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恋人たちの食卓

恋人たちの食卓 「飲食男女」(台湾 1994)

台湾の台北の住宅地、もと一流ホテルの料理人だった父は妻に先立たれてから、毎週末3人の娘のために豪勢な料理を作る。
長女は高校の教師、次女は航空会社に勤めるキャリアウーマン、三女はアルバイトに忙しい大学生。
三人はこの習慣に付き合うことに、それぞれ不満を感じていた。
長女は父の世話を自分がしなくてはいけない気にさせられて、
次女は料理人になりたかった夢を父に断たれた悔しさを思い出さされ、
三女はアルバイトとデートに忙しかった。
そんなある日、隣の家のおばさんが、アメリカから帰ってきた。
未亡人のおばさんが父のよき話し相手になってくれるかも、という期待を胸に、
三人は自分の恋愛をかたちにしようとしていく。

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魚が丸ごと揚げられ、壺に入れられた食材が蒸され、鳥が毛をむかれる。
家庭の台所とは思えない光景。
もくもくとてきぱきと1日かけて、晩餐の準備がなされる。
最初はこのものすごい料理を目の前に、もくもくとはしを運び、会話もあまりない食卓。
でも、最後の晩餐は、父と娘が準備をし、娘と夫たちと、おばさんを囲んでのにぎやかな食卓。
恋人たちの・・・というより、まさに「飲食男女」。

イギリスで出会った台湾人の女の子がいる。
カトリック系の25歳以下未婚が条件の女子寮にいたので、女の子、と思っていたが、
彼女は実は26歳でドイツにだんなさんと子供までいた。
背が高くて、人なつっこい彼女とときどき遊びに行くようになって、こっそり教えてくれたのだ。
台湾人のだんなさんはドイツで絵の勉強をしているのだけど、だんなさんの実家が事業をしていて、彼女は仕事を手伝うために、イギリスへの留学をさせられたのだそうだ。
3ヶ月しかいなかったので、そのあとはメールでときどき連絡をとるくらいだった。
その彼女と再会したのはフランス。

パリの見本市に出展するため、家族できたのだ。
フランス語ができるという理由で、4日間手伝うことになった。
台湾からは小さな企業がツアーでたくさん来ていた。みんな家族経営のところらしく、
子供がブースの後ろにいたり、お弁当を頼むのもにぎやかで、面白かった。
竹細工をあつかっていて、ブラインドや間仕切りなど、アジア的なインテリアが好まれ始めた頃だったので、たくさん名刺とパンフレットを交換した。
最後の日みんなで、なぜかムール貝のチェーンレストランへ行った。
彼女とだんなさんと息子と義理のお父さん。
お父さんとは何語も通じないけど、私の分のお弁当もとってくれて、メンマのキムチ漬け(わざわざ台湾からもってきた好物らしい)を勧めてくれた。
5人で、ムール貝をすくって食べる様子は、いま思うと不思議な感じだ。
そこは、パリで北駅の近くで、秋の小雨が降る寒い日だった。
でも、私たちは奇妙な家族みたいに、もくもくとムール貝を食べていた。
一緒に何かを食べていると、言葉は通じなくても、なんだか家族みたいな空気を作ってくれるのだ。

今度はぜひ台湾に来てください。
そういわれて何年たっただろう?
彼女からは時々思い出したようにメールがきて、「あなたのREALと出会えた?」と小姑のように聞かれる。
このメールはいつも、気恥ずかしさと適度なプレッシャーをくれる。
私は、私のREALと彼女をたずねたいと思う。台湾の真中辺りにあるという、きっと大きな彼女の家で、彼女の家族と食事をするだろう。
義父さんとはまた言葉は通じないけど、きっと私たちを歓迎してくれるだろう。
彼らの食卓は、そんなあたたかい空気に包まれている。

(2005年映画レビューより)

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