いい写真がわからなくなった。
いい写真がなんなのかわからなくなった。
自分の撮る写真を、良いと思えなくなった。
昔はもっと、自分の撮る写真を自分でちゃんといいと思えていた。誰に良いといわれなくとも、自分がまず良いと思ってるならそれで幸せだった。
見る人から言わせたら、昔も今もそんな変わらないよ、って言われるだろう。
でも、昔の自分の写真の方が好きでいられた。
それは、うまいとか下手とかそういうことじゃなく、ただ被写体を捉えた瞬間に、こころが子供のようにはずんできらめくような感動があった。その一瞬の呼吸のために生きているような。世界を発見して感動できた、ただそれだけでよかった。
今は100%中、2割くらいしか、こころが動いてないのに、とりあえずなんでもいいから撮って。
どこかをほんのわずかでも良いと思ったのは事実なはずなのに、なにが良いのかも言語化できずに。そんな弱い動機で撮ってるから、自分にとっての必然じゃないから、誰にも届かない。誰のこころも揺らさない。当たり前だ。
たぶん自分が良いと思うものの感覚が、もうおかしくなっているのだろう。
世間の感覚とたくさんズレているのだろう。
(インスタで、言葉を選んで言うと、ものすごく独特というか、不思議な写真を撮りつづけてる人がいて、「この人にとって、切り取ったこの世界が素晴らしいと見えてるんだろうな、不思議だな」と今まで思ってたけど、自分の撮るものも、知り合いや友人からはそう思われているのだろう)
でも、なにがどうおかしいのかが、もうわからないから、どう治したらいいのかがわからない。こういうとき、どうすればいいんでしょうか。
たぶん、本当に良いと、こころがきらめくものを、自分にとっての揺るぎない必然を、取り巻く世界のなかで見つけるのが先決なのかもしれない。
でも、光をかんじられる細胞の在り処がわからない今、どうやったらその状態に自分を持って行けるのかがもうわからない。
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