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俺のものは俺のもの...なのか?

「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」

誰しもが一度は聞いたことあるはずのジャイアンのこの有名なフレーズ。

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このフレーズを聞いたほぼ全てのひとは違和感を覚えるだろう。
小学生の時に悪事をはたらかせてジャイアンになったことがあるひとも、大人になった今では違和感を覚えることであろう。

それに一たび、ジャイアンのような悪事をしようものなら先生や親にこっぴどく𠮟られるだろう。

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すこし話を変えて、これは全世界を対象とした際に資本がどこにあるかを示したグラフである。一目瞭然なくらいにおかしな形をしたこのグラフからわかるように、富める者はさらに富み貧しきものはますます貧しさの一途をたどっている。「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」ほどに格差が生じているのが21世紀に現在進行形で進んでいる。

格差自体は競争本能を持つ人間からして生じることは仕方ないことかもしれない...けれどここまでの格差を生じるまでに発展したのはなぜか。

人間能力の限界

格差が是正されないことの理由として引き出すには言い訳感が否めないが、ヒトが持つ生物として持ちうる「認知できる範囲」に限界があることに原因を見ることもできると考えている。

イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱した「Dunbar's Number」が示す通り、人間が相手のことを認知したうえで気遣うことができる範囲はとても限られている。その外縁は150人であるというのが学説である。

つまり、テクノロジーの発達によって本来つながるはずのなかった人々が全世界規模でつながりあってしまい、それも世界中が経済でつながったために
自分の行動がもたらす影響が想像できないのに効用をもたらす経済圏ができあがってしまった。

そこで経済的に豊かになったひとは自分の経済活動の影響範囲が見えないままに格差を助長する行為にひた走り、またある場面では社会的弱者に「努力不足」とのレッテルを貼ることもある。

来年にむけて

とここまでだらだらと自分の中にある課題意識とそこに向かってしまうかもしれない自分自身への恐れを書き連ねた。
ここからはそんな課題意識現在の自分をつなぎあわせることで、来年のキャリア選択について考えていることを示す。

思えば、この2か月はずっと大学での3年間への振り返りと未来のGOALを 見つめ考える期間だった。

Weの範囲を認識次元で広げたい。

これが来年の大テーマ (まだ変わるかもしれん。。)
We」と「The other」を想定するときに、どれだけこの「We」の範囲を広げられるか。どれだけのひとを思い浮かべることができるか。

いまの自分は「多様性」や「共生」を語り、夢見ながら認識レベルでは理解しえない。「」が怖いし、まだまだその世界は狭いものである。

けれど、何よりそんな状態で社会に出て、先述べたようなA Criminalになることが一番怖い。自分の行為で世界の遠く、見えないところで誰かが苦しんでいる姿が怖い。

だから来年は先進国の裕福な家庭に居続けては決して知りえることのない、
自分と異なる「We」を持つひととの出会い、時間の共有を大切にした年にできればと思ってる。
そしてそのためにたくさんの機会の中から自分にあった機会を探し出している途中。すべて決まって落ち着いたら伝えるべき人にきちんと共有します。



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