相手の意表を少しでもつければ、勝ちでは無いにせよ五分五分です。負けはしない闘いになります。そこで、メンタリズムバトルに負けた際にメンタリストの意表をつける方法をいくつか考えてみることにします。

①まず一つ目は虚無です。メンタリストがどんなものを見て、こちらの心を読んでいるかわかりませんが、相手が経験したことのないような感情をぶつけることは、メンタリストの意表を突くことになりそうです。そこで、バトルに負けたら、目を閉じ、口を閉じ、椅子から動かないようにします。息も止めた方がいいでしょう。腕も組んだ方がいいです。足はぴったり地面に貼り付けましょう。そのうち、顔が赤くなってきます。酸素不足で頭も痛くなってくるでしょう。メンタリストも何やってんだ?という怪訝な気持ちを通り越して、だんだんと心配になってきます。色々と言葉をかけてくれるでしょう。でも、何も反応してはいけません。虚無を続けます。すると、いずれ意識が朦朧としてきて、気がつけば、その身体は地に落ち、次に目が覚めたときには病院の知らない天井です。こうなればしめたもので、メンタリストに負けたという事実を強烈な記憶で書き換えることができます。周囲に観覧者がいる場合はいっそう効果的でしょう。この方法であれば、次に不意に同じメンタリストに会った際も、向こうは何だか申し訳ない気持ちと、この人に関わりたくないという気持ちでいっぱいです。この方法であれば、決して負けはしません。


②次の方法は、先程の虚無とは真逆でカオスを作り出すことです。換言すれば、巨大感情でメンタリストを圧倒するのです。ただ、この方法はかなり効果的ではあるものの、かなりリスキーな方法です。なぜなら、平凡な巨大感情であれば、メンタリストはメンタライズ出来てしまうからです。虚無の場合はメンタライズさせる余裕すら奪うという方法でしたが、こちらも同様の方法論を取ってはいるものの、虚無の場合はメンタライズする情報がほとんど無いのに対して、こちらは巨大感情という無限にも等しい情報があります。しかも、この方法は何かを隠すためだなということが分かり易い(虚無の方は目を閉じているのでメンタリストのドヤ顔を視認しないで済むという利点もあります)。なので、この方法を試す場合は、そんじゃそこらの巨大感情では駄目なのです。全世界が、全宇宙が震撼する位の超大型巨大感情をメンタリストにぶつける必要があります。私にはそれが具体的にどんな方法なのか思いつきませんが、これだ、というものがある方はぜひお教えください。


③最後に、やっぱり暴力です。暴力をふるいましょう。日本は相対的に平和な国だと言われ、平和ボケしているとまで言われるくらいに、暴力とは疎遠な国です。つまり、そこに住む国民にとって、暴力は意表を突くためのリーサルウェポンと言えるわけです。メンタリズムバトルに負けたら、少し待ってメンタリストに暴力をふるいましょう。そうすると、相手は驚いた顔でこちらを見てくるでしょうから、落ち着いて一言、

『私が暴力を振るうことまではメンタライズできなかったみたいですね(最後に笑顔を見せる)』

こうします。こうすると、色んな意味で負けますが、メンタリズムバトルという一点、ただその一点に於いては、確実に負けません。絶対に負けはしません。でも、勝てはしません。





と、色々書いてきましたが、こうすれば、メンタリストとのメンタリズムバトルには多分、負けません。ただ、先述した通り、栗山千明さんの何とか行動みたいに無意識に心が漏れ出てしまう場合、何してもダメではあるんですが…



まぁでも、見てる分にはメンタリズムバトルは楽しいものですが、素人vsメンタリストっていう構図、もうあんまり面白くなくないですか?

そもそもその道のプロであるメンタリストが勝つことは決まってるし、そもそも負けた所みたことがありません(もしかしたら、負けたことあるかもですが)。なので、ぜひ一度やってほしい構図として、

『メンタリストvsメンタリスト』

という構図を一度でいいから見てみたい。互いに互いの心をメンタライズしてほしいし、誘導尋問をかわしつつ、誘導尋問のクロスカウンターを決めてほしい。さながら、何とか上の何とかと言われるチェスのように白熱した闘いが見られることでしょう。楽しみ!

おわり








※念のため書き加えておきますが、このnoteは全編、冗談なので、暴力を振るうことを私は一切、肯定しておりません。だって、メンタリズムって暴力の対極にあるものですし。

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