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はじめまして、HSP。

自粛生活延長戦。

私は自粛生活になってからの「ゆるりとした暮らし」を楽しみながら過ごしています。

この暮らしになって多くの人が「生き方・あり方、そして働き方」を見直しているようですね。

私もその一人。

人に会わないからこそ、焦りとか、見栄とか、誰かがつくった常識とか、余計な気持ちに邪魔されず、より純度の高い自分の気持ちに出会える時間になっています。

そんな中、FBをみていたら知人のある投稿に目が止まりました。

漫然と生きづらさを抱えて生活している。


よくよく読んでみると、彼女はHSP(Highly Sensitive Person) というものらしい。


初めて聞く言葉だったけれど、直感的に「これは必要な情報」という衝動に駆られHSPについて調べてみた。


すると、こう説明されていた。


出展:DIAMOND ONLINE

人の気持ちを感じ取りすぎるがゆえに疲れやすく、自分の気持ちと他人の気持ちに境界線をうまく引くことができない。みんなが気にしていないことが、気になってしまい疎外感がある。


周囲の人からどう思われているかがとても気になり、他人の発言に敏感に反応してしまう。感受性が強いゆえに精神的に傷つきやすく、ときに生きづらいこともありますが、良心的で基本的に相手のことを思いやることのできる優しい人だといわれています。


HSPとは、一言で言えば『非常に敏感な人』のことです。


読み終わって妙に安心している自分がいた。


私の生きづらさに、こんな風に名前がつけられた居場所があったんだと。


小さな頃から、どこにいても常に疎外感や孤独感を感じていて、周りの反応を気にするがあまり、自分自身の感じていることをそのまま言葉や態度に出すことがとても難しかったり... 


大きな音や他人の感情・空気感にすごく敏感で、自分が怒られているわけでもないのに、誰かが怒られているとビクビクしてしまい心がすり減ってしまったり。

とにかく、心が疲れてしまうことが多くて生きづらさを感じていた。


そして、そんな自分のことをこんな風に思ってきた。


「繊細で気にしぃで、面倒くさいやつ」


どんなに仲のいい人達といたって、大人数になったとたん自分の居場所が消えてしまったような感覚になって居心地が悪くなって心が閉じてしまったり


何人かで会話してると、均等にみんなが話せてないと気になってしまったり


誰かのちょっとした目の動きや、発言に込められた裏の意味まですぐに考えてしまったりと、知らない間に心がすり減ってしまうことが多かったから。


でも、HSPの存在を知れたお陰で「繊細で気にしぃで、面倒くさいやつ」と決めてつけていたことが「そういう気質の人」と割り切れて、すごく気持ちが楽になった。

だって、もともとそういう気質に生まれてしまったのなら、それを自分自身の個性として受けとめていくしかない。

自分がそのままの自分でいられるように、覚悟を持って自分に合った生き方や環境、人付き合いの仕方を選択しよう。


そう思えた。


私にとってはものすごく大きな一歩。

「自分の心の声に従って生きればいい」

結局、そこに辿りつくね。

自分のシアワセは自分の中にあるものだから。



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