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かつてのつぶやき

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時効なので、あの時は恥ずかしかった言葉も今なら言えます。
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2020年6月の記事一覧

納品書がでてきた。中学3年の夏、受験に向けてテキスト買ってる一方で、ジョンレノンのダテメガネ買ってるのおもしろい笑。どっちかにしろやっていう笑。クリエイティブな方に吹っ切れてもよかったなって思う。これからはそうする。

ai
4年前
7

そういえばすさまじい注意力だな…。ジェンガで一本抜くみたいな綿密さだ。書いたり書き終わったり保存すると、ほっと安心するんだよね笑。それでうっかりバグで消えたりすると、壮絶感のすさまじさにマグマのような命を感じる…笑。

ai
4年前
5

価値観は「苦しみと向き合う→そこで手に入れた財産を守る」ことかな。二度と同じ言葉が訪れないことを知っているから、やはり時間と命と熟成した木のような、緻密に練られた精神を守りたい。過ごしてきた時間を失って初めて分かる。日々の中でそれしかなかったこと。なくてもいいけど、退屈なんだ…。

ai
4年前
5

【第2ステップ 新たな挑戦をする】→洞窟から出る。目標に向けて集中する。ただうっかりすると、元いた安全基地を忘れて孤独に逆戻りする。怖い。

【第3ステップ 失敗したら立ち直る 成功したら成果を持ち帰る】→大元である人間関係の充足にあてる。ということで検証してきます。みなさんバイ

ai
4年前
8

ただ、ここからどうしたらいいのか青天井に分からない。全部を出しても違いを知るだけだ。むしろ、その違いを活かせたら良いのだけど…。

【第1ステップ 同じ所がある安心感】→これをやり続けると違いが生まれる。恋人でいう「分かってくれると思ったのに!!」現象。

ai
4年前
7

別に頼まれたわけでもないし、ただ好きだからやっているだけで、ダメージはあるが、なんと言われようとしょうがない。それが自分の言動に責任を持つということだ。ようやく自分らしさが出てきたということだ。もう誰かの代弁者になんてなれない。だから、全面を出して分かってもらおうとする必要はない

ai
4年前
7

私は似たような人の代弁者として、誰かに届けばいいと思って、これまで記事を投稿してきたけれど、そんなものは建前でしかなくて、本当は自分の言葉でしかなかったのかもしれない。だって、誰一人として完全に同じ人なんていない。だから、一部分でも分かり合えた気になれたなら、それは良い方なのだ。

私が自然に行くのは、娯楽のためでも、息抜きのためでもない。そもそも、娯楽とは元となる生活があってのことだし、そちらが不安定なので、自然にいる間も息抜きにならないのだ。また生活に戻って苦汁を噛みしめなければいけないなら、いっそ自然に住みたい。そこからなら、人に貢献できる気がするのだ

ai
4年前
9

今ベストな離脱先としては、<入院>かなぁと思ってる。費用はかかるだろうが、治療ができるし、なにより危険地帯から離れられるのだ。ただ計画性がないんだよな…😂

ai
4年前
4

物書きするほど、言葉をわすれる。
オンオフ、静と動、悲しいと楽しい。
言葉がいらない会話ほど雄弁なことはない。

ai
4年前
8

私はこの社会と環境に馴染めなくてよかったと思っている。学校社会、家庭教育、科学技術は、正しさを教えるためではなく、ましてや間違いを正すためでもなく、ただ、過ちを許すためにあるものだと思う。そして、そういう人のもとにつきたい。

ai
4年前
8

明らかに間違った道を歩んでるような気がして悲しくなる。ふっと目の前に手が差し伸べられた。あぁ、彼女だ。彼女は幼い姿のまま手を出して受け取るのを待ってる。つないだ。そして引っ張り上げられ、相当力がいっただろうが、抜け出せていった。「6/16の夢」

ai
4年前
5

ゾンビ型症候群:色々考える。病を治す(軽減させる)には色々な試みがある。論理型でいうなら再現度、創造型でいうなら発想度、共感型でいうなら信頼度などだ。その上で、この家庭環境は、病床の発症要因にこそなれど、適切な形でのアプローチには至らない。よって、研究対象としての観察が設けられる

ai
4年前
4

魔法はない。だがひらめきと地道な努力なら…。医者になるだけの論理力もない。人を集めるだけの共感力もない。ただあるのは孤独を好む気質と、疑い深さと、創造力…。