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もうここにはいないとわかっていても

図書館で イラストレーター安西水丸 という本を読んだ。図書館内を歩いてどんな本があるかな、となんとなく見ていた時に目に飛び込んできた。特に目的もなく図書館や本屋へ行ってこういう出会いがあると嬉しいよね。

安西水丸さんの絵はすごく好き。村上春樹のエッセイのイラストを描いていて知ったんだけど、なんとも味のある絵で、愛おしい。昔からなぜかシュールなものとか、ゆるいキャラクターみたいなものがツボなんだよね。

村上春樹のエッセイを読んでいると、表紙にもページの間にもヘンテコな動物がいて、すごく良い。村上春樹の顔=安西水丸のイラスト というくらいには私の中では結びついている。


その本は安西水丸さんがやってきた仕事や描いてきた作品がたくさん載っていて、すごく面白かった。より多くの絵を描くために、テーブルに乗っているイメージを表現するために、「ホリゾン=水平線」を描くようになった、と書いていた。そういうところがアート作品や画家とは違っていて、イラストレーターとしての仕事をしていたんだなと思った。

とにかく絵を描くことが好きで、誰よりも好きだと思う、どんな経験もイラストレーターになるためにやってきた、と。真っ直ぐでかっこいい。




村上春樹の もうここにはいないとわかっていても という文章がとても素敵だった。美しい文章だな、と思った。一緒に作品を作ってきた仕事仲間として、友人として、寂しさと敬愛の言葉を伝えるような。

ずっと一緒にやってきた人が急にいなくなってしまったら、ものすごく寂しいと思う。最後のお別れも言えずに。でも最後のお別れを言えることなんてほとんどないもんね。


今まで出会ってきた人には、この先何回会えるだろうか。もうきっと会うことがない人もたくさんいる。

出会いがあれば別れがあるとは言うけれど、人と人はいつかは別れることになるけれど、それが分かっていても寂しいと感じてしまう。

人と人の縁って不思議。その一瞬の期間しか関わらない人もいれば、今は別々の場所にいてもずっと繋がっている人もいる。その境目はどこにあるんだろう。


もう会わない人がいるということに寂しいと思うこともあるけれど、でもその人と会ったことや話をしたという事実は変わらない。記憶の中には確実に残っている。

それに、私の周りにはこんなにも優しい人たちがいて、気にかけていてくれて、その人たちと一緒に生きているんだと思うと胸が温かくなる。ありがたいな。

人生って、人間関係って、流れているようで積み重ねている。たくさんの人と関わって生きてきたんだなと思うと、ずっしりとした気持ちになる。


この本を読んで、安西水丸さんの近しい人たちの文章を読んで泣いてしまって、なんだかそんなことを考えた。

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