私とあなたの10は違うかもしれないし、私とあなたのピンクは違うかもしれない。
人が過ごしている人生は、ひとりひとり全く違って、
その人生のひと時ひと時に当てはまる形容詞は、
他の誰からも測ることのできない、その人にしか測れないものなのだ。
「楽しい」「嬉しい」「きれいな」「愛おしい」経験も
「苦しい」「寂しい」「険しい」「悔しい」経験も
その尺度はどうやったってその人にしか分からない。
どれくらい嬉しかったか、どれくらい苦しかったか、
それは、その本人しか分からない。
普遍的に測れるものさしなんてものは、無い。
それは、ありふれた考えに感じるけれど。
自分で分かっているようで、本当に分かるのは、少し難しい。
「のんびり生きてるよね、あの子は」
今よりもっと若い頃、私はもう少しつんけんしていて、
何かと学業以外にも取り組んでいた自分を棚に上げていた。
ただ学校と家を行き来しているような生活をする子を見ると
のんびりしている子だな、頑張ってることとかあるのかなと、
振り返ればとても失礼なことを思っていた。
自分の当時のエネルギーを、
誰も望んでいないのに勝手に他人と比べて
「ぬるい」なんて勝手に決めつけていた。
でも、その他人は必死に生きていたのである。
一生懸命に人生を楽しんで、苦しんでいたのだ。
それは私も変わらないし、皆同じだ。
他人だった私には、その他人の心の内や、生活の一呼吸、
その人が積んできた小さな人生の積木の一つ一つ、
そんなこと、分からないし、知ることもできない。
それなのに勝手にその人の「楽しさ」や「苦しさ」を測るなんて
あまりにもおこがましすぎたのだ。
「誰かがあの子より人生を楽しんでいて、
誰かがあの子より苦労している。」
人の生活は、そんなふうに比べられることじゃない。
履歴書にすれば文字に淡々と現れるその人の歴史、
他人から見ればそれがその人の歴史の全てに見えたりする。
でもその中には嬉しいことも厳しいことも、
その人なりに経験してきたことがたくさんつまってる。
あなたと、私、違う人生を送ってきた。
私が10って思ったこと、
あなたは10って5とも15とも思うかもしれない。
私がピンクって思ったこと、
あなたには赤と白に見えるかもしれないし、マゼンダとかサーモンピンクに見えるかもしれない。
人それぞれが、比べることなく
自分の人生や相手の人生のことを見ることができるように。