魯山人の渇き 愛なんていらねえよ 娘の談1

「お前はワシの子やない」
父親からこんなことを言われたのは私だけじゃないかもしれない。
でもそんなに多くはいないはず。
あんなに私をかわいがってくれていたのに。
お馬さんになってと言えば、お座敷で膝小僧がすりむけるまで馬になってくれたし、トンボをとってと言えば、汗みずくになってパナマ帽で追いかけまわしてくれた。
小学校の送り迎えも人力車だった。
私はお姫様で、父は初老の召使のようだった。私はとても満足していたし、父も嬉しそうだった。
なのに、どうして?
もしそうだとしたら、私はいったい誰の子?
「あいつの子なんや」
父がそう言うのを私も聞いたことがある。
〈あいつ〉とは父の若い頃からの親友で、料理や陶芸など幅広い父の美の仕事を支えてきた中村のおじさま。優しくて笑顔が素敵なおじさまが私の父だったら…と思ったこともあったけど、おじさまと喧嘩別れしたあと、父が言った〈あいつ〉は荒川のおじさまになった。父の作陶を支えてくれて、そのあと独立して窯を開き人間国宝にもなったおじさまは家族をとても大切にする人だった。
要するに、自分の血をひいた子じゃないと言いたいだけだ。
トンビが鷹を産むという言葉があるけど、鷹の子はトンビだったとガッカリしたんだ、きっと。
小学生の時は上手だとほめられたお習字も、私が放り出したから、才のない娘だと嫌になったのか。
だからといって、私を遠ざけていたワケじゃない。
私の欲しいものは何でも買ってくれたし、私のために何度も再婚した。私がシングルマザーで子供を産んだ時は、孫の誕生を心から喜んでいた。と思う。
でも私は愛されているのか常に不安で、父の作った食器(けっこう高く売れる)や高価な美術品を次々と売り払って遊んだり男に貢いだりした。
どこまで父が私を許してくれるか、試していたのかもしれない。
父にも、そんなところがある。
自分の支援者を試すように無理難題をふきかける。
どこまで俺に尽くしてくれるのかと。
中村のおじさまが離れていったのもそうだし、たくさんいた支援者の皆さんが去っていったのもそうだ。
愛の渇きに生きた魯山人。
私は、愛なんていらない。


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