何者でもないという恐怖

偶然、同級生が演者である講演会を見た。
同級生なので、社会に出てからの年数も同じ。
聴いていて、「こんなにしっかり考えて話ができるんだ」と思った。
同時に、今の自分は何かを代表して講演などしていない、という焦りが湧き上がってきた。
ひさしぶりに、焦燥感を感じた。

年齢は関係ない、できる人はできる、と割り切った風でいたつもりだった。
しかし、内面には「うらやましい! 自分だってしたい!」という感情があったようだ。
そして、それを見ないようにしていた。
だって、格好悪いし、努力もしてないのにそんなこと思うなんておこがましい。そして、「ひっそりと過ごしたい」と言い続け、自分は何もせずに外に出ている人たちを羨む。

ちょっとだけやろうとしては、思ったよりも面倒、期待より反応が薄いとすぐに諦める。
「やっぱダメっぽい」と。
最初は読みも甘いから上手くいかなくて当たり前だし、人は想像以上に努力していることに気付かずに。

その結果、引きこもりができあがる。
何かを発信しないという意味のひきこもり。
本当はしたいのにね、見てもらいたいのにね。

そのニーズが意識の底で溜まってて、時折刺激されて浮き上がる。
そして、「何もできていない」と焦る。

「自分には何もない」と思ってしまう自分は、「本当はもっとできる」という期待が自分にある。

期待は重すぎるとつぶれてしまう。
期待が一切ないと、気にかけてもらってないように感じる。
自分に期待している自分、いじらしいじゃないか。
そして、期待には応えられなくてもいいよと見守ってあげようじゃないか。

「何者にもなれていない」という焦りも、これからもそうなのかもという恐怖も、自分への期待。
まずはその気持ちがあることに気付いてあげよう。
そして、そう思う自分を受け入れよう。

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