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ドイツワーホリの記録|フリーランス1年目31歳ギリホリの1年

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ドイツワーホリの記録を始めます。ドイツに来るために、大手企業のマネジメント職を手放し、フリーランスのライフコーチになりました。やりたいことを妥協しないをモットーに、韓国留学を経由…
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2023年4月の記事一覧

コーチの私がコーチングを受けたら、お金を意味のあることに使いたい私がいた

ライフコーチとして活動する私は、自身も毎月1回以上のコーチングセッションを受けています。今回は4月に受けたコーチングセッションのこと。 テーマは「未来への不安」もとい、「お金の使い方」についてです。 というのも、ここ最近お金の先行きを不安に感じることがあります。なぜかといえば、私はいまドイツに住んでいるのですが、円安がすごいのです。 例えばこれを書いている今日は、1ユーロ=151円。151円って、すっごく円の価値が下がっているんです。15年ぶりとかの水準です。 しばら

特権があるということ

特権というものを、ここ数日はよく考えている。特権とは、持っている人には見えなくて、持たない人には見えるもの。スクールカーストのよう。 私に見える特権のなかで最も大きいものは、男性の持つ特権。例えば父に対して、その特権がよく見える。 特権とは、自分が持つものは見えない。だから、「見えてない」ことに気づいてふるまうことが大事。 私はどんな特権を持っていて、どんなものは持っていないのだろう。周りを見渡しながら考えている。 特権があるから言えること 特権がある人は、ない人が

2泊3日のプラハ旅行で見つけた素敵な場所4つを紹介したい

昨年の12月からドイツに住んでいます。今回はバスを使って陸路での旅、プラハを旅行した記事です。 ドイツでできた友人と3人で、2泊3日の旅行をしました。プラハは古い建物の残る歴史を感じる街で、丘の上にあるプラハ城からの眺めも素敵でした。 プラハはビールが安くておいしくて、伝統料理ともよく合いました。この記事では私が行った場所・お店の紹介をしてみます。 楽しんでいただけたら嬉しいです☺️ ▼前回の旅 ▼マガジン ▼参考にした本 プラハは旅行本が少なく、この本と韓国の

プラハ旅行はトラウマを私らしさと受けとめるための時間だった

4月のあたまに行ったプラハ旅行のことを、3週間ほど経ってやっと書きます。というのも、実はこの期間、私にとっては少し辛い期間でした。 旅行自体はとても楽しくて、一緒に行った友人たちともたくさん話して、仲も深まり帰ってきたのです。 だけど、それとは別のところで、私は私のトラウマに再び気づき、受け入れるための時間を過ごしていました。 やっと私は、これを書ける状態になりました。私にとって大事な体験だったので、ここに書き残しておこうと思った次第です。 過去のセクハラの記憶と、今

学生に戻ったのかと錯覚する

今日も今日とて語学学校。ひさしぶりに午前中の授業の日だった。 午前中に授業がある日は、たいてい友人と食事をする。授業終わりに集合して、学校の近くでランチをしてから帰るのが定例。 今日も3人で集合して、何食べようか〜と話していたはずなのに、気づいたらみんなでうちにいた。韓国料理を作って食べようということで。 こんなにも気軽に家で遊ぶなんて、社会人になってからはほぼなかった。私は学生に戻ったのかと錯覚をしている。いや、確かに学生なのだけど。 学校終わりに何して遊ぶか 午

褒めることを出し惜しみしない

ドイツ語を勉強中の私は、2週間に1回、ドイツ語を勉強したい私たちと日本語を勉強したい人たちの集まる会に参加する。 今日もその日で、2〜3時間ほどドイツ語や日本語を使っておしゃべりをしてきた。頭のなかにあったドイツ語がフル活用されて、オーバーヒートしている。 学校で授業を受けている時、なんだか私ってぜんぜんしゃべれないなぁと思う。単語は毎日新しいものに出会うし、理解に時間がかかって話すにならない。 上達をまったく感じないわけではないけれど、話すことって難しい。そう思いなが

昔の恋愛を思い出す日

30年ほど生きてきて、まぁそこそこに恋愛をした。この数年は少し疲れて、恋愛のようなものから遠ざかってはいるけれど。 私にはよく思い出す恋がいくつかある。いまさらどうしようとも思わないけれど、私にとって大事な人との恋愛。ただ思い出を持っていたいというか。 これがあるから恋をしないのか、恋をしないから思い出すのかはわからない。どちらにしても、私の人生において大事な恋であることは間違いない。 どんな日に思い出すかといえば、その人との夢をみた日。私はたぶん夢をよくみる方で、毎日

私に必要な自分との時間

今日のベルリンはごきげんな晴れに春の気温。ということで、急きょ出かけることにして、自分との時間を過ごした。 ベルリンのごきげんさに、私の心も自然と踊る。 出かけると決めたら楽しくなり、いつもはしないアイメイクをして、髪は外ハネ、春になったら着たかった服を着て出かけた。 そうそう、カバンはこの前のプラハ旅行で買ったものを。夏用にと買ったけれど、ごきげんな今日に使ってしまいたくなった。 まだ寒いかと思ったけれど、ごきげんなベルリンはこの服装にピッタリの気温を用意してくれて

日本にいる家族が倒れても、私はドイツで日常を過ごすのか

今朝早い時間に目が覚めて、なんとなく携帯を見た。一度携帯を見ると眠れなくなるから見ないようにしているけれど、今日はなんとなく見た。 SNSをひと通り見て、ふとLINEにたくさん通知があることに気づく。開いたら家族からのLINEで、病院にいるとのこと。 数日前にも同じ病院にいると連絡が来ていたから、最初はまた検査かなにかなのだと思った。でも途中で気づいた。これは検査ではない。 祖母が救急車で運ばれたという話だった。幸いにも大事ではなかったけれど、ついあれこれと考えてしまっ

言葉が違うことの力を借りて、私は自分の話をする

この数日、実はけっこう大変だった。セクハラのトラウマが呼び起こされて、日常生活に支障をきたして。だから学校にも行かずにいた。 話が少し複雑なので、友人には言わずにいた。友人は男性なので、気をつかわせてしまうと思ったから。 それに、文字のやりとりと外国語で、うまく説明する自信もなかった。 でもやっと、学校に行けた。自分の言葉で説明もできた。そうしたら、スーッと心が軽くなってきている。 まだ全てが元通りとはいかないけれど、いまの私はもう大丈夫そうだと思えている。 私が心

31歳の私は母に心配をかける練習を始めた

最近の私は、休む練習をしている。それと同時に、母に心配をかける練習を始めることにしたのは、つい数日前のこと。 3人兄弟の長子で30年ほど姉として生きてきた私。それだけでなく、母に対しても前世で姉か母だったのかと思うほど、実は弱い部分を見せられない。 母とは時差があるほど遠くに住んでいる私は、もともと日本に住んでいても、体調が悪いことも隠すような性格。 いまは時差があるから、連絡を取らない時間にいらぬ心配をさせたくない気持ちに輪がかかっている。 でも、それでいいのだろう

どこまでいっても私の相棒は私

セルフパートナーシップという言葉を聞いたことがある。 私のパートナーは私。他にパートナーを持たないで、自分自身と関係性を育み、自分との暮らしを楽しむことと理解している。 独身で、恋人もおらず、数か月前からドイツに住み始めた私は、自分とパートナーシップを持つという状態に満足している。 自分がパートナーでも、やっぱりうまくいかない時もあるけれど、私はこの状態がとても好きだ。ベルリンで自分との生活を毎日楽しんでいる。 今日なぜこのテーマで書こうと思ったかといえば、最近私のな

家族にベルリンを紹介したいだけなのに

少し前から、家族がベルリンに遊びにくる話をしている。私もベルリンに住んで4か月ほどになり、こちらでの生活が落ち着いてきている。 ワーホリで来たベルリンは、私にとって憧れで大好きな場所。その場所を、家族に知ってほしいし案内したい。 幸いにも、父は仕事でドイツになじみがあるし、弟もドイツに興味を持っている。だから、もういつでも来てほしい。 だけど、このご時世、そういうわけにもいかない。なんだかなぁ、難しいなぁと、心から悔しくなる。 コロナ前、私がドイツに旅行で来ていた頃、

調子のわるい朝は心のおどる曲で起きる

数年前、たんぽぽの川村さんがララランドの主題歌をアラームにしているとテレビで知り、私もすぐに真似をした。 当時の私は会社員で、朝起きるのが毎日とびきり憂鬱だった。低血圧のおかげで、目覚めてもしばらく動けないことも憂鬱さの要因の1つだった。 寝起きに気分だけでもあげたかった私は、ララランドのワクワク感がほしくて、すべてのアラームをララランドにした。 それで何かが大きく変わるわけではない。でも私は、不思議とこの曲を嫌いにならなかった。 それまでのアラームの曲たちは、なんだ