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54|本番直前に親からLINEが来て泣いた話

年に二度の定期公演。
全10曲、約2時間。

その大事な大事な本番前に親から一件のLINEが届いた。

「弟が、『お姉ちゃんの演奏会ばっかり行って、お姉ちゃんは僕の試合見に来てくれない!』とめっちゃ拗ねてます。
近くで試合ある時は観に来てあげてください。」

私はそっと携帯を閉じ、本番に向かった。


本番は、良い時間だった。
決して完璧とは言えず、反省点ばかりではあるが、今年度のバンドのお披露目をし、コンクールに向けての意志を固めた。

その日が最後の舞台だった仲間もいた。
仲間とつくる音楽はやはりいいなと思った。

当日はかなりバタバタで、別件だが私は公演前から体調が優れなかったこともあり、連絡は全くと言っていいほど見ていなかった。

しかし本番30分前、来てくれる友だちや家族に「いってきます。楽しんでもらえますように」とひとこと連絡を入れるのが毎度のルーティンであったため、急いでゼリーを流し込みながら携帯を開いたのだった。

そこに飛び込んできたLINE。


私の演奏会には、いつも父・母・そして弟、みんな揃って聴きに来てくれる。

弟は自閉症と発達障害があり、じっとしていられない。今でこそマシになったが、自分の思った通りにいかないと癇癪を起こして暴れたり大声を出したりする。もちろん精神年齢も低い。

そんな弟も、私が大学生になった頃くらいから、やっと演奏会を楽しめるようになった。
私も吹奏楽を始めて今年で9年目、つまり弟もお客さん9年目ということだ。

だいぶ雰囲気にも慣れてきて、楽器の名前を覚えたり、音を楽しんでくれるようになった。
それでもやはり周りに迷惑をかけてしまう心配はあるので、親はいつも一番後ろの席を取る。

本当はもっと前で私の姿を見てほしい。
だけど、しょうがないから、それでもいい。
聴きに来てくれるだけで十分。

弟が楽しんでくれるようになったことも嬉しいけれど、それより嬉しいのは親が休みを取ってわざわざ聞きに来てくれることだ。

いつも弟のことばかり見ている父と母が、その時間は私のことだけを見ていてくれる。
それがどれだけ嬉しいことか。


なのに、あのLINE。

何も返せなかった。

初めて、「いってきます」を言わずに舞台に立った。

帰ってきて、やっとゆっくりそのメッセージを読んで、泣いた。

弟が拗ねている?
観に来てあげてください?

正直、腹が立って仕方がなかった。

そんなのどうでもいい。
あと30分で本番なのに。
「がんばれ」とか「楽しんで」とか、そういう言葉じゃないの?



「ありがとう」
「全部は難しいけど予定が合えば弟の姿もみにいくね」

本番を終え、その後の片付けや反省会もこなし、(この時点で38.5℃の熱がありながらも)必死に帰宅した。
疲れ果てた私に返せる言葉はこれ以上なかった。

もちろんこの前には親から「おつかれさま」とか「よかったよ」の言葉が送られてきていた。

でも私にはそんなのもう目に入っていなかった。

「ねぇねの応援がチカラになります」

私は、“姉”としてしか見てもらえない。

悲しかった。
めちゃくちゃ泣いた。


あぁやっぱり今日もそうだった。
私だけの舞台なのに。
親は今日も弟のことを見ていた。

いつもそう。
ずっとずっとずっと、
何度も何度も伝えてきた。

私をみて。

わたしのことをみて。

傲慢だと思われるかもしれない。
悪い姉かもしれない。

それでもいい。
ただ、私のことも見てほしかった。

いつも弟に手がかかった。
後にして、自分でがんばって、そう言われ続けてきた。
今弟に手が離せないの。見たらわかるでしょう。
あなたは一人でできるんだから。

私なら30秒で終わってしまうようなまちがいさがしのプリントをやって「えらいね!すごい!」と褒められている弟の隣で、私は「早くやりなさい」と怒られながら計算ドリルを解いていた。

服を着るだけで褒められてしまう弟を見ながら、私は90点のテストを持っていっても何も言ってもらえなかった。できて当然と言われた。

羨ましかった。
ずるいと思った。

なんで私のことは褒めてくれないの、もっと見てよ!!!と、何度泣きわめいたか分からない。

親はいつも「ごめんね」と言った。
そうだね、お姉ちゃんのことももっと見てあげなきゃね、と。

違う、お姉ちゃんじゃない。
“わたし”のことを見てほしい。
何度も何度も何度も伝えたけど、結局伝わらなかった。

21年生きてきて、とっくに分かっていた、そんなこと。


それでも期待をしていた。
演奏会だけは私の日、私の時間。

「今回はねこんな曲をやるんだよ。とっても難しくて大変なの。」
「この曲はソロがあるんだ。」
「この曲は同期と二人でピッコロやるの。」

「期待しててね」

そんな話をしていた。
親ももしかしたら私のことだけを見るつもりだったのかもしれない。そう思いたい。

でも、弟が機嫌を悪くした。
それがどういうことか、姉の私には容易に想像がつく。
嫌な空気だ。本当に最悪なんだあれは。
何度床に寝そべる弟を連れて帰ったことか。
触れたら割れてしまうしゃぼん玉のように危ういのだ。ちょっとした何かで、彼は爆発して誰の手にも負えなくなる。

全ての希望が崩れる瞬間。

たくさん諦めてきた。

いいお洋服を見つけても、私の家具を見に来たときも、いつもそうだった。
弟が爆発すると、全てを諦めて帰るしか無くなる。

あのしんどさを知っている。
だからきっと、機嫌の悪い弟を連れた親も、ハラハラしながら、キツかったんだろうなと想像する。楽しめなかっただろうな。

全てが憎い。
でも何も憎めない。

誰も悪くない。

誰も悪くないけれど、あの日私は「いってきます」を言えなかったし、帰ってきて泣いた。


どうしたらみんなが笑顔でいられるだろうかと考える。

とても難しい。
叶うなら、親も、弟も、私も、周りの人も、みんなが笑顔でいてほしい。
でもそれはきっとできない。

私が犠牲になるしかない。

そして、私はいつまでもこの思いを抱えるしかないのだと思う。

障害児のお姉ちゃんであること

それは、見てもらえない“わたし”を隠しながら、だましだまし生きていくこと。

きょうだい児の宿命。



私も、愛されたかった。

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