見出し画像

三鏡の教えを考えてみた!

「貞観政要」というタイトルの本の中に、「三鏡の教え」が出てきます。

1つは「自分を映す鏡」

1つは「諫言の鏡」

1つは「歴史の鏡」です。

これに自分を当てはめて色々と思索してみたら、

何とも恥ずかしい自分が映し出されました。

過ぎたことは取り返せませんが、嫌な自分と向き合って前を向く。

そんな気持ちで、今回は書いてみたいと思います。

自分を映す鏡を持つ

この鏡の捉え方は、実に多様なものがあると感じています。

例えば、自分の容姿ですね。清潔感はあるのか? 元気で明るい印象は?

姿勢は凛としたものがあるのか?・・・などなど。

沢山の視点で鏡を見ることができると思います。

そして、私に蘇ってきた記憶が鏡に映し出されました。

「いい加減な返事をして誤魔化した自分」や、

後から考えると迷惑を掛けていたのに、メールだけで謝罪をして、

足を運んでちゃんと謝るところまで出来ていなかった自分などなど。

その瞬間は悪気もなく、何となくとった行動が、

鏡に映し出されて客観的にみたら、実に中途半端で不十分な自分となって、

そこに映し出されていました。

「あ〜、この瞬間に人間力の低さが露呈していたんだなぁ」と、

何だかとても情けない気持ちになりました。

いや、驕りや認識の甘さ、損得勘定と言った方が良いかもしれませんね。

過去は変えられませんが、もっと丁寧に、誠実に生きるということの

優先順位を上げないと、自我に振り回されていてはダメだなと反省しました。

口で立派なことを言っていても、実際この程度の人間なんですよね!

もっと謙虚になって、自分を映す鏡と日々向き合いながら、

少しでも成長していけるよう行動していきたいと思います。

諫言の鏡を持つ

画像1

私はお陰様で、素晴らしい師を見つけることができました。

これは運が良かったなと思っています。師匠は私に注意して下さいますから、

数少ない私の「諫言の鏡」となって下さっています。

しかし、この一枚では到底足りませんよね。もっと私の身近にいて、

ずっと諫言し続けてくれる存在が必要です。

もちろん妻も、その役割を果たしてくれてはいますが、

どちらかといえば感情に任せた文句が多く、人間性を正される場面は、

あまりないような気がします。

そう考えると、日常の仕事において私の振る舞いをチェックしてくれる

「諫言者」を、自分で見つけて依頼するしかないのかなと思いました。

「どうか私が間違った時は、遠慮なく指摘して正して欲しい」と、

心からお願いをしないと、そんな辛い役目を引き受けてはもらえないでしょう。

この鏡を持つことを、自分は怠ってきたなと反省しています。

出会いはきっと有ったはずです。しかしその時に、受け入れる度量や認識が、

きっと私に無かったのでしょうね。

今が一番若いのですから、今からでも探してお願いしてみようと思いました。

歴史の鏡を持つ

画像2

唯一この鏡だけは、ここ10年強を掛けて少しずつ、獲得して参りました。

これだけは、自分を褒めてやりたいと思います。

もちろん十分な知識ではありませんが、努力してきたことだけは自信があります。

遅ればせながらなので、高が知れていると言われれば、その通りなのですが、

今は点と点が線になって、ようやく面として認識できる部分も出てきました。

繋がりの中から法則性を考え、未来を予見するということも、

多少できるようになってきた気がします。

今後もさらに精進して、知識から見識へと視座を高めることができるように

なっていきたいなと思っています。

そして、この三鏡を持って人間力を磨き、知行合一になっていけるよう、

頑張っていきたいですね!

憧れている「強さ」と「優しさ」を持った人間に近づきたいな。

そして、自分で自分を褒めてやりたいです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?