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それから一日後

君たちはどう生きるか を観てから一日経って。Podcastで映画の内容について話しているものを聴いてみた。今のところ番組は、以前から聴いているものと知っているものだけ。

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ、日常徒然、田中宗一郎-THE SIGN PODCAST、奇奇怪怪明解辞典、聞くCINRAなど。

話している内容は共感するものもあれば、私は気がつかなかった、という場面もあり。解釈がけっこう人それぞれ。でもそういう作品なんだよね。わかりやすく創っていない。

なんだかよく分からないまま、理解が追いつかないまま、つじつまが合わないまま進んでいく。パッと切り替わって、あれ?と思う。あれは死後の世界なのか、産まれる前の世界なのか。水の中にいるシーンでコポコポ…という音が聞こえて、母親のお腹の中にいるような感じなのかな、とも思った。


私はあの作品を観て、宮崎駿の思考の中に潜っていっているような感じがして、理由はなくて、ただ体験として感じればいい作品なのかなって思った。

だから映画館であの作品を観たこと自体に意味があるというか。それで、宮崎駿の寂しさや悲しさを受け取ったという感覚。

いろいろな人の感想を見ていると、物語のストーリーとか設定とか意味とかそういうところを見ている人もいて、面白いなって思った。やっぱり私は感覚的なのかもしれない。

そういう人の感想は私が気がつかなかった部分を教えてくれるから、納得するし面白い。それは知識がより多くあるということだとも思うんだけど。だからすごい、尊敬する。


ある人と映画の話をしている時に面白いと思ったのが、結末を重要視しているということ。物語の展開が気にいるかどうか、結末が納得いくかどうかで観ていると。

私ははっきり言ってしまえばストーリーの構成などはなんでもよくて、そこで感じた感覚や心情、シーンやセリフを重視している。あとは作った人が何を考えていて、何を伝えたかったかということ。だから結末は覚えていないこともある。

この映画の見方ってけっこう違うよね。私はSFやアクション、ファンタジーはほとんど観なくて、ヒューマン、学園もの、ミュージカル映画など現実の話が好きなんだけど、観る映画の種類も関係していると思う。

一口に映画が好きだと言ってもいろいろある。見方も全然違う。今回の作品は特に、どういう見方をするかで意見が変わるのかなと思った。


奇奇怪怪明快事典 で言っていた、何を“通ってきた”かで捉え方が違うという話が面白かった。どんなカルチャーを見ていたか、どんな環境で育ったか。

昔から好きだったものはそこに対しての熱量が違うから、今から勉強だと思って足を踏み入れてもその人たちの熱量にはたどり着けない、と。

だから、ジブリをどれだけ観てきたか、ジブリの中でもどの作品が好きなのか、他にどんなものを摂取しているのか、で感想が全く違うものになるんじゃないかな。

それはどんな作品に対してもそうなんだと思うけど、よりそんなエッセンスが散りばめられていたように感じる。


“作るのはいいけど、人に迷惑をかけちゃいけない”

と思ったという鈴木敏夫プロデューサーの話も面白かった。それだけ今までの作品とは違っていて、宮崎駿が作りたかったものを作ったんじゃないかな。

そんな作品を見せてもらえてありがたい。というか、どんな作品であってもその人の内面を見せてもらえることはありがたいことで、そこに良いも悪いもないんじゃないかなって最近は思っている。作ったというその事実があるだけで。

でもお金が絡んできたり、その下で働く人のことを考えたり、どんな人が見てどんな影響を受けるのか、みたいなところまで考えていくと、やっぱり良い作品を作らなくては、その責任が、という方向に向かっていくんだろうな。難しいね。

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