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中山竹通の凄さを語る

おはようございます。ランニングコーチの大野です。

今回は偉人伝!二人目は中山竹通さんです!
僕が一番好きな日本人ランナーかもしれません。
中山さんといえば異端児、破天荒、最速というようなイメージがぴったりな方です。
それではいってみましょう!

略歴

詳しい略歴はWikipediaに譲りますが、簡単にご紹介します。

中山さんは、瀬古さんのようなエリート街道ではなく苦労人の生活から始まります。

高校卒業後は大学へは行かず、養命酒の陸上部へ進む予定が、指導者の手違いで面接にバスケットシューズへ行ったことから不採用になります。国鉄に臨時職員で働きながら走り続けることになります。その後、富士通長野工場に入社し、ようやく走れる環境になったものの、通常の勤務と残業をしながらの競技生活を続けます。

このままでは勝てない!という決心から中山さんは瀬古さんや世界のランナーのフォームを研究し、フォアフット走法を身につけます。

今でこそ、フォアフット走法は有名になりましたが、日本におけるフォアフットの歴史を作り出した、知らしめたのは中山さんだと思います。

その後ダイエー陸上部に入り、めきめきと力をつけ

1984年福岡国際マラソンで2時間10分00秒で優勝。
1985年ワールドカップマラソンで日本最高記録、当時世界歴代3位の2時間8分15秒を記録

1986年ソウルアジア大会では、序盤から独走し2時間8分21秒のタイムで圧勝。(強すぎ。笑)
この記録は、30年以上経った今でもアジア大会大会記録として未だ破られていません。

1987年12月6日福岡国際マラソン(ソウル五輪代表選考会)では2位以下に2分以上の大差をつける2時間8分18秒で圧勝。(あとで熱く解説します。笑)
その後はソウル五輪4位、バルセロナ五輪4位とメダルには届かなかったものの、日本のマラソン界にインパクトを残しました。

ここがすごい中山竹通

ここからは僕の思う中山さんの凄さを語っていきます。

1987年福岡国際マラソン「這ってでも出てこい」

中山さんを語る上で外すことのできない大会が1987年福岡国際マラソン。
1987年福岡は1988年ソウル五輪の代表選考会でした。そしてただの選考会ではなく実質一発選考。当時代表選考会は3大会ありましたが、日本陸連は強化選手は福岡に出るよう要請し、実質一発選考という形になりました。
ここで瀬古さんが怪我により欠場したことで中山さんが「這ってでも出てこい」と発した(厳密には違いますがマスコミがそう報道)ことで、中山さんの勝気な性格を印象づけることとなりました。

そして、この福岡の走りが中山竹通さんの伝説の走りとなります。
気温7.6度、風速5mという悪天候の中、スタートから5キロあたり14分30秒台のハイペースで飛ばし、14キロ過ぎから独走
中間点は1時間1分55秒。当時のハーフ日本記録より速く通過し、鈴木健吾くんが持つ日本記録2時間4分56秒、前日本記録保持者大迫傑さんなど中間点はいずれも中山のタイムより劣ります。

その後はさらに気温が冷え込み悪天候となったことから失速しますが、2位に2分差をつける圧勝。
ペースメーカーもいない、五輪を掛けた一発勝負の選考会で最初から飛ばし独走し圧勝する姿がまさに中山竹通さんであり、異端児、最強を轟かせたレースでした。
金哲彦さんが当時のレースを語っている記事がありますのでリンクを貼っておきます。
You Tubeにもあるのでぜひ見てください。
あの瀬古さんが「中山くんには勝てる気がしなかった、彼が今走ったら間違いなく4分台で走ってる」とまで言わせています。


フォアフット走法「10日でマスターした」

僕の大好きなエピソードがフォアフット走法についてです。ある雑誌に書かれていたインタビュー記事を思い出して書いているので少し表現が違うかもしれませんのでご了承ください。
前述にもあるように、中山さんは今のままでは世界で勝てないと感じ、フォアフット走法を身につけようとします。
どうやって身につけたかというと、普段の生活から常につま先立ちで生活し研究を重ねたとのこと。
「なかなかうまくいかず、苦労を重ねましたが、なんとか10日でマスターしました」
とのこと(笑)
10日でマスターするのか(笑)
このフォアフット走法を10日でマスターしたというエピソードがとても好きです。

10000m「カチンときて日本新」

1988年ソウル五輪前の1987年7月に中山さんは10000mに出場します。
当時、「中山はスピードがない」という世間の声に「カチン」と来たそうです。10000mはあまり出場する機会がなかったらしく、当時の自己ベストはそこまで速くありませんでした。
だったら、見せつけてやろうと10000mに出場し、当時の瀬古さんの27分42秒を大きく上回る27分35秒33で日本新
この記録は2001年高岡寿成さんが 27分35秒09で0秒24更新するまで約14年間残りました。たらればはありませんが、当時のシューズや技術を考えると凄まじい記録であることがわかります。
カチンときて出場した10000mの記録が14年間も残り続けるというこの話もとても好きです。(笑)


まとめ

以上、中山竹通さんを語ってきました。中山さんの常識にとらわれない考え方、独走スタイルがとにかくカッコよくて大好きです。
練習スタイルについて触れませんでしたが、たしか中山さんは分割法をよく使っていたはずです。10000mを400mを25分割。今日は64秒で2000mまで行けた。次は3000mまで。と限界を徐々に伸ばしていくスタイルだったと思います。

僕自身も中山竹通さんのようなかっこいい走りができるようになっていきたいと思います!

それでは、また次の記事でお会いしましょう!

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