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私の音楽人生について


私は幼少期から父親のジャズにふれ父親の爆音で聴く文化から爆音童謡で1人リトミック開催👏
リビングにあったピアノでCMの音をとって遊ぶ。ピアノを少しだけ習う。小学生のクラブで鼓笛隊にはいりトランペットを担当♪ .*🎺

中学生でびじゅある系にハマりベースが弾きたくなり買う。全く上手くならず一旦諦める。中2の終わりごろ(中高一貫校)またベースがしたくなる。ここで軽音楽部にはいらず吹奏楽部にはいる。それは何故かというと、吹奏楽が強豪校だったことから自らしんどい環境におけば、ベースがいやでも成長するんじゃないかと思ったから。
入部届けだす。もちろん第1希望コントラバス!!第2希望パーカッション!!(卒業後、軽音楽に移行するため)

決まった楽器!!なんと!!ホルン!!!!
おかしいやろー(  ・᷅-・᷄ )!!

最初全く吹けず嫌になる😞何度も辞めてやると思ったけど、あれよあれよと事が進み、顧問の先生にプロの先生についてみない?と言われ習い始める。その後先生の関係で某遊園地で吹奏楽を吹いたりして、高校は音楽科ホルン専攻にいく。ここで音楽を学ぶ。
この時点でもうホルン大好き人間✨笑
軽音楽の「け」の字も考えてない笑

大学はもちろん皆音楽大学と思ったことでしょう。いいえ。私は行きません。吹奏楽コンクールの全国大会に出たい!!だから私は音大には行かない。2年間の約束で医療系の短大に入学しました。そこで1年の時にアンサンブルコンテスト全国大会、2年の時に吹奏楽コンクール全国大会出場を叶える✨夢って叶うんだと思いました。

夢を叶えた後、遅れて音大入学。ここで人生狂った。天狗の鼻が折れたんでしょう。音楽楽しくない辛い無理。元々誰かを蹴飛ばして自分自分と前に行くタイプではない私は辛くてたまらなかった。その後もう私は見る側になるとホルンを封印。

何年かたちもう一度ステージにたとうと思わせてくれるアーティストに出会う。
ブランクありながらホルンを再開。ステージ復活をはたす!!
最初は楽しかったけど、だんだん自分は何を目指しているのか、わからなくなっていた。もっと上手くなりたいけどホルン習うにしても田舎すぎて後輩か同期しかいない。けど東京に行ってもプロになるわけでもないのに?
悩んでいたある日、脳梗塞になって吹けなくなった。

何度か試してみたが吹くと酸欠状態になる。あれほど全神経を研ぎ澄ましながら吹いていたのにその神経ひとつを失ってしまった今、上手く吹くことができない。


じゃあ音楽やめる??答えはNo!!
私はやり残していることがある。
ベースorパーカッションだ!再発が怖い若年性脳梗塞は、いつ再発して体が麻痺するのかわからない。後悔したままやらずに死ぬの?そんなの嫌だ。そう思い所属団体にパーカッションに転向できないか聞いたら快くOKしてくれた。

そんな私は今パーカッション担当で音楽を楽しんでいる。第2の音楽人生のスタート。かわったことがもうひとつある。病気前の私はできない自分を見せるのは恥ずかしいみっともないと思っていた。病気をしてから、できないことはできないと言っていんだと考えにかわった。昔から私を知っている方はびっくりすると思う。初心者で、できなくても恥ずかしくない。好きこそ物の上手なれ!私の座右の銘だ。
リハビリだと思いドラムも習いはじめた。

ホルンを裏切るのかとなるかもしれない。だけど今の私はパーカッションに全力を尽くしていきたい。鍵盤の先生、ドラムの先生にも恵まれている。これこそ私の第2の音楽人生だ。


ベースは…………またいつか🤣

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