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日記34 死体撃論考

こんにちは、最近は死体撃ちされなくなった扇風機です。

近頃、フォートナイトをまたやり始めました。正月にいとこと遊んだマイクラが楽しくて、自分で買ってはまってたので、フォートナイトをやらなくなったんですが、ネザーのアップデートで要塞が見つけにくくなって、走り回ってたら、マグマスライムにボコボコにやられて、萎えてフォトナに戻ってきました。マイクラは少し休憩してから頑張ろうと思います。

さて、私のフォートナイトのシーズン終わりの感想会を見たことがある人は、私がいかに死体撃ちに怨念を持っているかご存知だろうと思いますが、めちゃめちゃ呪ってます。だからといってやり返したりはしないんですが、心の中で、何て愚かなやつだ、と思ってます。健全ですね。

この悪鬼、死体撃ちですが、私的には100人いたら100人とも嫌う行為なのかと思ってたんですが、ツイッターで検索すると、意外と肯定派が多く、むしろ楽しんでやっている人も多く見受けられます。

そういった人がツイッターに多いだけで、世間的には(死体撃ちに一家言持ってる人が世間にたくさんいるとも思わないですが)ああいった人たちは少数派なのでしょうか。

どちらにせよ、自分としては死体撃ち否定派なので、その理由について、色々と備忘録的に書いていこうと思います。理由としては、大きく二つ、

①侮辱行為であるから

②将来的に自分を苦しめることになるから

の2点です。


①侮辱行為であるから

これが1番、思いつきやすい理由ですが、死体撃ちが侮辱行為であるからです。

goo辞書によると、侮辱とは「相手を軽んじ、はずかしめること。見下して、名誉などを傷つけること」と定義されています。

なぜゲームで死体撃ちするのかを考えてみると、相手の下手さやプレイスキルの無さを馬鹿にし、煽ることが目的であるように思われます。この意図如何に問わず、やられた側は自分のスキルを馬鹿にされた、軽んじられたと感じることでしょうし、死体撃ちをされると怒りや不快感を感じるのはこのせいでしょう。

つまり、死体撃ちとは、この定義に当てはめると、侮辱行為に当てはまるわけです。こう言い換えると、少しはこれを肯定しにくくなるのではないでしょうか。

また、最近、eスポーツという言葉が浸透してきたように思いますが、フォートナイトみたいなゲームはeスポーツの代表格みたいなゲームの一つで、大会の優勝賞金として数億円出ることもあります。

プロがやるようなレベルのゲームのみをeスポーツと呼ぶべきで、日常的にアマチュアレベルで行われるものをeスポーツと呼んでいいのかという議論はあると思いますが、そういった議論は横に置いておいて、日常的に私たちがやっているようなアマチュアレベルのゲームもeスポーツとすると、死体撃ちとは、eスポーツの中で行われる侮辱行為と解することができます。

こうなってくると、少し解釈が変わってきて、これは立派なルール違反行為になり、また、スポーツマンシップ(スポーツパーソンシップ?)に反する行為になります。まぁ、もともとルール違反の行為ですが…。

どう言うことかと言うと、例えば、eスポーツをサッカーや野球に言い換えるとわかりやすくなります。サッカーや野球の試合中に侮辱行為を行った者がどうなるかと言うと、基本的には審判から注意が行われますし、それを無視して何度も行えば、警告が出て、それ以上続けると、退場勧告が出されます。場合によっては、退場以外にも一定期間の出場停止や選手資格の剥奪となってもおかしくないものです。加えて、監督やコーチ、チームメイトからの信用も失うでしょう。

なぜこんなことにまでなるかと言うと、そういった侮辱行為が横行してしまうと、スポーツが成り立たなくなるからですね。スポーツとは、磨いてきたスキルや実力によってのみ勝敗が決まるものであり、それ以外のものが入ってくると、例えば、口喧嘩や殴り合いなど、その試合はストップしてしまい、本来の技術や経験は生かされないまま、終わってしまいます。野球でもデットボールを食らった選手が投手を殴りに行く光景がありますが、試合はあの時止まって、もはや技術や経験は生かされず、暴力だけで勝敗を決めようとしてるようです。

そういった不健全なものをある程度排した上で、初めてスポーツはスポーツとして成立するわけ(紳士淑女のスポーツと言われるテニスでは、審判はありとあらゆる言語の暴言を知っていて、何語で選手が暴言を吐いても、警告をだせるというトリビアが有名ですね)です。

これはeスポーツも同じで、健全なプレイなくしてはスポーツとして成立しないわけです(ゲームとしては成立してしまうのがちょっとした皮肉というかなんというか…)。ゲームが社会に認められて、eスポーツとしても理解を得ていく上では、こういった健全なプレイが成立していかねばなりません。

②将来的に自分を苦しめることになるから

これはどう言うことかと言うと、単に自分が負けた時に死体撃ちをやり返されるから、という意味でもありますが、特に主張したいのは、ゲーム環境の劣悪化に繋がるという面です。

よく民度という言葉を聞きますが、これが悪くなると言うことです。こう聞くと、何だそれだけか、と思うかもしれませんが、このことの悪影響はどこに繋がるかと言うと、プレイ人数の減少です。

こういうのは極端な場合を想定するとわかりやすいのですが、プレイヤーのほとんどが死体撃ちするようなゲーム環境があった場合、それは、そのゲームをやったことない人がそのゲームを新しく始めようと思える環境でしょうか。当然、やりたい!となる人は少ないでしょう。死体撃ちをする人が多くなればなるほど、新しく始めたいと思う人は反比例的に減っていくのです(これは側から見た時に、あそこは民度が悪い、と言われるゲームがそういうやつですね)。

プレイ人数が少なくなるとどうなるかと言うと、当然、運営のサービスが悪くなる、あるいは、サービスを終了することになる可能性があります。こうなると、困るのは、そのゲームをやれなくなる自分というわけです。

(というか、そもそも死体撃ちを悪びれずにやる人たちって、そのゲームが終了しようがなーんも気にして無さそうですけどね)

また、暗に死体撃ちを許容している人にとっては、1番これが困ることではないでしょうか。死体撃ちされても、別に自分はなんとも思わないし、ゲームを楽しめているからよい、と思っていても、それを許容することでゆっくりとそのゲームの死期を少しずつ早めているわけです。ゲームを1番楽しんでいる人が。


と、こういった理由で、死体撃ちはやめた方がいいと思っています。

私の場合、フォートナイトですが、死体撃ちをされたら通報するようにしています。ツイッターをみると、死体撃ちをすると、警告が出て、それでも続けると数日間のアカウント停止などがあるみたいですが、それまでです(エモート煽りに関しては、公式が用意しているエモートだし仕方ないかなと思っています。ビクロイした時以外はやらない方がいいとは思いますが)。

アマチュアレベルのeスポーツの問題点として、結局、民度が悪くなると言うのがありますよね…。アカウント停止しても、サブ垢でできるし、強い制裁があるわけでもない。運動のスポーツの方であれば、仲間内や審判、相手から制裁が加えられるわけですし、日本の場合(どこでもそうかもですが)、スポーツは精神論(ここでの精神論は、健全な精神を育むという意味合い)が含まれることが多く、やんちゃな人でもスポーツをしている間は多少は丸くなるところがあるような気がします。いや、そうでもないか…?

そういった精神修養的な側面は、eスポーツにはあまり期待できないように感じます。体系的な指導が無いことが多いeスポーツ(野球などのスポーツと違って、自分1人だけで始める例がeスポーツは多いはず)の場合、そういった面はどのように補っていくんでしょうね。できれば、そう言う面もeスポーツから学べればいいのですが。云々。

というわけで、この文章を読んで、少しでも死体撃ちをする人がいなくなればいいなと思います。ゲームから得られるには感動と成長する楽しみでいいのです。

以上、死体撃ち撲滅委員会会員の扇風機.comでした。

閲覧ありがとうございました。

おわり。



追記

我が家に、有名な野球漫画のメジャーの確か九巻目だけがあるんですが、それがどういう内容の巻かと言うと、めちゃくちゃ落ちるフォークで有名な野球マシーンとの戦いを描いた巻です。あの試合中に、相手チームの監督に説く吾郎と、投手を降ろそうとする監督を止める審判がいましたが、あそこでもスポーツマンシップが説かれています。あの話めっちゃ好きです。冷たいマシーンが吾郎と接する中でチームメイトと溶け合っていく感じ。あれこそスポーツの真髄というか、メジャーの面白いところというか、私が言いたかったスポーツ、ゲームの健全さだと思います。もっかいよみたいな。



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