生きて、そして死にゆく人に向き合う


私の仕事は看護師だ。以前は大学病院に勤めていたため、病状が急性期にある人を相手に仕事をしていた。刻々と変わる状態に対して医師の指示のもと点滴や採血、検査の前処置、術後の管理、創部の処置など挙げればきりのないほどの仕事を分単位で行っていた。その中で、一つ変化を見落とせば、一つ何かを間違えれば命に直結するというプレッシャーの中で働いていたため、もともと同時に何かをこなすことが苦手な私には相当なストレスで、毎日逃げ出したいの連続だった。そんな私も3年は続ける、あと少し頑張ると何とか粘って、大学病院には外来勤務の期間を含め5年間務めた。そこで学んだことは、病気や治療に対する知識や、看護師としての技術など沢山あったが、今思い返して浮かぶことは、残念なことに多重業務を効率よくこなす方法と、お局看護師の嫌味からの逃げ切り方だった。もっと患者に寄り添う看護師になりたい。そう思い、数年の専業主婦期間を経て、現在訪問看護師をやっている。

私の勤めている事業所は小さな事業所で、医療的な処置というよりは入浴介助や清潔ケア、服薬管理など介護的側面も多い。そして家で死にゆくことを選択した人の看取りが主な仕事内容だ。日本は核家族化、少子高齢化が進み、高齢者の独居も増えている。認知症を発症しながらもコバエのとぶ家の中で一人で何とか暮らす人、幸いにもお金の余裕があり寝たきりの状態でサービス付き高齢者住宅に入ったが、介護サービスとして決まった時間にしかスタッフが訪問できず、何時間も汚れたおむつをつけたままの人などもいた。そんな人が少しでも気持ちよく、生きやすく、困りごとがないように援助していくのが私の仕事だ。その中で、病院や施設に入らず、家で家族が見守りながら人生の最後を迎える人もいる。それを選択できることは本人にとってとても幸せなことなのだと思うが、その家族は生半可な気持ちでは家で看取ることはできないのも事実だ。

だんだんと食事や水分が取れなくなり、トイレで排泄できなくなり、眠っている時間が増えてくる。病状によっては、目に見えてわかりやすく呼吸が苦しくなっていたり、痛みやきつさで身の置き所がなく苦痛で顔をゆがめる。家族はその変化を長い時間見ていなければならない。家族にとっても辛い時間が続く。また、私たちが訪問していない間の介護は家族が行わなければならない。それでも本人が望むのならと家で看取ることを選択するのだ。私の仕事は、その最期のときまでを、本人と家族が納得して過ごせるように援助することだ。

本人には心身ともにできるだけ楽になるように、家族には不安や辛い気持ちを吐き出せるように、自分に何ができるか考えながら日々接しているところだ。時間に追われ業務をこなしていたころと比べると、本人と家族との間に流れる時間の中にお邪魔している感覚で、ゆっくりじっくり向き合えている気がするが、まだまだ自分の人間力が圧倒的に足りないと感じる。もっと自分が成長して、生きて、そして死にゆく人の時間が本人やその家族にとっていい時間だったと思えるようなお手伝いをしていきたい。


#私の仕事

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