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落ちたデルヴィッシュ

アレクサンドロス・パパディアマンディスの1896年の作品、短編小説。 
アレクサンドロス・パパディアマンディス協会のサイトで公開されている原文。
https://papadiamantis.net/aleksandros-papadiamantis/syggrafiko-ergo/diigimata/346-ksepesmenos-dervisis-1896

俳優 Παντελής Παπαδόπουλος パンデリス・パパドプウロスによる朗読劇 


1. 

 雫が一滴、三滴、五滴、十滴。 
 甲板の上に響く寝ずの番の水夫の単調な足音に似ている。この水夫は、真っ黒な大海を航海しているのだ。そして、空と海が荒々しく踊っているのを見ている。厚手の外套にくるまり、消えてはまた点くタバコの蛍火で、瞬間だけ、暗闇を切り裂いている。 
 雄鶏たちは三番目の囀りをまだ上げていなかった。おそらくは、旅回りのサレップ売りの野太く悲嘆に満ちた声に恐れていたからだろう。この商人は、秋の夜更けに泣き叫び出すのだった。その声は、風に乗り損ない、運悪く都市の中に入ってしまい、引き裂く獲物を求めている、名前も分からない猛禽の鳴き声の様だった。 
 「暑い! 茹で上がる! …、」 
 夜、夜遅く、発酵し、泡立つ。 サレップは熱を持ち、床はそれ以上の熱を持つ。サレップ売りの声だけが聞こえ、雄鶏を怖がらす。 
 雨が少し降って、その後は、晴れ上がった。雫は、庭の溝から、後から後からポタリポタリと落ちていた。   

2.

 「ええ! 一体、誰だ?」 
 暗闇の中、サレップ売りの口からこの叫びが聞こえた。 
 道に面した低い家の窓がカチッと音を出す。 
 サリーを巻いた男が首を覗けた。サレップ売りへ大きなキアソスを差し伸ばした、ゆっくりと差し伸ばした。 
 男は屈み込んで見た。 
 背丈は高い、白いターバン、黒い外套、色染めされたキトンの男が、既に、サレップ売りの前に立っていた。 
 「一体、誰だ?」 
 「ブウ、ドゥニア、ツァルク、フィレク」 
 「アスク、オロスウン…、」、サレップ売りは呟いた。 
 男が誰かは分からなかったが、服装には思い当たった。他の者だったら誰もが、この男を幽霊だと思うだろう。だが、サラップ売りは怯えなかった。彼は、その土地の者だったのだ。 

Kyathos - Wikipedia  


3.  

 前から現れていたのだ。いつからだったか? 数日前からだったか、終週間前からだったか。どこから来たのか?中央ギリシャからなのか、東方からなのか、スタンプウルからなのか。どうやって? 何の用があってなのか? 
 デルヴィッシュなのか? ベリタン教徒のハジャなのか? イマムなのか? 博学のイスラム法学者なのか? 長身で、褐色の肌、人好きのする、優しげな蛮人。ターバンを巻き、ツーベルンと言う足元までの外套を羽織り、ドゥラマと言う絢爛豪華な衣装を着ている。 
 友好的なのか、敵対的なのか? 羽振りがいいのか、零落しているのか? 追放されたのか? 「ブウ、ドゥニア、ツァルク、フィレク」。この世界は球、そして、回っている。 
 その夜、彼はある集まりに招かれていた、切っても切れない仲の七、八名の友人たちの集まりだった。人生を、若い時を謳歌している連中だった。その内の一人が、毎晩、ギューベッツィを持って来て、他の者たちがそれを食べるのだった。 
 その男は籤売りだった。日に十か十二ドラクマを稼いでいた。その金をどうしたか? それをギューベッツィに使い、他の者たちにご馳走したのだ。他の者たちは、大小の差こそあれ、籤好きだったのだ。 
 皆は、歌や器楽が好きだった。デルヴィッシュは酒を飲まない、マスチックを飲むのだった。彼らは、皆、デルヴィッシュだった。他の者たちが彼に歌う様に言った。彼は歌った。今度は、ナーイを吹く様に言った。彼は吹いた。 
 他の者たちには気に入らなかった。歌は、「アマネス」ではなかったのだ。 
 他の者たちが知っている様な歌ではなかった。だが、デルヴィッシュは、これこそ正真正銘の「アマネス」だと、他の者たちに言った。

Γιουβέτσι - Βικιπαίδεια 
Ney - Wikipedia
Αμανές - Βικιπαίδεια

4. 
 彼はカフェネイオに戻った。テーセオス神殿の向かいのカフェネイオだ。カフェネイオの隣りには大衆食堂がある。その二つは、古いアレオパゴス駅の向かいにある、カフェネイオの向こうには、トンネルが掘られている、彼はそこを掘ったのだ。その年の秋のことだった。 
 デルヴィッシュはそこに腰を据え、自分で注いでマスチックを飲んだ。ターバンを巻き、巻毛で白髪のまじった顎髭を生やし、煙管を咥えている。歳は五十を越えている。 

Ναός Ηφαίστου - Βικιπαίδεια
Άρειος Πάγος (λόφος) - Βικιπαίδεια   

5. 
 そこは、終日終夜営業していた。家のない者たち、住居のない者たち、ヤドカリたちがいた。この小さなカフェネイオは、夜通し開けている許可を取っていた。 
 常連客は、賭博場から、劇場から来ていた。青物市場から来る常連客もいた。彼らはラム酒かセージ酒を飲んでいた。 
 デルヴィッシュは、時折、ナーイを吹いた。一人の下級役人、警官が喜んだ。それを聴くのが大好きだった。 
 この役人は良い人だった。数年前、彼が最初に任命された時には、意欲満々だった。 
 喧嘩を見ると、直ぐに、走って行って、その者たちを引き離す。自分の昔馴染みの仲間には、気の毒がられていた。  
 「君が喧嘩を見掛けたなら、その脇小路から走って出るんだ、そして、ゆっくり歩く、それから、喧嘩の勢いがなくなった頃、姿を現す様にするんだ。」 
 また、それとは別の忠告もした。 
 「喧嘩の時には、常に、どちらがより強いかを見るんだ、そして守る。弱い方を叱責し、そいつを平手打ちするんだ、そうやって、秩序を回復するんだよ。そうすれば、君は上手く難を免がれるだろうよ。」 
 更にもう一つの忠告。 
 「新しく赴任して来た上司は、誰もが、初日は厳格さに満ち満ちている。部下たちに知らしめる為にそうするんだ。二日目には冷めて来て、三日目には、勝手にさせる様になる。君は、上司に合わせて従わなければならないよ。それで、その三日間は、しっかりときれいにするんだ。」 
 貴重な忠告だ。



6.
 その日、新しい警視が赴任した。 
 熱意を示そうと、カフェネイオに、夜は閉店する様に命じた。 
 翌日か、翌々日には、再び、開けたままにするのが許されただろう。だが、その夜は、偶々、宝籤の抽選の夜だった、運命の夜だったのだ。 
 人の良い下級役人は、同僚の忠告を思い出した。急いでカフェネイオに行って閉めさせなければならなかった。手伝いに中に残ることは許さなかった。誰かが来て戸を叩くことは大いに有りそうで、その度に、立ち上がって戸を開けることがない様にだった。宿無しの、放浪者のデルヴィッシュには残ることを許さなかった。ナーイを吹いて人々を集め、近所の人たちを眠れなくさせると言う口実だった。ターバンを巻いた、ツールベンを羽織り、ドゥラマを着たデルヴィッシュは、煙管とナーイを手に取ると、出て行った。 
 彼に何処へ行けと言うのだろう? 
 あてもなく、カフェネイオの周りをぐるぐると歩いた。 
 トンネルは直ぐそばだった。いくらか掘られて、まだ掘られる途中のままのトンネル。 
 陸風が吹いて寒くなっていた。真夜中から一時間あとだった。 
 下級役人、歩哨は、キオスクの下、トタン屋根の店々を回り歩いた。
 あてどもなく歩いていたデルヴィッシュはトンネルの底に降りて行った。あるいは、風がまるで当たらない場所を見つけようとしていたのかもしれない。 
 座って、休んだ。 
 人の世の変わり易さを考えた。「アスク、オロスウン、ツィヴィリネク」。世界が回っていることを知る者に幸あれ。 
 

7.
 時間が経った。下級役人は、彼はそこいらを周回して歩いていたのだが、デルヴィッシュがどうなったかに思いを巡らした。デルヴィッシュがトンネルに降りて行くのを見ていたからだ。 
 何処に居ると言うのだろう? 
 この声には出さなかった問い掛けに、ある音、楽音、優しい旋律が答えた。 
 イスラム教徒の異国の人は、座った所で凍え、半分眠っていた。身体を温めようと、ナーイを取り出すと、偶々記憶に上がって来た曲を吹き始めた。 
 ナーイ、ナーイ、甘い音色の。 
 魅惑的な音色の ーー 私が求めているのに、弱くなって行く。 
 そよ風、空、甘美な歌、蜜の様な歌、優雅な歌、陶酔させる歌。 
 ナーイ、ナーイ。 
 二つの小さな点があるので、「ナイ[肯]」とは違う、ハリストスが言った「ナイ[肯]」とは違うのだ。 
 「ナイ[肯]」は、穏やかであること、慎み深くあること、温和であること、「ナイ[肯]」は、博愛であることなのだ。 
 地底で、穴で、坑で、渓流をサラサラと音を立て流れる水流の様な、坑から上がってくる楽の音は、香の様で、泡の様で、湯気の様で、悲しげで、苦しげで、夜の微風の羽に乗って上がって、浮かび上がり空中に漂う様で、柔らかで、蜜の様で、毒気はまるで無く、囁く様でいて、澄んでいて、ゆるやかな放物線に乗って這い上がってくる、この音は、幾筋もの風の音を合わせ、無限の拡がりを謳歌し、無限を乞い願う。そして、この音は、子供の様で、罪はまるで無く、くるくると回る様で、挽歌を歌う乙女の声の様で、冬に耐え春の再来を待ち望んでいる鳥の弱々しい囀りの様だった。 
 テーセオス神殿の重厚な壁、太い柱、多くを包容する屋根は、この楽の音、旋律には驚かなかった。その音を記憶していたし、その音が誰のものか分かったのだ。困難な時代でも、全盛の時代でも聞いていたのだ。 
 その音楽は、アジアの民族のものと思われるのだが、それ程には、異国的ではなかった。古代の、また、フィリギアやリュディアの和声と密接な関係があるのだ。 

8.
 深夜は過ぎ去った、が、まだ夜だった、運命の夜だった。 
 まだ、夜は、暗闇を広げていた。サレップ売りは、商品を売ろうと声を張り上げていた。雄鶏たちは鶏小屋で縮こまっていた。小さな窓がキーキーと鳴っていた。サレップ売りは、デルヴィッシュ、宿無しの、外国からの亡命者のデルヴィッシュとの会話がトルコ語で上手く出来た。 
 一時間程前に、もう、不思議な蜜の様な音楽は止んでいた。ナーイは手から落ちていた。雲に覆われた空は、雨を降らせ出していた。暫く降って、止んでいた。下級役人は姿を消していた。ずぶ濡れで、凍え切って、麻痺したデルヴィッシュは上の世界へ上がった。 
 ある小路に入った。聖アマス教会の至聖所の真向かいの小路だ。その小路には、立派な委員会が名前を付けている、それが、標札に書かれている、その名前はレペニトス通りだ。 
 当のレペニトス、獅子の心を持つレペニトスが、彼の兄弟である英雄を殺されたことに復讐の思いを抱いているとしても、そのレペニトスの魂がそこらを彷徨していて、不運な、追放された、国外へ放り出された、家の無い、二つの並んだ古い建物の間を這う小路で震えているダルヴィッシュを見ることが出来たなら、彼に同情しただろう。 
 サレップ売りは彼を不憫に思った。五レプタで、飲む様にと二倍のサレップを、浸した半分のクウルウリを与えると、このサリーを纏った隣人を残して出て行った。デルヴィッシュは、温かい寝床の直ぐ側に立って、小さな窓で涼んでいた。 
 「さて、サレップ売り、何処へ行くのやら…」 
 「ブウ、ドゥニア、…」

Ιερός Ναός Αγίων Ασωμάτων Θησείου - Βικιπαίδεια


9.   
 その日の朝、デルヴィッシュはサレップを飲み、クウルウリを食べた。昼の間はずっと眠っていた、それも、何となく座った所で、そのまま眠ったのだ。 
 次の日、行く当てもなく、再び、夜通し開いているカフェネイオへ行き着いた。運命の夜を過ごしたカフェネイオだった。マスチックを飲み、煙管をふかした。時々、また、ナーイを吹いた。 
 その後のこと、ほんの数日後、デルヴィッシュは姿を消した。もう誰も彼を見掛けなかった。存命なのだろうか、死んでしまっているのだろうか、何処か別の土地を彷徨しているのだろうか、国外追放が解かれ呼び戻されたのだろうか、故郷へ戻ったのだろうか? 
 誰も知らないのだ。 
 今では、絶大な皇帝の愛顧を取り戻していることは大いに有り得る。彼がスタンブウルのウルマの中でも非常に重要な人物であることは大いに有り得る。何処か有名なモスクの秀れたイマムであることは有り得る。 
 もしかすると、カリフに贔屓されている者で、ウルマの長で、シュイヒュルイスラムであるかもしれない。 
 ブウ、ドゥニア、ツァルク、フィレク。  



おわり。

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