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優等生への抵抗

私が持っている
知識や経験を
人にシェアしたい
という意図で書き始めたnote

書くのは時として
恥ずかしいけれど
私の些細(であり一大事)な
日常の葛藤や乗り越えも
誰かの役に立つかもと思っている

今日はそんなお話
 

起業ビジネス界隈
に身を置いていると
たまに見かける「優等生」

こうしたら人の役に立つ
こうしたら売り上げが上がる
こうしたら人に好かれる

そういう真っ当な
「清く正しい行動」
を素直に取れる人

そういう人を傍目に
拗らせてウンウン葛藤
していた最近
 

「これやったらいいんだろうな」
はわかる 頭で理解できる
けれどやれない
食指が動かない

最初は率直に「やりたい」
と思ったことですら
「人からそうすることを
求められている気がする」
「それをすると喜ばれるな」
というのがみえると
なんか途端にやりたくなくなる

そこにものすごい
抵抗がある
なんなの これ
 

やりたくない
と思っていることなら
やらなきゃいいだけ
なんだけれど

本心ではそれをしたいのに
「やった方がいい」
「やるべき」という
優等生的感覚になった途端

NO!!!
やりたくない
気が重い
腰が上がらない
ってなるの
 

この感覚って何なんだろう
って不思議だった
それをやった方が
周りも嬉しくて
自分も得するはずなのに・・
 

その抵抗の理由が
ようやくなんだか
薄っすらとわかってきた

恐らく子どもの頃から
何をしたら周りが喜ぶか?
という他人軸な視点で
行動選択をしてきて

「本当はこうしたい」
「本当はこうしたくない」
っていう内側の声を
度々無視してきたから

まだそのことを怒ってて
拗ねてるいる自分が
いるのかなあって
 

優等生っぽいこと
をしようとすると
その自分が反応する

また人に良く思われようと
それをやるんでしょう!
また私の声を無視する
気なんでしょう!

最近ようやくちょっと
その拗ね子ちゃんの
扱い方がわかってきて

そういう時に
「嫌ならやらなくていいよ」
って自分に言ってあげる
ことにしている
 

本心ではやりたい
でも体はなぜか拒否ってる
そんな時に
「やらなくても大丈夫だよ」
「どっちでもいいよ」
って

上辺じゃなくて
本当にそう言ってあげられると
不思議なんだけど
するっと気持ちが溶ける

「やっぱやろっかな~」
なんつって

あんなに嫌がって
やりたいとやりたくない
で完全拮抗していたのに

いとも簡単に
さらっと動けたりする


めっちゃ天邪鬼やん~!
ってなる

嫌だーーやりたくない
ってあんなに言ってたのに
じゃあやらなくていいよ
って言った途端にやり出す

それが他人だったら
イラっとするだろうけど

自分の場合は
ちょっと恥ずかしくなる

てへぺろっ♡
って言うしかない
 

こんな分析しちゃって
処方箋なんか書いちゃって
「そういう魂胆だったのね」
って拗ねないかだけ心配だけど

もしかしたら同じように
優等生への抵抗
抱えてもやっている人
がいたらと思って書いてみたよ

でも書いてみて気づいた
「動けない私」の話と
もしかしてほぼ同じ内容
かもしれない・・(うわ)

私は余程 長きに渡って
他人軸を採用することによって
自分を無視してきたこと
に対して怒っているんだね

「気が済むまで 怒っていていいよ」
  

人生を心地よく生きるには
こんな些細な
頭と心と体の一致
が大切

それらが一体になっているとき
一番人は輝き いきいきと動ける

心身調律の
施術やセッションでも
そんな小さなズレを
丁寧に見ていくよ





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