魯山人の渇き 愛なんていらねえよ 娘の談3

乳首のちぎれるような痛みに、目が覚めた。
息子を母に預けて5年近くもたつというのに、今も授乳している夢を見る。
そんな日に限って母から電話があったりする。その日もそうだった。
「この子は岐阜の荒川さんのお宅で育てていただこうと思うの」
子育てに母も音を上げたのかと思ったら、あたたかい家庭で育ってほしくて、と言う。
荒川のおじさまもおばさまもこころよく受け入れてくださるらしい。
「好きにして」
私は母にそっけなく言った。
母が決めたことにしたかった。
その年の師走、私は母にしょっぴかれるように荒川家の大掃除の手伝いに連れていかれた。
息子は荒川家にすっかりなついていて、土産に持ってきた鉄腕アトムの漫画に見向きもせず、泥んこ遊びに興じている。
母は母で、荒川のおばさまと楽しそうにお喋りしながら障子の張り替えをしていた。
生き生きと立ち働く母は美しく、そんな姿を見るのは初めてだった。
北大路家を出る前の母は、いつも疲れたような顔で、暗い影があった。
星岡茶寮という著名人が集う会食の館で女中頭だった母は、料理長の父に見初められて結婚したのだけれど、家庭に入るとただの女中にされてしまった。
父は一日に何度も風呂に入り、料理が気に入らないと食卓をひっくり返すような我儘ぶりで、母は寝るときも帯のひもを解いたことがなかったと言っていた。
そんな母と私の息子が荒川家の団欒の中で心地よさそうに寛いでいる。
私ひとりが場違いだった。
いたたまれず帰ろうとする私に、息子が粘土で作った皿を見せに来た。
この皿が焼けたら、お土産に持って帰ってほしかったと言う。
泥んこ遊びじゃなくて、焼き物を成形していたのだ。
荒川のおじさまの影響なのか、それとも隔世遺伝の父の血か。
私は何を受け継いだというのか。父の我儘だけなのか……。
年が明けて、息子の作った分厚い皿が送られてきた。
つたなくても、息子の幸せが形になっていた。
灰皿にでもしようと煙草に火をつけた。とたんに噴き出すように涙があふれ、私は大声で何やら叫んでいた。
ふと気づくと、私は床に倒れていた。
目の前には、粉々に割れた父の皿があった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?