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10年間、毎日書き続けてわかったこと!

2011年9月7日から毎日書き続けた『今日の一言』

一言と言いながら、実は400字〜500字くらいのボリュームがある、

長過ぎる迷惑なメルマガなんですよね。

だから何よりもまず、読んで頂いた方、応援して頂いた方に、

心からの感謝を申し上げたいと思っています。本当にありがとうございました。

10年間、書き続けることを宣言して始めたのですが、

実際に続けられたことは、奇跡のようなものだと思っています。

だってこの10年間、大きな病気や事故に遭うこともなく、

元気で生きてこられた証なのですから。

それも、私だけではないですよね。私の家族も含めて、何事もなく幸せな日々を

過ごしてこれたお陰なのですから、本当に有り難いことだと思っています。

書き始めた理由は、まだ秘密にさせて下さい。

もちろん訳あって書き始めましたが、今も現在進行形なので触れないでおきます。

ただ、10年続けてみて気づいたことが、もしかしたら誰かのお役に立つことが、

あるかもしれないと思い、ここに番外編として書いてみようと思いました。

【毎日自分と向き合えば、人は成長し、変われるのか?】

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日記のように毎日の仕事の振り返りや出来事、本で読んだこと、気づいたこと、

感情の動きなどを振り返って、書き続けた10年間でした。

仕事が上手くいって嬉しかった日もあれば、全然ダメで悩んだこともあるし、

お酒に酔って失敗したこともあれば、喜怒哀楽に振り回されたり・・・。

生きていれば色々ありますよね。

でも、そこから何か気づきを得れば、こんな自分でも少しは成長できるかも。

いや、もっと理想的な自分に変われるかも。そんな期待も正直ありました。

毎日毎日書いていると、流石にネタが切れた感じで、書き難い日もあります。

長い時は1時間も2時間も掛けて、やっと書いた時もありましたし、

登山に行く時は朝4時に起きて書き、隠岐の島のウルトラマラソンに出た時は、

午前2時30分に書いたこともありました。バンクーバーで書いた時もあったなぁ。

でも、とにかく書き続けてみたのです。可能性を信じて遺伝子と戦う決意を胸に!

小さな自分から少しくらいは成長できるかもと思いながらですね。

【人間的な成長とは・・・】

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結論から申し上げますと・・・

実は、ほとんど成長していない、変わっていない。そう思います。

残念ながら、そんなに簡単に人は変われない。

私は10年間掛けて、人間は大きく変われないことを学びました。

ただ、ほんの少しは変われたのです。そこは自分でも感じていて、

昔よりも明らかに、僅かながらの成長ができた。そう思っています。

なんだか意欲を下げてしまうようなコメントで申し訳ないのですが、

実際には、今でも不甲斐ない自分がここに居て、まだ道は遠いなと思ってます。

アドラー曰く、40年掛けて染み付いたものは、20年くらい掛けないと

変われないのだそうですが、まさにその事実を突きつけられた感じですね。

でもです。ここからが大切なんです。

【私が伝えたいことは、ここからなんです】

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『何も得なかったのか?』

いえ、とてもつなく大切なものを得ることができました。

『何も変わらなかったのか?』

いえ、僅かな変化としか思えない成長が、私の周辺に大きな変化を与えました。

そうなんです。人ってそんなに大きな差によって人生が変わるのではなく、

ほんの少しの成長による僅かな違いで、運命が拓かれて行くのではないか!

そんな実感を持つことができたんです。

まるでコップの水が溢れた瞬間のように、自分の中から何かが溢れ始めた。

すると私の力ではなくて、周囲の皆様の方から、私の中に何かを感じ取って

下さるようになってきた感覚があります。

『よくわからないけど、何かが伝わっている』・・・そう感じました。

今でもその「何か」を明確に説明することはできませんし、

論理的でも科学的でもなく、何のエビデンスもありません。

しかし明らかに、皆様が温かく私を受け入れて下さっている。そう感じました。

そこから生まれる「心のゆとり」は、等身大の自分を受け入れることに対して

心の敷居を下げて来れました。多くの人に「大丈夫だよ」と言って頂けている。

そんな感覚で仕事ができるようになってから、今まで以上に良いサイクルが

回り始めたんじゃないかなって感じています。

【実際に得たものは何か】

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私が実際に得たものは沢山あるのですが、代表的な3つをお伝えします。

『リアルタイムで自分の感情を客観視できるようになった』

これは決して感情を完璧にコントロールできるようになったわけではありません。

むしろ今でも振り回されていますし、まだまだ修行が必要なところです。

ただ、今自分は不安な感情でいるとか、懼れているとか、怒っている、

嬉しくて仕方ないなどなど、自分の感情を「リアルタイム」で、

感知できるようになりました。・・・って、普通じゃんって思われますかね?

感情をリアルタイムで感知できるようになると何が変わるのかと言いますと、

私の場合、長時間にわたって振り回されることが無くなったのです。

その感情の出所と瞬時に向き合うことも可能なので、「今私が大切にしている

核心を汚されて怒っているな」とか、「今損得を考えて計算したな」とか、

「将来の利益を考えて過敏になり、不安になっているな」とか、

そんな内面の動きをリアルタイムでキャッチできるようになりました。

ちなみに、この状態になるまで5年掛かったんですけどね!

5年やり続けて、やっと自己認知力が少し上がったんだろうと思っています。

感情に振り回される時間が短くなったことで、修正行動を取り易くなりました。

これって私にとっては凄く大きな発見で、ストレスからの大幅な解放と、

迷いの低減、言い換えれば、決断力を高めることにも繋がりました。

『駄目な自分を受け入れて前を向く』

この開放感や自由な感じは、最高だなって感じています。


『考えることの意義を確信できた』

本は読まされたのでは仕方ない。読むものだと安岡正篤先生が仰っていますが、

まさに「知識」として入れただけの情報は、あまり大した価値はない。

そのことが心から理解できました。もちろん知らないよりは知った方が良いです。

しかし、「知っている」というレベルでは活かせないのです。

「知っている」を「わかる」に高めるためには、自ら積極的に「なぜ?」

考えることだなと、本気で思ったんですよね。

私は「今日の一言」と毎日強制的に向き合うことで、毎日強制的に「考える時間」

を持ち続けることができたわけです。これが有難かったんですよね!

知識を鵜呑みにすることなく、なぜを考え続けました。なぜ?なぜ?なぜ?…と。

そして気づいたことをメルマガでアウトプットし続けたのです。

もちろんその時に正しいと信じたことを書いているだけなので、

間違っている可能性も大いに含まれていますが、それでもアウトプットを続けた。

結果として、その時は「点」だったものが、色々なINPUTとOUTOUTを繰り返す

間に線となって繋がって行き、それがやがて面となって「わかる」になった。

そんな気がしています。これは私にとって貴重な資産となりました。

「人間は考える生き物である」と言われますが、「知識」と「考える」では、

その価値が全然違うんですよね!

だから私は全てのクライアントや出逢う人に、無駄な時間に思えても

必ず毎日1回は、「考える時間を創りましょう」と提案しています。

ただ私は、まだ「できる」に昇華できていないことが山ほどあります。

次の課題は、「できる」を少しずつでも増やしていくこと。

ハードルは一気に上がりますが、私のモチベーションを上げてくれています。

『最大の発見にして、私の宝物となった気づき』

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10年書き続けてきて、やっとわかったことであり、最大のお宝は、

『完璧ではない自分を正受すること』です。

それがどうしたの?と思われるかもしれませんが、

私にとっては、偉大な気づきなんですよね。

本当に自分は「まだまだだな」とか「欠点だらけだ」と思えるということは、

昨日までの自分を否定してでも、自分の伸び代に賭けて新しいことに挑戦する

という人生を生きていくことができるということなんです。

もちろんネガティブになって自分を否定してはいけませんよ。

そうではなく、自分を正受した上でポジティブに、未来の希望や夢、理想やロマン

を追いかけ続ける人生を、これからも歩むことができるということなんです。

即ち、『幾つになっても生きている間は、

ワクワクしながら生きられる』ということです。

安岡正篤先生は、「人間50歳を過ぎると、誰でも過去を顧みて、

自分の人生も満更ではなかったと過去を肯定して、自らを慰めたい。

その頃になって人に自叙伝を書かしたり、墓に戒名を入れたりして、

過去の栄光にしがみ付きたくなるものだ」と仰っています。

要するに、過去を肯定して、変化が効かなくなる、新陳代謝が衰えてくる

これは老化現象であり退化現象であると教えて下さっています。

結構ね、「あれもできている」「これもやっている」と

年配者の中には、何でもクリアしていると語る人は多いんですよ。

お陰様で私には、まだそれがない。変化が効く

これは体に例えると健康体であり、とても有難いことなのです。

加えて言えば、傲慢な生き方をしなくて済むということでもあります。

自分は全くもってまだまだだ。欠けている部分が多いと気づけているので、

人に対して横柄な態度や驕り高ぶるとか、上からものを言うなどということが、

当たり前になって行かないということです。ゼロだとは言いませんがね。

これって無意識でそうなるので怖いんですよ。本人は気づけないのです。

しかし周りの人は気づいています。それを快く思う人はいません。

だから徐々に徐々に評価が下がり、仕事が減っていくのです。

私の知っている範囲では、5年、10年と時間を掛けて変化して行きますね。

けれども地位やお金を持っていると、人々はそこに頭を下げます。

それは「損得で実現している人間関係」なんですよね。

年上だし、忖度されることも増えるので、歳を取るほどに要注意です。

ソクラテスが説く通り、「無知の知」を認識できることは尊いですし、

だからこそ成長を求めてワクワクし、新陳代謝を続けられることは、

この上ない宝物であり、有難いことだと思っています。

10年書き続けてきて、目で見えるような大きな進化や成長はできなかったです

けれども、この僅かな違いこそが、本当に大切であったなと思っています。

長文を最後まで読んで頂き、本当に有難うございました。

これを読んで下さった方の気持ちに、少しでも元気や勇気がお届けできたら、

この上ない喜びです!

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